『あぶく銭を得た狼男と一寸法師の皮算用』

「お越し頂きまして、誠にありがとうございます。どうぞ、深川曲芸団をご贔屓に」


 侏儒しゅじゅの座員が玄関先から門扉、石段にかけて並び、帰路につく観客を見送る。月のない晩だ。道具方は等間隔に立って、石段の暗い足元を提灯ちょうちんで照らす。閉幕後に客を見送るなど初めての体験だった。客たちは興奮冷めやらない様子で、今見た演目を寸評し、異形の芸人について語っていた。


 ソワレは、なかなか盛況だった。満員とはならなかったものの、途中で新たな座布団を何枚か追加した。マチネで失敗した霊交術も、適度な暗闇を生むことに成功し、充分に怪しい雰囲気を醸し出せたようだ。


「きっと街頭宣伝の効果があったのよ」

  

 小人楽団の珠代は、誇らし気に言った。女性陣は午後の長い時間を掛けて、目抜き通りを何往復もした。場所や開演時間を聞かれることも一度や二度ではなく、アコーディオンが奏でる音楽を立ち聴きする観光客も目立ったという。手応えは確かだったのだ。


「福坊はその頃、海で遊んでたらしいわね」


「釣りだよ。遊びじゃない。晩飯の一品は、おいらが釣ってきたものだ」


 嘘ではない。途中に現れた柏原が、磯釣りのコツを指南してくれた。川釣りと違って、底を狙うのだと説く。岩の隙間にも獲物が居て、糸を垂らしてみると本当に釣れた。小人楽団のリーダーは何でも知っている。


 漫然と竿を握っている時は暇だったのに、柏原が来て歌の練習をし始めた途端、忙しくなった。章一郎は何度も歌うのをやめ、釣り上げた魚の処理に追われた。根魚というらしく、茶褐色のと真っ赤のが何尾も釣れた。


 赤い魚はひれに毒があるとのことで、柏原は手拭いを巻き付けて、慎重に針を外した。クラリネットを吹く時間よりも長かったかも知れない。底の見えていた籠が、たちまち一杯になった。そして旅館に戻ると、嬉しいことに女将が買い取ってくれるという。二人は迷わずに換金した。小遣いと呼ぶには相応しくない額だった。


「みんなには内緒だからね」


 客を見送って大広間に立ち寄った福助は、章一郎に念を押した。狼男は黙々と座布団を積み上げている最中だった。どうらや独り占めする魂胆だ。確かに、儲け話を吹聴ふいちょうしたら、明日以降は磯場が座員で埋め尽くされるに違いない。


「同じように大漁とは限らないぞ。今日は潮の加減が良かっただけかも知れないし、隙間に棲む赤い魚をあらかた獲ってしまったかも知れない」


 諭すように言ったが、章一郎が明日も磯場に行くことは決定済みだった。柏原と練習する約束をしていたのだ。入れ食いで慌ただしくなり、クラリネットとの音合わせは中途半端なままに終わった。弦楽器の和音を管楽器の単音に差し替える作業は、思いのほか難しく、柏原も納得がいかない様子だった。


 後ろめたい気持ちもあった。真剣な練習とは言えなかった。再三歌うのをやめ、魚釣りに心を奪われていたことは事実だ。さらに、獲物が金に換わると知った今、欲も出て来る。


「たんまり稼いで欲しかった漫画本を買い揃える。それで花街にも行く」


 あけすけに福助は言う。花街がどんなところで、いくら金が掛かるものなのか知らないが、漫画本は余裕で買えるだろう。章一郎も皮算用する。何日も同じような釣果があれば、結構な額になるはずだ。


 同時に、やましさも募る。一座の者は連日外出する自分を見て、離れた場所で演目の練習を重ねていると信じ込むだろう。励ましてくれるかも知れない。だが実際は、換金目的の魚釣りにご執心なのだ。仲間を欺いているように思えてならない。


 夜の公演が終わり、あらかた片付けも済むと、時計の針は二十二時を指していた。ソワレの開始が遅いのは、夕飯を終えた他の旅館の観光客をこちらに仕向ける為だという。田舎町ならば、とっくに寝静まっている時刻だが、温泉街の感覚は狂っていて、真夜中近くになっても賑わいは絶えない。誉れ高い不夜城の二つ名に偽りはなかった。


 夜の街に勇んで出掛けて行く者もいたが、大半は浴衣に着替えた。座員が宿泊する部屋は四つあった。女性部屋がひとつで、野郎どもは芸人も道具方も入れ乱れて、適当に残りの三室に散る。太夫元の深川は、別の棟に特別な部屋を貰ったのか、姿を見掛けない。


 男部屋は雑魚寝に近かったが、誰もが満足していた。普段は風が吹き入る天幕に転がっているのだ。真新しい畳も清潔な布団も心地よく、備え付けのラヂオまである。前に泊まった廃旅館は煤払いに始まって、虫退治で終わった。それに比べると天と地で、夢のようだった。


「そろそろ、ひとっ風呂行こうじゃないか」


 同室の作造が手拭いを振り回して、みんなを誘った。お目当ての温泉である。豪勢な晩飯より湯浴みを楽しみにしている者も少なくなかった。楽団の坂田などは昼下がりから湯に浸りっぱなしで、指がふやけてしまい、演奏に支障が出る始末だったという。

 

「もう遅いし、ほかの客は居ないだろう。一緒に行こうぜ」


 大男が熱心に誘ったが、狼男は首を横に振った。昨夜と同じ光景だった。瑞穂が医院に運ばれた後、章一郎は心神喪失状態でぐったりしていた。寝返りを打つ気力すらなく、一杯のお茶さえ飲む余裕がなかった。その間、作造は執拗に入浴を勧めたが、生返事で断り続けたという。よく覚えていない。


 ひと晩眠って、気力も少し回復した。食事も喉を通ったし、釣りにも出掛けた。それでも入浴には抵抗があった。福助によると、旅館に併設された温泉は大浴場で、ほかの見知らぬ宿泊者も何人か一緒だったという。その人たちは湯に浸るだけではなく、風呂場で熱燗あつかんを嗜み、長居しているとも聞く。章一郎は毛むくじゃらの裸体を他人に見せたくなかった。見せて、驚かれたり、騒がれたりするのが怖かった。


「その大浴場は、決まった時刻に閉まったりするんだろうか。もし夜半過ぎも開いているなら、後で入るよ」


「どうだろう。夜通しやってるような感じもするな。まあ、湯船を独占するのも悪くない」


 作造は福助たちを連れて湯浴みに行った。優しい巨人は、誘う前から大浴場を避ける理由に気付いていたようだった。みんなに不必要な気遣いをさせてばかりだ…章一郎は厄介者に成り下がっている自分を苦々しく思った。このままでは、本当に曲芸団のお荷物になってしまう。だからと言って、今直ぐに何が出来るわけでもなかった。


 いざ独り置き去りにされると、少し淋しくなった。子供のようにはしゃぐ福助を鬱陶しくも感じたが、気が紛れる作用もあった。床の間に置かれたラヂオを点けてみる。もう番組は終了の時間帯で、風に似た雑音が流れるだけだ。次いで広縁ひろえんの椅子に座ってみる。


 部屋は二階奥にあって、裏手に面しているようではなかったが、窓から見える風景は鬱蒼とした林だった。それでも僻地の山里と違い、木立の向こうに旅館らしき建物の灯りが見える。夜更かしの過ぎる街だ。


 福助が言うには、丘を越えた辺りに鉄道駅があるという。章一郎は目を凝らして遠くを眺めたが、駅舎がある方角には街灯もなく、暗い闇が広がるばかりだ。夜汽車も眠る時刻だった。


 一行が風呂に赴いてから、小半時こはんときが過ぎた。予想通りの長湯で誰独り帰って来ない。章一郎は自分も風呂に行こうと覚悟を決め、何度も椅子から立ち上がったが、腰が引ける。昼間に魚と格闘して生臭くなった両手は、洗面所でしっかり洗った。しかし、潮風に晒された顔や首筋がむず痒い。痒いと思えば思うほど痒くなる。立ち上がって深呼吸し、窓に映る髭面を見た。

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