第六章

『無礼講の宴席で狼男は裸体を晒す』

「えー、もういい時刻に夜も更けて、それでは、次が最後の歌になります」


 旦那衆は思い思いに流行歌の名を挙げるが、章一郎はどれも知らなかった。それでも往年の名曲を歌い出すと、客はしんとして聴き入る。声量のあるテノールで、歌いっぷりも逞しい。才能はひいで、実力は確かだった。


 出稼ぎの舞台も二日目ともなれば少しは慣れて、聴衆の扱い方もなんとなく分かってきた。黙り込んでを開けるのを極力避け、客の要求に従って、喜ばせれば良い。涙を誘うよりも、笑わすことは簡単だった。狼男は徐々に服を脱ぎ、終いにはふんどしひとつで歌う。滑稽な役回りで、曲芸団での歌唱とは何もかも違った。


 宴席に設けられた舞台に章一郎が登場すると、客たちは酔いも一瞬で冷めるとばかりに驚きの声を上げ、異様な雰囲気になった。けれども悲鳴を発して怯える者は居なかった。女性客の混じる曲芸団の公演とは、そこが大きる異なる。

 

 本物の毛なのか、作り物なのか。近寄って来て凝視する酔客も多く、中には体毛を毟り取る猛者も居た。章一郎は微笑んで誤魔化す。そして自ら顔の毛を毟って口で吹き飛ばす真似をすると、客は転がって笑った。無礼講とはこのことなのか…常識も理性も欠き、宴席は常に荒唐無稽だった。


「おや、けっこうな実入りじゃないのか」


 先にひと仕事終えた作造が、暗い廊下の隅で待っていた。頂戴した御捻おひねりをざっくり勘定するのが一番の愉しみだった。理性を欠いているのは芸人も同じだ。歌い終わった章一郎は、帽子を受け皿代わりにして宴席を回遊し、御捻りを貰う。踏み出す前は乞食のようで嫌だったが、一回で開き直った。小遣い以上の実入りだったのだ。


「作造のほうが多いだろう」 


 二人はにやけた顔を見合わせるが、ここに至るまでは波乱含みだった。


 昨日の明け方に帰って来た作造はひどく酩酊し、昼の公演の際も酔いが残っていた。慎重な動作が求められる曲芸と違い、巨人の演目は力任せの荒技だ。失敗もなく無事に終えたが、小人楽団の柏原が二日酔いを見抜き、女性陣を巻き込んで小さな騒ぎなった。


 作造の出稼ぎを知っていて見送りまでした章一郎にも連帯責任があるとされ、とがめられた。行き掛かり上、大男を擁護する立場になった章一郎は、自らが御守おもりになって、深酒に歯止めを掛けると申し出た。監視役として、同行すると言うのだ。


 方便だった。この時、章一郎は機会があれば、自分も宴席で歌って見ようと考えていた。朝飯で作造を叩き起こした際、昨夜は良い稼ぎになったと譫言うわごとで話したのが耳から離れなかったのである。その金を元手に旨い酒を飲んだとも呟く。嘘か誠か実際に確かめたかったし、よこしま目論見もくろみもあった。


 作造に従って街中のホテルに着くと、思惑以上に事は円滑に進み、さも予定通りだったかのように章一郎は舞台に立ち、歌った。初めての体験とあって、客人の反応は微妙だった。これきりで止めにしようと観念したが、御捻りを頂戴する段になって、たがが外れた。


 どう漏れ伝わったのか、章一郎までが出稼ぎを始めたという噂は今日の昼までに急速に広まった。案の定、耶絵子やえこは怒っていた。平手打ちが飛び出そうな程の激昂ぶりだったが、その瞳には涙が光っていた。


「大切な仲間で、信頼する姐さんを泣かせてしまった…」


 これまでなら、そう思って深く反省し、悔い改めて詫びたに違いない。しかし、章一郎が特別な感情に捕らわれることはなかった。そこでは美女の涙も効力を失った魔法で、平然と身体を擦り抜けて消え去る。


 個人的な身の振り方に過ぎず、誰かに不利益をもたらしているわけでもない…二日目の出稼ぎに行くにあたって、章一郎が躊躇することはなかった。外れてしまった箍は、そう易々と元に戻らない。


 本日二軒目の出演場所は、貸座敷だった。旅館やホテル以外にも、宴席専用のお座敷が常設されていて、多くは花街の外れにあった。陽気な幇間ほうかんに続いて登場した作造は、ここでも豪快に瓦を割った。


 曲芸団の演目で使う鉄の棒や消耗品の小道具は持ち出せない。遠征先では瓦や煉瓦を砕いて怪力を披露する。日に複数の宴席をはしごする為、作造は袋一杯に瓦を詰め込んでいた。


堂上どうがみが教えてくれたんだ。川沿いに資材置き場があってな、使い古しの瓦がたくさんあるんだよ」


 知恵入れしたのは手品師だった。初日の夜、指定された場所に行くと目立つ場所に山積みの瓦があったという。それ以外にも大きなホテルでは着く前から小道具が準備されていた。


 何から何まで用意周到だ。出演する宴席も手品師が差配し、おおよその時刻が割り当てられ、円滑に進む。出稼ぎ芸人の儲け分から堂上が中抜きすることもない。見番の凸凹漫才夫婦も実入はすべて自分たちの懐ろに納めていたようだ。作造は、余り深刻に考えない様子で、こう評する。


「延々と続くわけじゃないが、しけた芸人にとっちゃ棚からぼた餅だ。あいつ実は、いい奴なんじゃねえのか」


 善人だと章一郎は思わない。だが、堂上のお陰で何人かの芸人が懐ろを潤わしていることは確かで、無償の奉仕に見える。ホテルや貸座敷の主人から幾らか金を受け取り、こっそり儲けているのかも知れないが、少なくとも見番は出演料も駄賃もなしだった。


 喋くり漫才と異なって、怪力芸には消耗品が不可欠だ。瓦の手配まで整えるのは、親切の度が過ぎるようにも思えたが、章一郎には無関係の事柄で、あれこれ詮索したところで意味はなかった。


 作造もすべて手品師任せではなく、宴席の客層を見て、新しい芸を編み出した。腕相撲大会だ。一人対一人では当然、客に勝ち目はなく、二人相手でも試合にならない。そこで三人、四人と次第に増やす。六人くらいになると拮抗し、七人目で大男が負ける。わざと負けて見せるのだ。相手側は勝ちどきをあげて騒ぎ、宴席は大いに盛り上がった。一度、曲芸団の公演で試してみるのも面白い。 


「待ってましたぞ、ご両人」


 二人が本日の最終遠征となったホテルを出ると、老人が声を掛けてきた。曲芸団最年長のたつみだった。杖を持ち、分厚い褞袍どてらを着込んでいて、下は袴。どこぞの隠居といった風体で、一瞬、誰だか分からなかった。

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