『座敷牢は昭和の世にも実在します』
「この子の命はそう長くない、と親は考えたようです。でも、一歳二歳と健やかに育ち、親は悩んだ末に彼を幽閉しました。もし貧しい農家だったら川か山に捨てられていたかも知れませんが、彼の生家は身分が高かったと言います」
座敷牢が話題になったのは、柏原の指摘がきっかけだった。土蔵の一番奥、朽ちた箪笥の向こう側に便所があった。木の板に丸い穴が開いているだけである。下には大きな
「土蔵に便所があるなんて聞いたことがない。構造上、改修するのも難儀で、別当君や俺たちを監禁する為に
柏原はここが古くからの座敷牢だったと主張する。
「今のご時世に座敷牢なんてあるかな。小説や漫画本の中だけで、実在しないんじゃないか。この蔵も江戸の頃に建てられたってわけでもないだろうし」
いつから丸い穴があって土蔵に誰が棲んでいたのか、真相は藪の中だが、臭気は現実的な問題だった。臭いものには蓋とばかりに、テーブルを逆さまに置き、多少匂わなくなったものの、気にならないと言えば嘘だった。
「豚小屋で飯を食う気分だ」
日が昇ってから随分経った頃、握り飯の袋が投げ込まれた。不平不満を大声で訴えたのが功を奏し、お結びの個数が増えていたが、相変わらず見た目も悪く、美味くもない。また曲芸団の五人が揃って文句を言う。外に居るであろう飯運びの男に声が届いたのか、握り飯はそれが最後となった。
夕方、土蔵正面の大扉が開いた。以前のように食事を差し入れて来たのだ。脊髄反射で作造が扉に手を掛け、広げようとしたが無理だった。大扉には太い二本の鎖が付けられ、全開できないよう仕組まれていた。昨日の妙な金属音の正体はこれだった。隙間は狭く、福助が咄嗟に擦り抜けるのも難しい。
「下げに来る。食い終わりに扉の近く、置いとけ。作法、小僧が知ってる」
番人が初めて口を開いた。小僧とは別当青年のことで、彼によれば、空の器や箸を出しておけば勝手に引き取って持ち去るという。番人は上げ膳と下げ膳で日に四度現れ、大扉を開く。
「鎖は頑丈そうだったが、力入れて何度か引っ張れば、壊れる」
作造はそう言って胸を張った。汁物を啜りながら、再び脱獄作戦の謀議が始まる。福助の着地問題は朝までに解決し、小細工も進んでいた。飛び降りるのではなく、ロープを伝って降りるのだ。テーブルに掛けてあった布地を細かく裂き、それらを紐状にした上でしっかり結ぶ。足りない分は布団の布で補った。
「出たっきりじゃなく、戻って来られるということだ」
これは
「
偵察と聞いて、福助は
「あの子が居るとは限らないぞ」
歌劇団の支配人に命令され、渋々従っていたことは明らかだ。余計なことを一切喋らず、いつも涼しげな、
「幽霊役の女の子な。是非一度拝みたいものだ」
さも愉快そうに柏原が言った。冷やかしたのに、一寸法師が更に茹で上がる。幽霊役とは
章一郎は副島を激しく憎み、刺し違える覚悟もしていたが、ここで呪いの言葉を吐いても
「さっきのあれで状況が変わった。館を探索せにゃならん」
南京錠の合鍵を盗んでも鎖があっては意味がない、と長老は言う。食事が運ばれる時間を見計らい、外で隠れ待つ福助が番人から鍵を奪い取る。そこまでは良いが、鎖を断ち切らなければ、福助が殴り倒されて終わりだ。同時に、内から外へ自由に往来できることも知られてしまう。
「鎖を切るって、結構大変そうだけど、そんな道具あるんですか」
「斧だな。大きい斧を作造が振り下ろせば一撃だろう」
章一郎の問いに柏原が答えた。窓からの監視報告によると、館には煙突があった。暖炉だ。燃料の薪を割るには斧が欠かせない。薪割りは下男の仕事で、作業場は屋外にある。楽団リーダーの推察に、囚人たちは自信を深めた。
決行は夜だ。
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