『座敷牢は昭和の世にも実在します』

「この子の命はそう長くない、と親は考えたようです。でも、一歳二歳と健やかに育ち、親は悩んだ末に彼を幽閉しました。もし貧しい農家だったら川か山に捨てられていたかも知れませんが、彼の生家は身分が高かったと言います」 


 別当べっとう青年は、二つの顔を持つ男が辿った数奇な運命について物語った。顔面畸型の可哀想な子は、見せ物小屋に送られる以前、自宅の座敷牢ざしきろうに閉じ込められていたという。話しは仔細しさいで生々しく、章一郎は青年が自らの半生を告白しているようにも思ったが、突っ込んで聞くことははばかられた。


 座敷牢が話題になったのは、柏原の指摘がきっかけだった。土蔵の一番奥、朽ちた箪笥の向こう側に便所があった。木の板に丸い穴が開いているだけである。下には大きなかめが埋め込まれているのか、単に空洞なのか、福助が覗いてみたが分からない。それに匂いが厳しかった。


「土蔵に便所があるなんて聞いたことがない。構造上、改修するのも難儀で、別当君や俺たちを監禁する為に急拵きゅうごしらえしたとも思えない」


 柏原はここが古くからの座敷牢だったと主張する。癩病らいびょうか気が触れた者を監置する離れに違いないと言うのだ。一寸法師は酷く怖がったが、章一郎は疑問を呈した。


「今のご時世に座敷牢なんてあるかな。小説や漫画本の中だけで、実在しないんじゃないか。この蔵も江戸の頃に建てられたってわけでもないだろうし」


 侃々諤々かんかんがくがくとなったところで、別当青年が座敷牢に纏わる実話を語り始めた次第である。


 いつから丸い穴があって土蔵に誰が棲んでいたのか、真相は藪の中だが、臭気は現実的な問題だった。臭いものには蓋とばかりに、テーブルを逆さまに置き、多少匂わなくなったものの、気にならないと言えば嘘だった。


「豚小屋で飯を食う気分だ」  


 日が昇ってから随分経った頃、握り飯の袋が投げ込まれた。不平不満を大声で訴えたのが功を奏し、お結びの個数が増えていたが、相変わらず見た目も悪く、美味くもない。また曲芸団の五人が揃って文句を言う。外に居るであろう飯運びの男に声が届いたのか、握り飯はそれが最後となった。


 夕方、土蔵正面の大扉が開いた。以前のように食事を差し入れて来たのだ。脊髄反射で作造が扉に手を掛け、広げようとしたが無理だった。大扉には太い二本の鎖が付けられ、全開できないよう仕組まれていた。昨日の妙な金属音の正体はこれだった。隙間は狭く、福助が咄嗟に擦り抜けるのも難しい。


「下げに来る。食い終わりに扉の近く、置いとけ。作法、小僧が知ってる」


 番人が初めて口を開いた。小僧とは別当青年のことで、彼によれば、空の器や箸を出しておけば勝手に引き取って持ち去るという。番人は上げ膳と下げ膳で日に四度現れ、大扉を開く。


「鎖は頑丈そうだったが、力入れて何度か引っ張れば、壊れる」


 作造はそう言って胸を張った。汁物を啜りながら、再び脱獄作戦の謀議が始まる。福助の着地問題は朝までに解決し、小細工も進んでいた。飛び降りるのではなく、ロープを伝って降りるのだ。テーブルに掛けてあった布地を細かく裂き、それらを紐状にした上でしっかり結ぶ。足りない分は布団の布で補った。


「出たっきりじゃなく、戻って来られるということだ」


 これはたつみの発案だった。合鍵を奪取する計画は暗礁に乗り上げているが、下準備として館を偵察することが可能だ。敷地内には凶暴な番犬が放たれ、周囲には高い柵があるかも知れない。更に敵勢力の規模も把握しておきい。 


しらみ潰しに調べてみる」


 偵察と聞いて、福助は意気軒昂いきけんこうだった。章一郎は張り切る一寸法師を見て、別の目的があると睨む。冒険心でも野心でもなく、下心に近い。今日も朝から作造に頼んで窓に登り、熱心に館を監視していた。ひと目見たいのだ。先に忠告しておく必要があった。


「あの子が居るとは限らないぞ」


 茹蛸ゆでだこになって怒った。監禁された後も、福助は繰り返し、白雪姫は悪くないと言い張った。白雪姫とは、彼が例の美少女に付けた渾名あだなだ。童話では七人の小人が姫を助ける。自らを救世主に見立てたのか、その渾名に込めた意図は教えてくれなかったが、少女に罪がないという意見には、章一郎もくみする。


 歌劇団の支配人に命令され、渋々従っていたことは明らかだ。余計なことを一切喋らず、いつも涼しげな、諦観ていかんしたような表情が関係を物語っていた。副島は悪辣非道の男で、彼女もまた被害者に思える。


「幽霊役の女の子な。是非一度拝みたいものだ」


 さも愉快そうに柏原が言った。冷やかしたのに、一寸法師が更に茹で上がる。幽霊役とは辛気臭しんきくさい表現だが、巽ら対面した経験のない二人にとっては、そのほうが通りが良い。彩雲閣さいうんかくで起きたお化け騒動のヒロインだ。あの夜、副島そえじまが旅館に来て太夫元たゆうもとを丸め込まなければ、五人が勾引かどわかされることもなかった。


 章一郎は副島を激しく憎み、刺し違える覚悟もしていたが、ここで呪いの言葉を吐いても詮方せんかたなかった。無事に抜け出すことが先だ。


「さっきのあれで状況が変わった。館を探索せにゃならん」


 南京錠の合鍵を盗んでも鎖があっては意味がない、と長老は言う。食事が運ばれる時間を見計らい、外で隠れ待つ福助が番人から鍵を奪い取る。そこまでは良いが、鎖を断ち切らなければ、福助が殴り倒されて終わりだ。同時に、内から外へ自由に往来できることも知られてしまう。


「鎖を切るって、結構大変そうだけど、そんな道具あるんですか」


「斧だな。大きい斧を作造が振り下ろせば一撃だろう」


 章一郎の問いに柏原が答えた。窓からの監視報告によると、館には煙突があった。暖炉だ。燃料の薪を割るには斧が欠かせない。薪割りは下男の仕事で、作業場は屋外にある。楽団リーダーの推察に、囚人たちは自信を深めた。


 決行は夜だ。

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