『美女は郎党を従え敵陣に乗り込む』

「嫌よ。顔も見たくないわ」


 春子は苦い表情をして断り、小人楽団の珠代たまよもつれなかった。マチネの後、ややこしい事態になった。耶絵子やえこが自分の先導で目抜き通りの演芸場に行き、少女歌劇団の親分と談判すると言い出したのだ。どう控え目に見ても喧嘩腰で、後味の悪い結果を招きそうだった。


「わたしが居る前できっぱりと断るのが条件。そうでなければ、本当に持ち金を全部吐き出して貰うわよ」


 また無慈悲なことを言う。耶絵子は公演中に章一郎の退団話しを耳にし、ご立腹だった。正確には退団を検討していた事実の発覚で、既に過去形だったが、水に流してくれなかった。自ら事態の完全収拾に乗り出すと宣言して一歩も譲らない。


 本人に悪気はなかったが、告げ口した犯人は福助だった。朝飯後に戻った部屋で狼男と巨人の押し問答が始まった。用心棒になりたいと口走る作造を章一郎が思い改めるように必死に諭し、同室の者に昨夜の出来事とこれまでの経緯が白日の下に晒されたのだ。


 柏原も福助も唖然として聞きいていた。作造は勢い余って、昨日まで勧誘に好意的だった章一郎を大声でなじり、抜け駆けという言葉を繰り返した。やがて柏原が掘り下げて事情を尋ね、全容が把握されるに至った。福助も寝耳に水の退団話しに驚き、不満をぶつけたりもしたが、章一郎が断念したことを理解すると安心し、嬉しくなって耶絵子に話した。悪気はない。


 耶絵子は公演最中の楽屋に問題の二人を呼び付け、事情聴取を開始した。水中縄抜けの準備で、美女は露出度の高い衣装を着ている。そんなあられもない姿で、尚も用心棒になりたいと作造を押し殺した声で叱りつけた。余りのすごみに作造は怖気付おじけづき、話しの途中で正座した。美女と巨人の奇妙な光景に、章一郎は笑い出しそうになったが、自分に矛先が向けられると余裕はなくなった。同じように正座して拝聴する。


「きっぱりと断らないのがいけないのよ。男らしくない」


 劇団の歌手になる夢は諦めたと主張しても、勧誘を正式に拒絶していないことが耶絵子には気に入らなかったようだ。そこで自ら二人を引き連れ、演芸場に乗り込み、目の前で明言させるという展開になった。証人として女性陣も誘ったが、春子は断った。追い回され、しつこく勧誘された以前の記憶が蘇ったようで、二度とあの男を視界に入れたくないと吐き捨てる。


 昼下がり、旅館玄関に集合を掛けられた章一郎は、久し振りに釣り師の変装をした。びく籠と麦わら帽子に黒眼鏡、それに借りたゴム長もあって完璧だ。福助も釣り竿を持って付いて来た。


「おいらも証人とやらになる」


 演芸場に乗り込むと聞いて、馳せ参じた。別の意図があることは明白だ。今でも暇があれば歌劇団のチラシを眺めて悦に入っている。恋する一寸法師がこの機会を逃すはずがなかった。耶絵子はゴム長を見て噴き出したが、目が笑っていない。


 作造は移動する集団の最後尾で、浮かない顔をしていた。目抜き通りにある演芸場は、遊戯施設の横隣だ。同じ道を昨夜歩いた時、深酒していたとは言え、大男は有頂天で楽しそうだった。それが今は刑場に連行される咎人とがにんのように重い足取りで、終始無言。耶絵子に叱責された為か、定住の夢が潰えた為か、変わり果てた姿になっている。


 演芸場の前まで来て、歌劇の興行が終了していることを知らされた。横断幕は撤去済みで、入場券の売り場も閉まっている。昨日の夜更けまで副島は遊び倒していた。既に引き払っているとも思えない。章一郎が狐に摘まれたような感覚で建物を見上げていると、福助が裏側にも戸口があって、中の様子が窺えると自慢げに言う。何回も来ていた疑惑が深まる。


「あれが歌劇団の車だ。良かった。まだ居るみたいだね。ああ書いて、ウィーンって読むんだよ」


 福助が指差す。裏手に回ると狭い駐車場があり、大型のバスが停まっていた。真新しく、車体には変わった字体で歌劇団の名称が刻まれている。曲芸団の中古トラックとは雲泥の差だ。同じ場所に、乗った覚えがある黒塗りの車はなかった。


「ごめんなすって」


 いったい何様なのか。耶絵子は芝居掛かった口調で戸を開け、勝手に入って行く。内側はやや暗く、人の気配はない。怪しい風体の者たちが突入しても、阻む者は居なかった。不用心が過ぎる。


 更に奥へ進むと、小部屋で数人の若い娘が忙しそうに作業をしていた。何か布類を畳んで箱に詰めているようだった。その中に、例の美少女の姿があった。


「あのう、こちらの太夫元に会いたいんですが」


さんですか」


 応対したのは美少女だった。福助が飛び跳ねて喜ぶと思ったが、章一郎の脇で直立している。感電して動けないといった按配あんばいだ。一方、耶絵子は道場破りのような勢いだったが、秀麗な少女を前にして若干怯んでいた。悪い記憶が呼び覚まされたのかも知れない。


「副島さんのことです」


 章一郎が補佐すると、美少女は少し胡乱うろんな目付きで眺めた。普段とは違う釣り師の格好だ。それよりも、長い黒髪の美人と侏儒が連れ添っていることに虚を衝かれたように見受けられた。まこと理解に苦しむ奇妙な組み合わせである。


「はい、支配人ですね。うーん、今ちょっと出掛けてて不在なんです。夕方までには戻って来ると思うけど、どうかなぁ」


 副島に付き従っている時とは随分と違う印象だった。快活で、仕草も人差し指を口元に当てたりと若い娘っぽい。副島は温厚な感じだが、歌劇団をべる親分だ。上司が居る場では努めて大人しくしているのではないか…章一郎はそう感じ取った。


「困ったわね。まあ、あなた達でもいいか。その支配人さんが、後ろに居る大っきいの二人を熱心に誘ってるようなんだけど、断りに来たのよ」


「はぁ…」


 少女はきょとんとして、耶絵子を見詰めた。年長の女性に対しては、わざと幼い印象を醸し出すものなのかも知れない。章一郎に乙女心が解るわけもないが、服装もいつもの軍服とは打って変わって、女学生風だ。身体の線も細く、春子より少し年上と思っていたが、同じくらいにも見える。


「ちょっと章ちゃん、ぼけっとしてないで、自分の口からはっきり言わないとだめなのよ」


 目の前で怒られた。耶絵子も若い娘たちを意識しているのか、仲居に指示を出す旅館の女将のような、威厳に満ちた態度で臨んだ。章一郎は授業というものを受けた経験がないが、生徒を前にした女教師はこんな感じだろうとも想像した。ぼんやり眺めてると、また叱られ、急かされた。

 

「お誘いの件につきまして、わたくし章一郎は、お断りさせて頂きたく存じます」


 行き道で何回も復唱させらた台詞を口にする。宣誓式に似ていた。続いて作造も例にならう。耶絵子は、今の言葉をそのまま親分に伝えるよう命令口調で繰り返した。確実に伝達されるにせよ、娘たちの前で誓うことに意味があるのか、分からない。儀式というよりも茶番に近かったが、耶絵子は満足そうだった。


「すいません。配ってたチラシの新しいのが欲しいんです」


 耶絵子の腰の辺りから声が響いた。福助である。極度に緊張し、直立したままだが、両膝が震え、額には薄らと汗が滲む。章一郎には彼が勇気を振り絞り、言葉を紡ぎ出したことが手に取るように分かった。


「うーん、今回の宣伝チラシはもう全部配っちゃったと思う。どっかに残ってるかも知れないけど、荷物片付けちゃったし…ごめんなさい」


 念願が叶った瞬間。美少女と一寸法師の初めての会話だ。章一郎はこの場で勇気を讃えたい気分だった。新しいものが手に入らないと言われて、残念そうだが、同時に達成感を得たような表情をしている。


「代わりと言ってはなんだけども。こういうのはどうかしら」


 別の少女が行李こうり*を持ってきて、福助に見せた。中には葉書の半分くらいの大きさの写真が大量にあった。被写体はどれも若い娘で、一人ずつ写っている。恐らく歌劇団の少女たちだ。


 一推しの子を探して、選り分ける必要はなかった。三割程度がお目当ての美少女で、しかも二種類ある。そのうちのひとつを福助が取ると、美少女はにっこり微笑んだ。章一郎が彼女の嬉しそうな顔を見るのは、これが初めてだった。


「あら、嬉しい。ありがとね」


 一瞬で茹蛸ゆでだこになった福助は、それを買った。貰ったのではない。野郎三人は所持金がなく、紅一点が立て替えた。大切に写真を仕舞い込んで、福助は喜びが爆発寸前だが、耶絵子は苛々いらいらが爆発寸前だった。用件は済んだ。早々に撤退するのが賢明である。最後に章一郎が深々とお辞儀して頭を上げると、美少女は笑って小さく手を振っていた。 


 

阿漕あこぎな商売があるものね」


 海岸で貝殻を拾いながら、耶絵子は何度となく言った。すっかり機嫌を直し、昼間に激昂していたことが嘘のようだ。演芸場での引き際も、捨て台詞を吐きそうな危うい気配だったが、福助が道化役になって事なきを得た。陰の功労者である。


 福助は竿を余分に持ち寄っていて、作造を磯場に誘ったが鰾膠にべもなく断られた。悄然として独り宿に戻る彼の大きな背中。一夜限りの短い夢を見させてしまった…章一郎は申し訳なく思う。だが、それは自分も同じだ。憧れは憧れでしかなく、夢は潰えた。お座敷で歌ったことも、この街に来た当初、釣った魚を売って儲けたことも現実ではなかったように感じられる。


 竿の一本を耶絵子に託し、三人で磯釣りをする話しになったが、餌が気味悪く、見るのも不愉快だと言う。福助も乗り気ではなかったようだ。根魚の毒に一撃されて以来、貝殻集めに執心している。磯場に近い砂浜にたくさん落ちていて、砂を掘り返すともっと出てくる。内側が虹色に輝く美しい貝殻もあった。


「その写真をね、腹巻きの中に入れて…」


 暫くして、春子と珠代が海岸にやって来た。女性陣の話題は福助と少女の絡みに集中し、章一郎らの宣誓式は忘れられているようだった。それで良い。思い出すのも恥ずかしい光景だった。いずれ耶絵子は仲良しの二人には話すだろうが、座員すべてに知れ渡る恐れはなさそうだ。


 何も変わらず、何もなかった。無邪気に貝殻を集め、浜辺で朗らかに笑う彼女らを裏切ることもなかった。


<注釈>

*行李=竹や藤などで編まれた葛籠の一種。かぶせ蓋があり、書物や衣類を収納するほか、旅人にも重宝された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る