『キネマ劇場前の不ぞろいな三人組』
質屋の主人は相当な高齢で、度の強そうな眼鏡を掛けている。章一郎を瞥見したが、冷やかしとさえ思わないのか、無愛想にそっぽを向いた。悪くない兆候である。奥の棚に置かれたハモニカを見て、章一郎は迷わずに入店したのだ。
念頭にあったのは中古のマンドリン。糸巻き部分の違いを確かめたかったし、自分の稼ぎで買える楽器なのか、おおよその値段も知りたかった。主人は相変わらず、視線を逸らしている。楽器類は意外にも何点かあったが、マンドリンがないことはひと目で分かった。残念だ。商店街にも楽器屋は見当たらなかった。
諦めて店を出ようとした際、徽章や万年筆が置かれた平台に、不思議なものを見付けた。手の平の半分にも満たない楕円。長い髪の女性の半身像が立体的に浮かぶカメオのブローチだ。
流行りの装身具など知識も興味もなかったが、章一郎は魅入られた。つまみ上げて裏返すと値札が貼ってあった。傷ものなのか、高くはない。出掛けに太夫元がくれた駄賃と同じ額だ。その金を使って途中で串焼きでも買い食いしようと考えていたが、やめた。
「そうだ、これを瑞穂にあげよう」
迷いはなかった。章一郎がブローチの値札を見せて金を置くと、主人は黙って受け取り、またそっぽを向いた。終始無愛想だったが、驚かれるよりましだ。
店の前で、章一郎はブローチを日光にかざして、うっとりと眺め、丁寧にハンカチに包んでポケットにしまった。誰かに贈り物をするのは初めてだ。生まれてこの方、自分が贈り物を頂戴した経験もない。どう言って、どんな風に渡せばよいのか。少し悩ましく、手渡す光景を想像すると恥ずかしかった。
探し物は必死に探すと見付からず、忘れた頃に出てくる。
映画館は駅に近い一角にあった。看板も構えも大きく、田舎町の劇場とは違ってモダンな造りだった。上映中のキネマは最近封切られたようで、題名は知らない。大看板に描かれている主演俳優は西洋人風の顔立ちだが、本邦の作品と思われる。章一郎は立ち止まり、通りから入り口の奥を凝視した。なるほど、内部は薄暗い。その先はもっと暗いはずだ。
「おーい、おーい、章一郎。なんで、こんなとこに居るんだ」
素っ頓狂な声は、福助のものだった。通りを見ると、小走りで駆け寄ってくる。巧みな変装は一発で見破られていた。
「よく分かったなあ」
「帽子、帽子。いつもの帽子」
その声に近くの通行人が振り向く。目立つことは避けたかったが、福助はばったり出会したことを喜んでいるようで、お構いなしだった。
「大きな街は嫌いじゃなかったのかい。で、なんだその格好」
「ちょっと用を頼まれてね。出てくるつもりはなかったんだけど、仕方なくね。福坊こそ、独りで何してるんだい」
一寸法師は親指を立てて背後を指した。小さな頭の向こうに、作造と堂上の姿があった。奇妙な、不可解な組み合わせだった。元来、二人は反りが合わず、野営地でも巡業地でも一緒に居るところを見たことがない。それが、連れ立って街中を歩いている。
「おう章一郎、眼鏡がお似合いだな」
巨体を揺すりながら、迫って来る。大男は上機嫌のようで、章一郎はますます釈然としない。隣の堂上は冷めた表情で、偶然の出会いに驚きも喜びもせず、また嫌がる素振りも見せない。感情を表に出さないのは、奇術師の職業柄と言える。
「もしや、これから三人でキネマを観るのかい」
「いや、そろそろ帰るところさ」
作造は大看板をちらりと見たが、関心はなさそうだった。絵柄も題名も、上映中の作品がロマンスものであることを示唆している。野郎どもが集団で鑑賞するには最も相応しくない分野だ。
「章一郎の言ってる通りだったね。大きな街は厄介なことが多い。人がたくさん居て、その中には頭のおかしい奴も混じってる」
「福坊、嫌なことでもあったのかい」
文句を言っている割には、苛立つ様子もなく、顔は満足そうだ。章一郎の問い掛けに、一寸法師は早口で捲し立てた。彼はいつも一生懸命に話すのだが、本筋とは無関係の感想と余談が多く、分かり難い。時系列も滅茶苦茶だ。帰る道すがら、作造が詳しく説明してくれた。
宛てもなく街を訪れた作造と福助は、暫く散策した後、繁華街の筋にある一杯飲み屋に立ち寄った。すると通りすがりの若い男が因縁を付けてきたという。道端で
「事情を話して、納得して貰おうと思っただけなんだけどな」
「見ものだったよ。暖簾から急に作造が出てきて慌てたんだろうけど、ひっくり返って、赤ん坊みたいに叫んで、見苦しいったらありゃしない。腰を抜かすとは、あのことだ」
男の喚き声で、人だかりが出来た。その中に堂上が混ざっていた。奇術師は腰抜け男を
「あんな珍しいもん、食ったことがない」
一寸法師は嬉しそうに話す。どんな珍味を堪能したのか、章一郎は尋ねなかった。聞かなくとも、この後、繰り返し聞かされることになるだろう。そして当面は、堂上の悪口を言わないに違いない。すっかり飼い慣らされてしまったようだ。作造も同様で、何杯も酒を飲んだのか珍しく酔っていて、気分上々と見受ける。
福助が大騒ぎに巻き込まれなかったことは幸いだが、自分と無関係な美食談義ほど不味いものはない。もう二晩したら、望外の旅館暮らしが始まる…さっきまでは直ぐにも仲間に朗報を届けたくて心を弾ませていたが、今はそんな気分になれない。
影は長く伸び、橋を渡る頃には夕暮れになっていた。
近道して鉄路を歩こうと福助が言い出し、作造も同調したが、章一郎と堂上が却下した。汽笛が鳴り、鉄橋を越える轟音が響く。もし近道をしていたら橋の中央付近か、良くて間一髪だった。
遠ざかる汽車を眺めていた福助は、やがて振り向き、照れるように笑った。
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