第五章
『仲間を置き去りにする非情の決断』
配膳が始まるまで、福助はふくれっ面で文句ばかり垂れていた。それが箸を持った瞬間、人が入れ替わったかのように上機嫌ではしゃぎ出す。単純で後腐れがない。章一郎には彼のさっぱりした性格が羨ましく思えた。
「だめと言われたら仕方ない。夢だと思って諦めるさ」
ご飯を頬張りながら言った。口も手も忙しい。連日の釣り遊びが、遂に昨夜、ばれた。釣り上げた時、根魚のひれが当たって、二の腕が赤く腫れてしまったのだ。警告されたような恐ろしい毒はなく、大事には至らなかったが、いつもの衣装で舞台に登ったのが運の尽きだった。腫れた部分は丸見えで、誰の目にも異常と判った。
一方で秘密は守り通した。みんなに釣り遊びを
福助は狙っている漫画本が買えれば、満足のようだった。計算高くなく、諦めが早い性格も悪くない。何ごともなかったかのように、実に美味そうに汁を啜る。甘い卵焼きが大好物だそうで、今夜も章一郎の善からひとつ奪った。
朝食と夕食は一堂並んで大広間で取る。客席を片付け、再び設置するのは少し手間で忙しいが、上げ膳据え膳は気が楽で、自分たちが偉くなったような錯覚に陥る。調理も皿洗いも、食材の買い出し作業もない。
団体客は夕食から宴会に流れ込んで遅くまで騒ぐが、その後に本番が控える曲芸団の座員は、平らげた者から順に席を離れる。福助の正面に陣取る耶絵子は、料理も二品三品手付かずで、浮かない顔をしいていた。
「宣伝を少し早く切り上げて、医院に行ってみたのよ」
良い報せではないと直ぐに判った。昨晩のマチネ直後、耶絵子は太夫元に改めて入院先の場所を尋ねた。面会は出来ず無駄足になる、と太夫元は繰り返したが、しつこく食い下がると教えてくれたという。医院は目抜き通りを越えたところにある大きな市場の近くだった。何往復もした街頭宣伝のお陰で、おおよその見当が付いたと話す。
「楽器持ちの珠代さんは先に帰って貰って、二人で探したの」
市場の周りで迷ったが、地元の売り子に聞いて辿り着けたという。田舎の診療所とは見栄えが違う都会風の医院で、駐車場や夜に光る看板があった。受付も立派で親切に対応してくれたが、やはり面会は叶わなかった。
「それで、お医者さまは何て言ってたんですか」
気懸りなのは瑞穂の容体、その一点だ。朗報はないと承知しつつ、章一郎は
「往診中だそうで会えなかった。それで看護婦さんに伺ったのだけど、しばらく入院することになるって。悪くはなっていないけど、近いうちに退院できるのでもなく、今のところ見通しがつかないそう」
命に別状はないという初日の診察結果を額面通り受け取って良いのか、章一郎は
「誰にも会えないってのは、どういうことなんだい。眠ったままなのかな」
「それも看護婦さんに聞いてみたわ。気を失っていて話せないとかじゃなく、何て言ってたかしらね…見舞いに来る人が悪い風邪を持ち込むみたいな、そんな話し」
「なるほどな」
小人楽団の柏原が少し大きな声で言った。磯釣りの一件以来、柏原は章一郎と一緒に居ることが多く、夕食の席も近い。歌の練習相手であると同時に、釣った魚の換金という秘密を共有する人物でもある。
「瑞穂は肺を病んでいる。そんな時に見舞い客から感冒を移されたら大変だ。
そう断言して肩を叩いた。楽観的かも知れないが、励ましてくれる気持ちは章一郎に伝わった。時に厳しく、時に優しく、仲間を牽引してくれる頼もしい楽団のリーダーだ。不安は少し和らぎ、希望が見えたようにも思えた。しかし、柏原が次に問いかけた問題は重大で、狼男を激しく動揺させた。
「俺たちは何日かしたら次の町に行く。長く入院するってことは、このままお姫さまを置き去りにしてくってことじゃないのか」
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