『燃ゆる腕が懲罰房へと導く』

「君たちは自分が置かれた立場をわきまえていないようだな」


 ゆっくりと、慎重な足取りで堂上どうがみが近寄って来た。嫌なニヤけ顔が徐々に大きくなる。その時、章一郎は手品師の背後、ずっと奥の木立で蠢く人影に気付いた。黄昏時で、はっきりとは見えないが大きな樹の下、半身を隠すように、こちらを向いている。一瞬、副島かと思ったが、少し小柄な感じもする。


「畜生、この野郎、禿はげにしてやる」


 作造が声を張り上げ、罵倒した。土蔵の騒ぎは胡乱な観測者だけではなく、館に中にまで伝わっただろう。


「大人しくしろ。その手を離せば、取引とやらについて聞いてやらんこともないぞ」


 不敵な笑みを浮かべて接近する手品師に作造が唾を飛ばす。堂上は番人の胴に手を回し、引っ張りに掛かったが、怪力の前では無力だ。作造は更に力を込め、番人の腕を激しく揺さぶった。大扉の内も外も混沌とし、罵声と唸り声が入り乱れる。


 章一郎は扉の下のほうで動くものを発見した。堂上が番人の背後から足を差し出し、隙間に挟んだ板の束を蹴っている。咄嗟に、章一郎はスボンの裾を掴んだ。


「堂上を捕まえたぞ」


 作造が加勢しようとした瞬間、板が外れ、章一郎の手は外側に持って行かれた。自由になった番人が急いで扉を閉じ、裾を握り締めた状態で腕が挟まれた。扉の角は鋭利な刃物に似て、挟まれた箇所から血が滲む。今度は逆に作造が後ろに回って章一郎を引っ張るが、番人が扉の把手に全体重を掛けているのか、力関係は均衡し、動かない。


「熱っ」


 章一郎の左手が炎上した。堂上がオイルライターで点火したのだ。掴んでいたスボンの裾を離し、大扉が締まる。扉の油に塗れた左手は、激しく燃えた。たつみが味噌汁をぶち撒け、直ぐに火は消えたが、毛の焼けた嫌な匂いが密室に充満する。

 

「これはいかん」


 燃え盛った手を取り、柏原が診察した。火傷と裂傷だ。章一郎が顔を歪めて呻く。手の甲から手首に掛けて延焼し、毛が縮れていた。水を流しても痛みは治らない。重たい物がし掛かっているかのような鈍い痛みだ。


「おい堂上、なんてことしてくれたんだ。指が溶けて、骨も折れてるぞ」


 嘘だった。は少し縮れただけで支障なく動かせる。骨が折れているようなこともない。閉ざされた大扉の外に二人が居るのか、判らない。施錠する音も立ち去る足音も確認する余裕はなかった。


 深刻なのは肘近くの切り傷かも知れない。偵察作戦で使ったロープを巻いて止血したが、みるみる内に赤く染まった。柏原はさらに消毒する必要があると言って一旦ロープの布を剥がし、水を浴びせた。これで飲み水は尽きた。



「諸君、ちょっと取引しようじゃないか」


 一刻余りが過ぎた頃、再び堂上が大扉の向こうに現れた。取引とは、何か。作造と福助が騒ぎ、別当青年までが声を荒げた。


「暴行を働いた輩の懲罰房行きが決まった」


 柏原によれば、懲罰房とは刑務所などで悪さをした囚人が収容される独居房だという。監獄の中にある特別な監獄だ。普通の市民はそんなものとは縁がなく、手品師は兇状持ち*の可能性もあるとも語った。


「作造、下手な真似をするな。章一郎の手当てを優先する」


「土下座して詫びるのが先じゃろ。で、どうやって火を点けたんじゃ。わしが見た中で一番不可思議な手品じゃったぞ」


 たつみが絶妙な皮肉を言った。扉の向こうで苦虫を噛み潰したような顔をする堂上が想像出来る。間もなく手品師は南京錠を外し、ゆっくり扉を開けた。恐る恐るといった慎重な動作だ。隙間から見えた堂上は、先程の傲慢な態度とは打って変わって生気がなく、怯えたようなつらをしていた。


「まず作造の手足を縛る。それから鎖を壊して、章一郎を運び出す。ほかのもんはじっとしてろ。治療をしてやるんだ。邪魔したら、章一郎の手当てが出来なくなると思え」


 扉の隙から差し出された巨人の両手両足を手際よく縛った。美女の水中縄抜けで毎日のように行っていた作業だ。そして、雁字搦がんじがらめの作造を土蔵に奥に運ぶよう命令した。どこまでも慎重な男である。次いで章一郎の腹にも荒縄を括り付け、番人が縄の端を持つ。檻に入れられる猛獣のようだ。この機に乗じて逃げ去るとでも思っているのか。 


 章一郎は大人しく従った。楽団リーダーによれば、囚われ人の身体も土蔵も不衛生で、深い切り傷を早く消毒しないと化膿して酷い状態になるという。狼男は飼い犬の如く引かれ、雪原にひらかれた細い道を館に向かって歩む。


「堂上、酒を持って来い。いい値段で買い取るぞ」


 長老が叫んだ。監禁されてから酒が一滴も飲めず、手が震えて困ると話していた。ほんの少し前は寒い天幕で安酒を嗜む飲み仲間でもあったのに、何もかもが変わり果てた。この先、酔って猥談をする大先輩の顔を拝む日が訪れるのだろうか…章一郎は不安に駆られ、己やほかの芸人の身を案じて歎ずる。


 振り向きもせず、ゆっくり館の入り口に向かう裏切り者の手品師。その後ろ姿は、尚も怯えているように見えた。


<注釈>

*兇状持ち=前科者、凶悪犯罪で手配される者。

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