『興行師は五人を選り好み、駆り立てた』

「きっと直談判だ」


 言葉が口を衝いて出た。正式に断りを入れたとは言え、連れの少女にことづけを頼んだに過ぎない。春子は以前、副島そえじまに関して相当にしつこいと愚痴っていた。その通りであれば、伝言を受けた程度で引き下がるとは思えない。やはり昨夜騒ぎになった幽霊の正体は、あの美少女で、黒い影は支配人だ。二人で旅館の様子を窺っていたに違いない。


 退団を画策していた事実が太夫元に知れてしまった…章一郎は慄然とした。


「まあ、慌てるな章一郎。引き抜きってのは裏でやるもんだ。親分同士が話し合ってどうこうする生易なまやさしいもんじゃない」


 柏原は冷静に事態を観察していた。耶絵子も決して険悪な雰囲気ではなかったと証言する。直談判でなければ、いったい何を長々と相談しているのか。章一郎はみなに問い掛けたが、誰もが首を傾げた。


 答えを持って来たのはたつみだった。真っ昼間なのに早くも酒臭い。銀色の変な形をしたコップを手にしている。逆さまにした釣鐘に細い脚と台が付いた小さな金属のコップで、その中に巻かれた紙が無造作に差し込まれている。


「葡萄酒ってのは、酸っぱいようでいて甘くて、香りも癖がない」


 酒の批評はどうでも良かった。焦点は巻き紙だ。耶絵子が引っこ抜いて開くと、それは歌劇団の宣伝チラシで、次回の公演予定が記されていた。


「話しの都合は知らんけども、娘さんたちの芝居に一緒に出ることになった」


 驚天動地の展開である。長老の頼りない説明をまとめると、芝居に参加するのではなく、歌劇団と曲芸団の共演が決定した模様だ。不貞寝しいてた一寸法師がまた飛び起きて、舞い狂った。


「前座を務めるってことか。相手はお嬢さんたちの劇団だよな」


 柏原が目を細めてチラシをあらためる。福助が宝物にしている宣伝チラシと違って白黒で、娘たちの写真もなかった。地味な印象は否めないが、公演場所は浅草とあった。帝都が誇る演芸の中心地だ。劇場に関しては物知りの柏原も、聞いたことがあるような無いような、と曖昧だったが、例え小さくとも、ドサ廻りの曲芸団にとっては望外の大舞台である。


「これ、もう直ぐ開演よね。間に合うのかしら」 


 耶絵子が顔をしかめた。公演初日は明後日と書かれている。余りにも急な話しで、移動も準備も間に合わない可能性がある。巽によれば、ぶっつけ本番でも恐らくは大丈夫で、心配なのは照明周りだけだという。


「春先の金毘羅こんぴらさままで決まった予定はないしな。温泉街を出た後、どっかの町で興行を打つつもりだったが、そこに組み入れるって寸法さ」


 金毘羅神社は都下にあって、その前の立ち寄り先が帝都の劇場なら移動距離も短い。支障がないどころか、割の良い誘いだった。大広間の騒ぎを聞きつけて、作造や道具方が集まって来た。福助は喜びを隠しきれない様子で駆け回っている。


「歌劇団の方は昨日も来てたんじゃないんですか。それで今は何を話し合ってるんでしょうか」


 章一郎は危うく個人名を出しそうになったが、寸前で飲み込んだ。副島が昨晩来たことは確実で、太夫元の部屋を訪ねて口説いたと想像する。褒め方も誘い方も上手く、物腰も柔らかい。初対面であるにせよ、都合の良い興行話を曲芸団が断る道理もない。


「ああ、昨晩から話しを進めたようだな。その前は知らんが、共演するって話しはもう決まっていて、道具方を一人、舞台つくりの準備で早めに連れて行きてえってんだ。それと一部の芸人も。太夫元は今までに例がないって言って断ってたんだが」


 芸人を先に送り込む理由は不明だが、章一郎は自分が指名されると直感した。副島はまだ諦めていない。ほかの座員と切り離して、もう一度勧誘する気ではないのか…否、諦めきれないのは自分かも知れない。歌劇団との関係がさらに続くと聞いて正直安堵したのだ。


 作造は、どうだろうか。今は平然としてるが、彼こそ期待しているに違いない。転身する機会は失われていなかった。身の振り方を考える猶予期間が唐突に与えられたのだ。福助が楽しそうにクラリネットを吹いていて、うるさい。


「全員集まってるってわけじゃないようだな」


 太夫元が副島を伴っって大広間に現れた。その姿を見て春子が真っ先に逃げ出し、耶絵子と珠代が後を追う。女性陣三人には相当嫌われているようだ。副島は章一郎と一瞬だけ目を合わせたが、表情は変えず、素知らぬ振りをしている。


「急なんだが、こちらの歌劇団と一緒に仕事をすることになった」


 太夫元からの説明は概ね宣伝チラシの通りで、深川曲芸団も初日から出演する見込みだという。前座とあって持ち時間は長くなく、演目は日替わりで調整し、順番も多少変えるが、し物の内容に特段の変化はない。伝達事項の中で一同が歓声を上げたのは、宿屋に泊まることだった。


 彩雲閣のような老舗ではないものの、都心の宿だ。すっかり旅館暮らしに慣れて、野営に戻るのは厳しい。少しの期間であっても漂泊の生活が先送りになったのは喜ばしい限りだ。


「それと棟梁とうりょうに同行して欲しいと要請された。歌劇団と一緒に移動する先遣隊せんけんたいで、芸人も何人か連れて行きたいのだそうだ」


 棟梁とは道具方の最古参である塚本を指す。舞台設定に精通する古株を先に案内するのは理解できるが、芸人は何の役にも立たない。章一郎は、太夫元が躊躇するのも無理はないと思った。その矢先、代わって紹介された副島が話し始めた。相変わらずの独特な口調だ。


「当方には専用のバスが二台あって、空席があるのです。聞くと、こちらの皆さんは、トラックの荷物置き場に乗って移動するとか。可哀想でもあるのです」


 空席は数席だという。副島は希望者を募るのではなく、いきなり指名した。章一郎と作造、巽と柏原が指を差される。章一郎は自分が呼ばれたのが当然のように思えた。作造の様子を窺うと、北叟笑ほくそえんでいた。誇らし気で、得意気で、今まで見たことのない表情。撞球場どうきゅうじょうでの一幕を思い起こした。あの場に居た野郎三人の思惑が、ここで交錯する。


「それと、ユー。坊主頭のボーイ」


 福助も指名された。副島はほかにも誰かを探していたようだったが、それ以上、呼び掛けることはなかった。一寸法師は小躍りして笛を振り回し、周囲から白い眼を向けられた。


「直ぐに出発したいのです。バスが下で待っていますから」


 急展開は止むことがなかった。同室の四人は慌ただしく部屋に戻って荷物を引き上げた。巽は夜の宴会を楽しみにしていたようだが、移動中の車内で葡萄酒が飲めると聞いて、ご満悦だ。章一郎も最後の晩に殿様湯を堪能したかった。しかし、それは今や些細な愉楽でしかしない。風呂なら次の宿屋にもある。



「それでは行って参ります」


 彩雲閣の玄関で見送りをする太夫元に章一郎は挨拶した。話したのも、間近で目を合わせるのも久し振りだ。太夫元は『ああ』と一言漏らし、それ以上何も言わない。表情は少し寂し気で、暫く会っていなかった為か、老け込んでいるように見えた。


 副島に促されて石段下の駐車場に行くと、黒塗りの車と二台のバスが停まっていた。演芸場で見掛けた真新しいものと、もう一台のやや古惚ふるぼけた車両が並ぶ。驚くことに、凸凹漫才夫婦が居た。指名された芸人は五人だけのはずで、そもそも夫婦は大広間に姿を見せていない。いつ先遣隊とやらに選抜されたのか。二人に声を掛ける間もなく、章一郎は新しいバスに案内された。


 夫婦は古いほうに乗るらしい。横幅のある百貫女が開いたドアに挟まっていて、骸骨男が必死に押し込んでいた。

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