『智慧者の侏儒は青寫眞を描く』

 鈍い音が土蔵に響き渡る。作造は何回も拳を叩き付けたが、床板が割れることはなかった。床を破壊して穴を掘り進め、そこから脱出する作戦だ。穴掘りの苦労は怪力の持ち主が良く知っている。曲芸団の興行で天幕を張る際、いつも彼が中心になって大黒柱を立てた。ほかの支柱と違って深く深く掘り下げる。それは大きなスコップを使っても根気がいる作業だった。


 土蔵の床は何枚も固い板が張り合わされているようで、裂け目も窪みも生じなかった。床下には空洞がある模様だが、土壌が柔らかいとも限らない。大男が通れるような横穴を手作業で掘り進めるには二日三日では足りず、早くとも数日を要する。それ以前に、床が壊れないのでは話しにならない。


「想像以上に頑丈に造られてんだな。盗人が簡単に入って来れねえってのは同時に、中に居る者も容易く出られねえってことか」


 柏原は明け方から敷地内の見取り図の作成に取り掛かった。福助の探索情報を元に、釘で板切れに描く。敷地の柵までは数メートル程度で存外、表の通りに近い。これが隧道すいどう作戦のきっかけになった。また、館までの距離は推定で三十メートル。見取り図が何の役に立つか不明だが、各々必死だった。


 一回目の食事時、堂上どうがみは姿を現さなかった。作造が昨日と同じ要領で紙幣をちらつかせ、やはり番人は物欲しげな眼差しで頷くが、取引の意味を正しく理解しているのか、心許ない。深く雪が積もる中、手品師が館から退去した可能性は低く、今も留まっているはずだ。


「あやつの性格からして必ず来る。面白半分、冷やかし半分にな」


 たつみは断言し、残りの者は準備を進めた。朽ちた箪笥を壊して細い板を何枚か作り、束ねて布地を巻く。扉が開いた瞬間、それを挟み込んで閉まらないように工夫する。つっかえ棒の代わりだ。そして紙幣を受け取ろうとする番人の腕を作造がぎ取り、人質にして脅すのである。


「捕まえた番人をその場で叩きのめす、捻り潰すとか言えば、糞手品師も少しは慌てるだろう」


 人質を盾にして、堂上に大扉の鎖を外すよう命令する。下働きの男を助ける為に手品師が動くことはないだろうが、それは想定済みで、直ちに金銭交渉に入る。買収工作の第二弾だ。章一郎と作造の手元には裏稼業で得た金がそっくり残っている。長老が総額を尋ねると、二人は正直に申告した。かなりの稼ぎで、福助が腰を抜かした。

 

「取引に応じるかどうか、五分五分ってところだな。堂上みたいな外道は義理も仁義もねえ。よって金で動くはずだ。ここでの稼ぎと天秤にかけて、さて、どっちを取るか…」


 買収作戦の青写真を描いた柏原は、堂上が館に居る理由が解せないと語る。曲芸団五人の拉致監禁が成功した時点で、手品師の役割は満了のはずだが、何故か館に残っている。副島の舎弟になったと考えるのが妥当だ。しかし、堂上は外面そとづらも中身も胡散臭く、一番信用ならない類いの人間で、側仕そばづかえにするには最悪…そんな柏原による圧倒的に低い人物評に、章一郎も首肯する。そして一時的な気の迷いであれ、堂上を信じた自分を恥じる。



「遂に姿を見せやがったか、この糞手品師。絶対に許さない。頭の毛全部、皮ごと剥ぎ取って禿はげにしてやる」


 作造の怒号に、土蔵の中の者まで震え上がった。暴走する巨人を誰も制御できない。宵闇が迫る頃、二度目の食事が配達された。その際、番人の後方遥か、雪原の上に堂上が立っていたのだ。


「どうも諸君、ご機嫌よう」


 開口一番、そう言い放った。心優しい巨人が怒鳴るのも無理はなかった。離れたところから挑発してきたのである。激昂した作造が、いきなり番人の腕を鷲掴みにし、捻じ上げた。


 計画は最初から狂った。まず飲食物を福助と柏原が確保し、その直後、つっかえ棒代わりの束ねた板を隙間に突っ込む段取りになっていた。しかし、怒れる巨人は手順を無視して番人を締め上げ、脅した。


「こいつがどうなってもいいのか」


「酷いことするね、君たち。暴力は止めたまえ。懲罰房ちょうばつぼう送りになるぞ」


 舐めた口を利く。堂上は余裕の表情だが、土蔵からかなり離れた場所に控える。どれほど怪力を恐れているのか、もちろん作造の手が届く範囲ではない。一方、番人は腕を取られたものの両脚で踏ん張り、鎖を引いて扉を閉めようと身動みじろぐ。


「約束、違う。金、くれるだろ」


 しきりに文句を垂れるが、作造には聞こえない。大扉の周辺は混雑していた。章一郎は扉に手を掛けて、強く引く。福助が足元にある丼や汁物の入った容器を片付け、柏原が隙間に板を差し込む。巽は堂上の顔を拝もうと位置を変えたが、密集の度合いが濃く、見えないようだ。


「おい堂上、取引しよう。とんだ臆病者だな。怖がってないで、もっとこっちに来い。それとも足が震えて歩けないのか」


 章一郎も負けじと挑発した。言葉は口をいて出たが、冷静ではいられない。手品師の姿を見て、俄にはらわたが煮え繰り返った。傲慢で、陰気で、人を小馬鹿にしたような顔のペテン師が目の前に居る。

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