第八章

『ようこそ、曲芸団の皆さま方…』

 後部座席に陣取る歌劇団の娘たちは、私語も殆どなく、眠っているかのように静かだった。バスは停まったままで、動き出す気配もない。いつから停車しているのか、分からなかった。章一郎も居眠りしていて、目醒めると辺りは真っ暗だった。


 作造とたつみは泥酔し、柏原は熟睡している。酒好きの二人は乗りしなに葡萄酒を一本ずつ贈呈され、景気よく飲みまくった挙句、力尽きて眠り込んだ。小人楽団のリーダーは揺れが心地よかったようで、乗車後間もなく、船を漕ぎ始めた。章一郎も似たようなものだった。あの黒塗りの外国車と同様に振動も音も賑やかではなく、いつしか眠り惚けていたのだ。


「福坊、なんで停まってるんだ」


「知らない。けっこう長い間、動いてないよ」


 福助が有頂天ではしゃいでいたのは、このバスに乗り込むまでだった。後ろに座る数人の娘たちの中にお目当ての美少女は居なかった。さすが歌劇団の役者で、みな可愛らしいが、一寸法師はまったく眼中にない。急に不貞腐れ、黙って車窓の風景を眺めていた。

 

「ここ、どこらへんなんだろう」


「さあ、ずっと海が見えてたけど、見えなくなった」


 福助に限らず、一座の者は押し並べて地理に明るくない。大きな川を何本か越えて、鉄路と交叉したといった程度だ。車窓から窺える一帯は暗く、山道のようにも見える。少なくとも帝都近郊ではない。


「そうだ、運転手に聞けばいいんだ」


 章一郎が歩み寄って尋ねると、運転する男は知らない地名を答えた。そして、車が一台付いて来ないので待っていると言い訳した。はぐれたか、燃料切れを起こしたか。何らかの問題が起きたようだった。さらに時刻を聞いてみたが、男は時計を持っていなかった。


「どうした。もう着いたのか」


 柏原が目を擦りながら聞く。帝都に入ってないことは一目瞭然だ。辺りは鬱蒼とした雑木林で、近くに家屋の灯りも見当たらない。また、すれ違う車もなく、町はおろか人里から離れた辺鄙な山奥のようだった。章一郎は後部座席の様子を窺ってみたが、車内も暗く、娘たちの顔色は判らない。 


 章一郎に急かされたかのように、バスは予告もなく動き出した。後続車が来た気配はない。緩い傾斜の山道を登っているのか、右に左にと慌ただしく曲がる。山奥の林道といった景観ではなく、ライトに照らされて、束の間に屋敷や門が浮かび上がった。柏原が囁く。


「別荘か何か、そんな風情だな」


 走り出してから数分も経っていなかった。バスは細い道に入って、間もなく停まった。進路の先に大きな家があったようにも見えたが、エンジンが切られると再び周囲は暗闇になった。


「予定が少々違って、曲芸団の皆さま方は今夜、こちらにお泊まり頂くことになりました。明日の朝一番でお迎えに上がります」


 どこかで問題が生じ、見込みが狂ったのか。章一郎が聞いても運転手は要領を得ない感じで『明朝に』と言うだけだった。バスのドアが開くと、真前まんまえに大きな扉があった。近過ぎて家屋全体は見渡せない。白い壁と漆黒の大扉。その脇に、大柄な男が待ち構えていた。


「ひと晩だけ、こちらでお休みになって下さい」


 運転手がぼそりと言った。男が乗り込んできて、眠れる巨人を起こす。酷い酔い方だ。生返事はするが、前後不覚で正体をなくし、まともに立ち上がることも出来ない。大柄な男と運転手が二人掛かりで脇を支え、苦労して扉まで運ぶ。


 奥から、ドスンという鈍い音が響いた。続いて長老が運び出され、残る三人も続く。


 三和土たたきはなく、いきなり広い部屋があって、ベッドが何台が置かれていた。その上に、酔い潰れた作造と巽が横たえられている。裸電球ひとつで中は薄暗い。窓も無いようで、調度品はほかに朽ちかけた箪笥たんすと小さなテーブルがあるだけだ。硝子瓶の水差しと果物の詰め合わせ。その隣に彩り豊かな花も添えられていたが、不釣り合いで不自然だった。


「なんだい、ここは。おいらたち帝都の宿屋に行くんじゃなかったのか」


 そう福助がぼやいた矢先、扉の閉まる音がした。次いで、金属音。南京錠を締める時の音に似ていた。章一郎は急いで扉に駆け寄って押してみたが、びくともしない。バスが走り去る音が聞こえる。


 ここでようやく、自分たちが閉じ込められたことを知った。

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