『黒壇の洋館に小さき影が忍び寄る』
天井近くの窓が時計代わりだった。夕方になると残照が僅かに差し込む。おおよその時刻しか判らないが、それで問題が生じることはない。獄に繋がれた囚人である。
日没後、二度目の食事が来た。
今度は章一郎が扉を掴み、作造が鎖を素手で叩く。上手くいかなかった。番人は少しも動じず、淡々と食べ物と水を置き、直ぐに立ち去った。慌てたのは章一郎だ。扉の外側の部分に油がべったりと塗られ、滑って手に力を込めることが出来なかった。
「どうにも
油で汚れた狼男の手の平を眺めて、
悪知恵が働く輩の顔が思い浮かぶ。章一郎は館に副島が控えていると確信した。最後に姿を見たのは
二度目の食事が済んで暫くした頃、その頼れる巨人に異変が起きた。急に眠くなったと言い出し、床に倒れこむようにして熟睡してしまった。福助も同様だった。異変が生じたのは一寸法師のほうが早かったかも知れない。食べ終わって間もなく、ひとつ
「こりゃ、一服盛られたんじゃないか」
柏原までが眠たいと言い始めた。胸苦しいわけでもなく、吐き気を催す感じでもない。逆に、腹が減ってきたと訴える。巽は酔った感覚に似ていると実況する。
「強い酒を一気に飲んだ時のような。酒がないのなら、こんなのも悪くない」
呑気なことを言った。猛毒の類いではなく、喉に手を突っ込んで無理やり吐き出させる必要はなさそうだった。副島は悪党で何を考えているか不明だが、囚人を
長老も横になり、そのまま固まった。巨人は
「眠り薬にしちゃ、大した効き目があるようでもないな」
業を煮やした柏原が強く揺さぶると、作造は目を覚ました。昏倒してから一刻半以上は過ぎていたが、朝の起床と大差なく、忽ち巨人は覚醒した。福助も同様で、ぐっすり眠り込んでいた割には爽やかな寝起きだった。水を一杯飲み干し、小便に行ったが足元がふらつく様子はない。
「本当に大丈夫なのか。鼾が騒々しくて、死にやしないと思ったけど、失神するみたいに急に倒れたんだぞ」
章一郎の心配をよそに、二人は平然としていた。初めての偵察作戦は一時決行が危ぶまれたものの、延期する特段の理由もない。この間、ロープは完成し、目分量であるにせよ、長さも充分だった。
大幅に遅れて夜半に近い時間帯となったが、不都合はない。偵察決行は、館が寝静まっていることが条件だ。まず福助が窓に登り、周囲の様子を観察する。室内から漏れる電燈の光は見えず、敷地に動く影はない。番犬は居ないというのが全員の一致した意見だった。最初の晩から今に至るまで遠吠えは一度も聞こえていない。
「慎重にな、福坊。用心に越したことはない。番人が起きているようだったら、無理せず、戻って来る」
章一郎は改めて福助に体調を問い、支障なく動けることを確認した。斧は恐らく屋外にある。無かった場合は作戦を練り直すので、例え戸口が施錠されていなくとも館への侵入は控える。戻って来たら、窓の下で口笛を二度吹く。一寸法師は合点した。
「もし番人と鉢合わせしたら、館の裏に回り込んで引き離す。駆けっこなら負けないだろう。それと、女の子たちの部屋を覗いちゃダメだぞ」
一同が笑い、緊張がほぐれた。別当青年が指摘した通り、番人は喋り方も間が抜け、いかにも愚鈍そうだった。外見で判断することは危険だが、すばしっこさなら一寸法師に敵う者は居ない。
事前に想定した手順に従い、福助は窓から身を乗り出し、ロープを伝って着地した。両肩を抜くのがやや厳しく、姿勢も逆さまで危うかったが、そこは天賦の才に恵まれた軽業師で、難なくこなした。遠去かる足音は聞こえない。章一郎は裸足の福助が身を屈め、館に忍び寄る姿を想像した。それは冒険小説の一幕のようにも思えた。
残された五人は
一方、敷地に関しては正確に記憶していた。洋風の邸宅が点在する丘の
口笛が二回鳴った。思ったよりも早く帰って来た。残念ながら斧は見付からなかったようで、外側に垂れたロープの先端に何かを結び付ける間もなく、窓から福助が顔を出す。表情は窺い知れないが、慌てている様子だ。大変大変、と口走りながら降りて来て、こう言った。
「
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