『町の風紀を乱す淫らな曲芸団に告ぐ』

 澄み渡った夜空に冬の星座が見えた。二月の乾いた空気が、天体を少しだけ近くに引き寄せている。町には街頭もなく、通り向こうに並ぶ数軒の民家も暗闇の底にあった。女性二人組は既にトラックに戻っている。控室の賭場は続いているのか閉じたのか、判らない。騒音は止んだが、脇を通り過ぎた際、人の気配を感じた。道楽者たちが眠るには未だ夜が浅いようだ。


 その裏手に厨房がある。立派なものではなく、縁日の食べ物屋台より小さい。以前、まかない人が居た時は、客向けの軽食を作って売っていたこともあった。なかなか好評で、実入りも悪くなかったが、賄い人は歳を取って故郷に帰った。病いを患った侏儒しゅじゅと同様、高齢の彼に戻る場所があったのだろうか…章一郎は時折、引退した老人の余生を案じた。

 

 薪は鍋釜の近くに置かれている。章一郎が覗き込むと、何束かあった。明日の飯炊き用に必要だが、三食分でどのくらい使うのか、正確なところは不明だ。作造に百貫女、一座には度を超えた大飯食らいが何人か居る。


 束を数え、頭を悩ませてみても結論は出ない。その時、近くから漏れる灯りに気付いた。太夫元の小屋だ。必要数を聞くのが手っ取り早い。章一郎が外から声を掛けると、深川は起きていて、中に呼び入れた。


「今日も上手く歌えたかね」


 夜に訪ねてきた理由も聞かず、太夫元は章一郎に優しい目を向けて言った。いつもの軽い挨拶だ。し物の出来具合について、細かく指示をしたり、文句をつけたりしない。座員を信じきっているのか、近年は客席の奥から監督することもなく、上演中も小屋に独り籠るのが常だった。ある者はそれを弱った足腰の為だと言い、別の者は曲芸そのものに興味を失くしているのではないかといぶかった。


「相変わらずです。客の入りもよく、少し緊張しましたが、そのぶん拍手もたくさん貰えました」


 嬉しそうに深川は頷く。曲芸に飽きているという噂は嘘だ、と章一郎は思う。太夫元は新聞や雑誌に目を通し、サーカスや大衆演芸の事情に明るい。また流行にも敏感で、いち早く霊交術を取り入れて、目玉の演し物に仕立て上げた。太夫元が曲芸の世界をこよなく愛し、新しい挑戦にも躊躇しないことを章一郎はよく知っている。


「大盛況だったのもあって、恥ずかしながら、また泣いてしまいました」


「恥じることなどない。感情を込めた証だ。歌は聴衆と同時に歌い手の心も揺さぶる。そこが楽器と歌い手の違いだ」


 章一郎に歌を教えたのが、心得のあった深川だった。畸型として生涯を過ごさなければならない宿命を背負った少年に、彼は危険な曲芸を仕込まず、オペラ歌手のような独特の歌唱法を叩き込んだ。例え幼き狼男に天賦の才があったとしても、深川が施した英才教育は声帯を鍛え上げ、一級品の美声を生み出した。


「今晩の興行で、なにか変わったことはありやしなかったかね」


 深川は老眼鏡を膝に置き、顔を近付けた。深いしわの寄る年相応の顔。表情は穏やかだったが、その瞳は不安を宿しているようにも見えた。珍しいことを聞いてくる。太夫元は普段、曲芸の出来不出来に加え、準備の大幅な遅れや段取りの間違えといった失敗さえ気に留めない。


「特に何もありません。いつにも増して大盛況で、終わった後も興奮したお客さんが何人か外に残っていたくらいです」


「それは久しぶりかも知れんな」


「ただ、福坊が足を捻ってしまって少し痛がっていました。僕の見立てでは軽い捻挫で、心配なのだけれど、さっきは気にしていない様子でした。それに…」


 章一郎は言いかけて口を結んだ。軽率だった。堂上と太田の問題を提起しようとしてしまったのである。己の浅はかさを悔い、口の軽さを呪った。それは問題でも事件でもなく、今しがた耳にした良からぬ噂に過ぎない。なにひとつ証拠もなく、慎重に見極めるよう女性陣に訴えたばかりだ。言い淀む姿を不思議そうに見て、深川は尋ねる。


「どうしたのかね」


 確かに堂上はいけすかない中年男で、太田は胡散臭うさんくさい。だが、人を見た目で判断してはいけないと口酸っぱく言っているのは自分だ。反省し、章一郎は言葉をすり替えた。


「それに、瑞穂も体調が芳しくないんです。夜になると咳き込んでいて。感冒かも知れない。悪くならないうちに、ちゃんとしたところで診察を受けさせてあげられないでしょうか」


「わかった。それは早く医者に診てもらったほうが良い。咳止めに効く生薬が箱に入っているから、余分に持って行きなさい」


 咄嗟とっさにごまかした格好だが、瑞穂の体調も心配な問題だ。章一郎が小部屋の中を眺め回すと、太夫元は棚を指差した。救急箱と記された古い木箱が目当てのものだ。包帯や点眼薬、匂いのきつい丸薬などが無造作に詰め込まれている。その中から生薬を取り出す章一郎を見詰めながら、深川は言った。


「薬の置き場所は知っておいたほうがいい。急いで使うことも多いからね。そういった物も、いずれは章一郎が管理しなきゃならんのだから」


 章一郎は少し意表を突かれたが、聞き流し、三包みの生薬を袋に仕舞い込んだ。救急箱の管理は重要な役割とも思えるし、雑役夫の仕事とも思える。意味するところが上手く理解できない。


「それで、用件は別にあったんじゃないかね」


 帰り支度をする章一郎に問い掛ける。今度は忘れていなかった。


「冷え込んでいるようなので、ストーブを使えたらと思って、余分な薪があるかどうかを」


「薪なら明日の朝飯のぶんだけあればいい」

 

 これも意味が分からない。この町で新しい薪が調達できるてがあるのか。今季は薪の入手が難しく、真冬の最中となるとさらに厳しくなる。村人は貴重な薪を流れ者に渡すのを嫌い、高値をふっかけてくると聞く。


「どういうことですか」


「残念だが、明日以降の興行は中止になった。終わり間際に町役場のお偉いさんが教頭先生やらを引き連れて、ここに押し入って来たのだ」


 曲芸団の実態を知った町長は、血相を変えて戻って来た。風紀を乱す演し物を即刻止めろ、と怒鳴り散らし、即刻この町から出で行くよう強く求めたという。畸型を大衆の目に晒すことは許されないとの言い草で、早く出てけの一点張りだった。


「家族連れが何組か来ていたようで、とにかく子供に見せたらダメなのだそうだ。汚い言葉も口にしていたが、言い返さんかった。無理に興行を続けたら、傷付くはお前たちだからね」


 太夫元は寂しそうな、悔しそうな表情で呟く。瞳をよぎった不安の影の正体は、これだった。舞台の裏側で不穏な事態が進行していたとは、想像も出来なかった。章一郎は大盛況のうちに終わった今日の公演を思い起こして、戸惑う。大歓声を上げて熱狂する町の人々と、怒鳴り声で脅す町のお偉いさん方が釣り合わない。なぜ同じものを見て、相反あいはんする感情が爆発するのか。


 前にも似た騒ぎがあった。大天幕の設営中に、市会議員を名乗る旦那がやって来て、長々と説教された挙句、撤収する結末になったのだ。太夫元も粘り腰で対応したが、議論は平行線ではなく一方的で、特に連れ添いの年増が厄介だった。婦人会代表を自称する女は、不具者は保護すべき対象で、見せ物にしてはならないと言い張る。


 どこに保護するのか、食い扶持ぶちをどうやって稼ぐのか、と幾つかの質問を投げ掛けたが、答えは曖昧で、そのうち金切り声で喚き出した。おそらく保護とは、隠すこと、人目から遠ざけることと同義だ。章一郎は、その年増が穢らわしいものを見るような目付きで自分たちを睨んでいたことを覚えている。


「明日は朝から片付けだ。まだ起きている者がおったら、告げといてくれ。仕方ないのだよ。誰が悪いとも言い切れないし、誰も気に病む必要はない。いつか、時代が変われば、お前たちがお天道様の下を堂々と闊歩かっぽできる日も来よう。そんな夢を見る。章一郎、すまんが灯りを消しておくれ」


 深川は、そう言うと布団に横たわって背を向けた。

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