『狼男のバラッド』

 大きく開かれた幕の後ろに、最も輝かしい別の舞台があった。鮮やかな、様々な色のスポットライトが、着飾った小さな女性を照らし出す。黒い絹のドレスに身を包み、不相応な大きさの弦楽器を乳児のように大切に抱いている。妖精を思わせる小女は、瑞穂という名の侏儒症の成人女性だった。


 目鼻立ちの整った素顔にさらに薄く化粧を施した彼女は、キネマの女優と見紛うほどに美しくかった。妖艶な雰囲気を持つ耶絵子とは違った類いの美女で、瑞穂は穏やかな表情に気品を備えていた。また温厚で面倒見も良いことから、いつしか一座では、童話のヒロインを真似て親指姫と渾名あだなされた。


 出口に向かった客も立ち止まり、新たに出現した舞台に目を凝らした。瑞穂はゆっくりと演奏を始める。爪弾くのはギターラなる舶来の弦楽器で、本邦では極めて珍しいものだった。美しくも切ない音色が天幕に響く。客は聞きなれない西洋風の調べに耳を澄まし、親指姫の容姿に見入った。

 

 人は本能的に畸型を怖れる。その者が醜い心の持ち主なら、何ら躊躇うことなく排斥し、共同体の外に追いやる。だが、美しい不具者に出会った時の反応は複雑だ。人々は彼や彼女らの不幸な境遇を憂い、悲しみを共にする。


 この小さ過ぎる姫も、平均的な体格であれば周囲から町一番の美女と持て囃され、まったく異なる人生を歩んでいたに違いない。それが、ただ背丈が幼い学童ほどであるがゆえ、無名の曲芸団でドサ廻りを続けている…ある者にとって、異形の美男美女は、過酷な宿命の象徴のように見える。


 ギターラを奏でる親指姫の隣に現れた歌い手も、観客を戸惑わせる素質を備えていた。運動選手のように立派な体格を持ち、背丈も並の男より大きかったが、その身体は剛毛に覆われている。単に毛深い男ではない。俗に言われる狼人間。この章一郎という名の青年は、顔も毛に侵食されていた。


 遠目には荒くれの山男にも見えるが、額から目の縁、鼻に至るまで黒々とした毛が密生している。二の腕から手の甲、薄手の服の下に透けて見える胸元にも体毛が確認できた。


 顔面に及ぶ畸型は見る者に強烈な印象を与える。傴僂男せむしおとこの曲乗りに感嘆し、百貫女と骸骨男に喜劇で笑い、異形の輩に対して親近感を覚えた客も、唐突に登場した人狼に怯んだ。しかし、目を背ける客はいなかった。戸惑いを引き起こしたのは、野生そのものの風体と不釣り合いなテノールの美声だった。


  雲の揺籠ゆりかごに 乗せて流されて

  その時から僕は 黒き服まとい


 滔々と歌う章一郎の声に、瑞穂の伴奏が艶やかに絡まる。美女と野獣が綾なす祈りの曲が、粗末なテント小屋をオペラ座に変えた。章一郎は目を閉じ、口を大きく開けて一心不乱に歌い続ける。熟練の歌い手のような素晴らしい歌唱だ。曲は英吉利いぎりすの古いバラッド『スカボロー・フェア』で、歌詞は彼が創作した。


  孤独な旅路で 祈りを捧げて

  目を閉じ悲しみ 微笑みも消えた

 

 前方の客は異変に気付いた。狼男の瞼から光るものが溢れている。章一郎は歌いながら涙をこぼしているのだ。舞台でこの唄を歌うたび、彼は泣いていた。そこに自らの哀しい宿命が秘められていることを客は知らない。激しく、優しく、歌劇のように情熱を込めて歌う。

 

  凍て付く心に 映る影かすか

  枯れ野に咲いた薔薇 一輪の棘よ


 尽きる気配のない野獣の涙は、観客をさらに戸惑わせた。一級品の歌唱と演奏ではあるが、これは何の為の演し物なのか、どうにも要領を得ない。瑞穂は時折り慈悲深い視線を歌い手に向けては、力を込めてギターラを掻き鳴らした。章一郎は剛毛に覆われた腕を振り上げ、目に見えぬ誰かに想いを捧げるかのように抒情的じょじょうてきに歌った。


  安らぎも知らず 眠りから目覚め

  辿り着いた地にも 尋ね人はなし…

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