『狼男が肩を貸す花魁道中』

 踊り場ですれ違った三人組の芸妓げいこは、章一郎の姿を見て仰天し、階段を駆け上がって行った。畸型の狼男と気付いたのか、黒眼鏡に派手な法被はっぴという奇抜な格好に驚いたのか、分からない。嫌な感じは受けなかったが、どうにも気まずく、早く外の空気を吸いたい気分だった。女の匂いが充満し、妙な緊張感で浮き足立つ。


 目立つのは隣の耶絵子のほうで、女たちの眼差しは鋭く、敵愾心てきがいしんが潜んでいるようにも見えた。長くおろした髪も黒いドレスも不相応で、場違いな印象は否めない。白鳥の群れに迷い込んだカラスが醜ければ、異端の者を嘲笑って優越感にも浸れただろうが、そうではなかった。


「この三味線のって、どこから聞こえて来るのかしら」


 当人は周囲の視線をまったく気に留めず、初めての場所に興味津々の様子だ。見番には、舞妓と呼ばれる見習いや新入りの芸妓が三味線の弾き方、舞踊や唄を学ぶ歌舞練場かぶれんじょうが併設されている。曲芸団と同じで、一人前になるには厳しい修行を経なければならない。音の響きから、二階の奥に稽古場があるようだった。同時に、女たちの笑い声も聞こえて来た。


「小紫大紫でございます。こちらのでっかいのが小柴こむらさきで、わしが大柴おおむらさき


 聞き慣れた声、お馴染みの前口上だった。大きく開いた襖の向こうに広い座敷が見える。二人が構わずに入ると、奥の小さな舞台に百巻女と骸骨男の姿があった。こんなところで堂々と漫才を披露している。しかも、受けが良いようだ。耶絵子は目を丸くし、章一郎は狐に摘まれた。


 座敷には、正座して眺める女も居れば、着崩して寛ぐ女、果ては寝そべる女の姿もあった。いずれも芸妓である。女性ばかりで、立ち入りははばかられた。章一郎と耶絵子は襖に半身を隠すようにして、覗き見る。曲芸団の誰しもが台詞を丸暗記している毎度の夫婦漫才だ。


「あの、ちょっとお伺いしても宜しいですか」


 広間に入ろうとする芸妓を耶絵子が呼び止め、わけを尋ねた。名も知られぬ曲芸団の芸人が、縁もゆかりもない温泉街の特別な施設で、漫才を演じているのだ。何ひとつ理解できない。


「待合室みたいなもんどす。寄席とはちゃいますけど、そんなふうな頃合ころあいもあります」


 稽古場を兼ねた控室で、芸妓はお座敷に呼ばれるのをここで待つのだという。暇を持て余す女衆を相手に、芸人が来ることも多かった。修行中の噺家はなしかや駆け出しの漫才師がほとんどで、そうした連中が腕試しするには打ってつけの場所だとも話す。息抜きの娯楽代わりであっても、年季の入った芸妓の品定めは辛口で、面白くなければ野次も飛び交う。


の兄さんが来はることは、ありゃしませんけど」


 その芸妓は三河訛りに京言葉を添えて、よく喋った。章一郎を本職のだと信じ込んでいるようで、物珍しそうに背中を弦楽器を眺めた。ほかの女衆と同様に、耶絵子を見る目は若干険しい。


 舞台では、骸骨男が褌一丁ふんどしいっちょうで裸踊りを続け、普段の公演にも増して笑いを誘っていた。出るよりも入っていく芸妓が多く、広間の前方は混雑し始めた。この時刻は序の口で、日が沈んだ後、盛況を呈するという。


「小柴大柴でございます。手前のちびっこいのが大柴で、わちきが小柴、勝山小柴でありんす」


 受けていた。入室者が増えたのを見計らって、百貫女は改めて自己紹介し、二本目の漫才を始めた。最近の公演では滅多に演じないネタだった。凸凹でこぼこ夫婦の漫才は、男女が登場する落語の滑稽話に味付けをしたもので、一座では古臭いと陰口も叩かれたが、ここでは好評を博しているようだ。


「なんともまあ煽り立てるような名前で、面白いこと」 


 百貫女の芸名は姓も名も、江戸の高明な花魁おいらんから拝借したものだという。その名を章一郎は聞いたことがなかったが、花魁に関しては読んで知っていた。剣豪ものの時代小説で、武士を助けた花魁が実は風魔衆ふうましゅうだったという、そんな物語だ。吉原界隈の描写もあって、ふと章一郎はこの温泉街と重ね合わせてみたが、よく思い出せない。


「なんで章一郎まで、こんなところにおるんだ」


「それはこっちが聞きたい台詞よ」


 呆れた顔をして、耶絵子は言った。二人は襖の陰で待ち伏せし、漫才を終えて出て来た百貫女と骸骨男の前で仁王立ちした。凸凹夫婦は悪びれる様子もなく、昨晩から見番に通っていると明かす。


「いい稼ぎになるって話しでね。昼は客も少ねえし、こんなもんだろうけども、本番は夜さ」


 さっきの芸妓が説明した通り、ここには芸人が勝手に来て腕試しするだけで、出演料はない。しかし、御捻おひねりが貰えるのだという。芸妓衆の中には気前の良い者もいて、合わせると小遣い以上の額になると自慢する。漫才を終えた二人が芸妓と何らや会話する光景を見掛けたが、その時、金を受け取っていたのだ。昨晩は客も多く、景気が良かったという。

 

 御捻り目当てで夫婦が出張していることは章一郎はすぐ理解できたものの、疑問が残る。骸骨男こと大柴は、切符も良く取っ付き易いが、臆病者で頭の回転は遅く、悪知恵が働く人間ではない。女房のほうも賢くはなく、ただの飲んだくれで似たようなものだ。見番で漫才を披露して小遣い稼ぎをするといった考えが自然に浮かぶわけもない。


 背後で糸を引くやからが必ず居る。同じく不審に思ったのか、耶絵子がその辺りの事情について詰問した。いつになく、勇ましい口調だった。


堂上どうがみに教えて貰ったんだよ。もっと稼げるような言い分だったが、まあ、これでも不足はねえ」


 案の定、そそのかしたのは口八丁手八丁の奇術師だった。奴ならば花街に詳しく、見番の仕組みを知っていても不思議ではない、と章一郎は合点した。


「稼げるとか言っても、これ、太夫元は知らないんでしょ。内緒でやってるのよね」


 耶絵子が声を張り上げると、広間に居た芸妓が廊下に出てきた。女同士の喧嘩だ。女衆の言い争いは珍しくもないが、漫才師の肥満女と場違いな格好をした美人が揉めている。もっとやれ、と年増が囃し立てた。


「堂上だって隠れて儲けてるのよ。あの男、着いた次の日から出掛けて行って、なんか高そうなホテルとかで、手品してるんだって。あんな子供騙しで小遣い稼げるなんて、そりゃ誰でも真似したくなるわよ」


 百貫女は開き直った。今度は黒いドレスの女が追い詰められている。野次馬がさらに増えて、章一郎は居た堪れなくなった。耶絵子も周囲の下衆な視線に気付いたようで、それ以上言い返さず、悔しそうに唇を噛む。


 騒ぎを聞き付けて、階下から見番の取次とりつぎが飛んできた。喧嘩腰の女二人を落ち着かせて、退館を促す。章一郎は正直ほっとした気分だった。曲芸団の珍客四人で表に出ると、もうひとつの謎が解けた。


 人力車が凸凹夫婦を待っていたのだ。箱屋はこやである。芸妓衆の送り迎えをする職種で、備品や箏などを代わりに担ぎ、お座敷に運ぶ。道中では用心棒の役割も兼ね、沖仲仕おきなかしのように筋骨隆々の男も多かった。


 近場なら昔ながらの萌黄色もえぎいろの風呂敷に箏を包んで担ぐが、この温泉街では人力車が活躍する範囲も広かった。田舎の俥夫しゃふが引く普通の人力車とは違って、座席は鮮やかな朱で、幌の黒繻子くろじゅすには刺繍も刻まれ、幅広の泥除けは金色だ。それに百貫女が乗り込む。


「途中で絶対に壊れるわ。牛一頭乗せてるのと同じだもの」


 聞こえるような声で、耶絵子が言った。ぎしりと軋む音がしたが、俥夫は苦もなく人力車を引き、その後ろを骸骨男がとぼとぼ歩いて追って行く。百貫女は旅館の階段を昇るのさえ大儀そうで、やや離れた花街までどうやって移動するのか謎だったが、種を明かせば仕掛けは単純だ。


 けれども人力車の運賃はそれなりに高そうで、街の住民は利用していない。しかも日に二度往復するという。見番の出演は結構な稼ぎになるのか、などと章一郎が想像を膨らませていると、呼ぶ声がした。俥夫である。 

 

甚之助じんのすけさんから言付けられましてね。黒い服着た別嬪べっぴんさんが出て来るから乗せてけと」

 

 親方の粋な計らいだった。運賃はもう頂戴しているという。二人して、美しい朱の座席に収まる。ほかの箱屋も附近の通行人も、物珍しそうに眺め、滑り出す人力車を見送った。耶絵子は今しがたの喧嘩騒ぎを忘れて、上機嫌のようだ。


「素敵だわ。まるで花魁道中みたいね」


 二人掛けだと座席はやや窮屈で、身体が密着した。流れる街の景色を堪能する余裕はない。章一郎は照れ臭くて仕方がなかった。

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