『名探偵さながらに、美女は犯人を指摘した』

「泥棒が居るって話しなの」


 春子は結論から先に語った。予感が確信に変わる。章一郎は真剣な眼差しで二人を見詰め、息を呑んだ。春子は物おじせずに話すが、まだ十代半ばと幼く、順序立てて説明するのは下手だ。


「まだ、そうと決まったわけじゃないの。疑ってるってことよ。あの手品師ったら、最近妙に懐の具合が良いの」


 しっかり者の耶絵子が助け舟を出した。


「イカサマでボロ儲けってことはないかな」


「仲間内に引っ掛かるような間抜けはいないわ。この前も巽さん相手に大負けしてたし。それでも結構な持ち金があるのよ。だから彼が出納係すいとうがかりそそのかして売り上げ金をくすねているんじゃないかって疑ってるの」


 耶絵子も直球を投げつけて来た。思ったより物騒な話しに章一郎は全身の毛を逆立てた。笑い事で済む八百長とは質が違う横領だ。いま曲芸団では、霊交術の演目で助手を務める男が経理業務を一任されている。 


「集金の係っていうと太田さんか。僕らとはあんまり関係ない感じで、よく知らないけど、都会の大きな会社に勤めてたとか…そういえば最近、堂上さんとつるんでるのを見かけるな」


 少し前の巡業先で、設営場所を巡って地回りのやくざ者と交渉する太田の姿を章一郎は目撃していた。その時、なぜか堂上も一緒にいた。また、移動中の休憩で二人が話し込む様子を何回か見掛けている。だが、それだけで怪しいとは言い切れない。一部の例外を除き、この曲芸団では畸型と健常者の間には少なからぬ隔たりがあり、年齢も近い堂上と太田が親密であっても不自然ではない。


「太夫元は舞台を観に来ないから、客がどれだけ入ったかも判らないでしょ。嘘の報告をすれば、いくらでもくすね取ることが出来るわ」


 耶絵子は自信ありげに言い放つが、はっきりした証拠もなく、疑いは疑いに過ぎない。章一郎は反応に戸惑った。


「木戸に座ってるのは、春子じゃなかったっけ」


 強面こわもての男が座っていたら入ってくる客も入って来ない。愛嬌のある春子が呼び込みを兼ねて入場者をさばいていた。看板娘である。


「問題はそのあと。春子は演し物の準備があるので、受け持ちは開演時間までと決まっていて、代わりに座るのが太田なの」


 まるで本物の女優のようだった。トリックを暴く名探偵さながら大仰に、芝居掛かった口調で、耶絵子は言った。章一郎はその辺りの事情に暗く、太田の意外な役回りを初めて知った。開演前に小人楽団が常役じょうやく*を務めることも多かったが、畸型の座員はほとんど姿を見せない。その中でも異様な容姿で最後に客を驚かす役回りの狼男は、奥の奥に身を潜めるのが常だった。


「親父さんに告げ口したほうが良いかしら」


 春子は唇を噛み締めて、堂上らが居る天幕の方向を睨んだ。この少女も胡散臭い中年男どもを毛嫌いしているようで、直ぐにも糾弾しそうな勢いだが、確証はなにひとつない。対照的に章一郎は、ことの重大さを理解しつつも冷静だった。


「怪しいってだけじゃ、難しいね。証拠を揃えておなきゃ、いくらでも言い逃れ出来る。それに無闇にことを荒立てて、辞められても困る」


 予想外だったのか、耶絵子が吹き出した。


「あんな手品だったら、わたしでもやれるわ。春子だって章ちゃんだって、一日練習すれば明日から奇術師よ」


「ああ、違う違う。太田さんのことだ。聞いた話しだけど、霊交術の演目って人気があるらしんだ」


 霊交術という怪談調の風変わりな演目は、有名な曲馬団の余興で話題になった。演者は来日した外国人夫婦で、同じペテンであったが、ほかの芸人が真似しても失敗が多く、本邦ではすっかり廃れてしまったという。その中、今も霊交術を披露し続けている深川曲芸団は特異だった。神秘の霊交術師を自称する葦澤の代役はいくらでも居るが、真の主役である太田は余人をもって代え難い。


「あれ、不思議よね。いつお客さんの財布を抜き取っているのか、いまだに分からない」


 思い当たる節だ。太田という男はその筋のプロフェッショナルではないか…良からぬ想像がふと頭に浮かんだが、章一郎は言葉にしなかった。横領ならば早く摘発しなければならない。しかし、簡単に手掛かりが掴めるとも思えない…章一郎の悩ましげな様子に勘付いたのか、耶絵子は穏便に幕を引いた。


「ちょっと頭に入れて、注意を払いましょう。章ちゃんも目を光らせておいて。それで、あなた水を飲みにきたんじゃないの」


 会話に夢中になって、大切なことをすっかり忘れていた。章一郎は勢い良く、コップの水を二杯飲み干した。そして、もう一度丁寧に汲み上げ、一礼してその場から立ち去った。

 

 ひどく遅刻したにも拘らず、瑞穂は何も聞かずに喉を潤し、床に伏せた。暫くして小さな寝息が聞こえて来ても、章一郎は自らの愚かさを悔い、自問した。


 相談すべきは瑞穂の体調不良だったのではないか。女性陣に隠していることに何の意味があるのか…それこそ早急に取り組むべき問題だ。一方で、犯罪の疑いも見逃せない。相手は愚痴をこぼす程度の不満分子ではなく、放置すれば実害が広がる。


「どうしたものか」


 考えを巡らせても、名案は浮かんでこない。章一郎は読み書きも達者で、そろばんも得意だった。お世辞半分にせよ、幼い頃は神童と呼ばれたこともある明晰な頭脳の持ち主だ。しかし、所詮は弱冠の若造で、人生経験も浅い。物心がついて以来、曲芸団以外の世界を知らずに育った。ほかの畸型と同様に、人付き合いに関しては無知も甚だしく、複雑な問題に対処できなかった。


「まだ寝ないのかい」


 闇の奥から一寸法師がひょっこり顔を出した。福助は章一郎の隣りで寝ることが多かったが、今夜は所定の位置にいなかった。どこかで続きを読みふけっていたのか、ページの破れた漫画本を携えている。


「そろそろ眠る頃合いだよ」


 福助は無類の漫画好きだ。古い少年雑誌を繰り返し読み、給金をはたいて新刊を買うこともあった。章一郎は自分が愛読する冒険小説を薦め、一時は熱心に読んでいたが、難しい漢字に突き当たって挫折した。漫画本はルビが振ってあって、読み方を聞きにくることはない。それでも時折、章一郎を頼ってくる。物語の展開が、飲み込めないというのだ。章一郎も困った。


 世間の常識や社会通念、普通の家庭の暮らしぶりなど、理解が及ばない部分がある。大所帯の生活、親と子の関係、学校の仕組み…子供なら誰でも体験する事柄を章一郎は知らず、想像もつかない。冒険小説も漫画本も楽しく、胸が踊る。しかし、自分が異質な世界の住人である事実を突き付けられ、途方に暮れることも少なくなかった。


「続きは明日にとっておいて、おいらも寝ようかな。冷え込んできたし」


 章一郎は相槌あいづちを打とうとして、やめた。寒いのも暑いのも、実際のところ良く分からない。幼い頃、不躾ぶしつけな大人に『毛皮を着ているから』と揶揄されたことが、思い出したくもない思い出として記憶に刻まれている。全身を覆う体毛に冬毛も夏毛もなく、感覚に大差はない。そう理解していても、寒いだの暑いだのと言うことには抵抗があった。


 隙間風は相変わらずで、吹き寄せる間隔はやや狭まっている。木戸の方に目を向けると、瑞穂はすっかり寝入っているようだ。それでもストーブを灯したら、みんな安眠できるに違いない。


「余分な薪があるかどうか、確かめてくる。福坊は先にお休み」



<注釈>

*常役=木戸口で客の呼び込みなどをする従業員の古い呼び方

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る