『天幕の底で蛭娘の四肢が蠢く』
天幕の賑わいをよそに、太夫元の深川は椅子に深くもたれ掛かり、パイプを
窓から見える景色は、真冬の田舎町の夜そのままに
深川が曲芸団の経営に着手したのは二十年ほど前のことであった。彼はかつて大サーカス団で
一方、彼が所属していた「新帝都チャリネ*」も事業の無謀な拡張が原因で破綻し、四つの小さな曲芸団に分裂した。深川は自転車部の座員らを誘って自らの一座を旗揚げした。創設当時の深川曲芸団はほかのサーカス団と比べても決して見劣りしない規模を誇り、サイカホールなど大仕掛けの自転車芸を披露していた。
しかし、時の潮流にうまく乗れず、相次いで座員が離れて規模は小さくなり、ついには自転車を操る芸人が一人しか居なくなってしまった。以後、深川は志を変えて自らの一座を地味な奇術と畸型を売り物にする行儀のよろしくない曲芸団に変貌させて行った。
何が彼をそうさせたのか…深川は天幕から聴こえてくる笑い声に耳を傾け、椅子の上で
舞台では
他方で夫の骸骨男は明らかな畸型だった。飢えた孤児のように不憫で酷たらしい
枯れ木と怠惰な牛が演じる寸劇は、
「さて、次は可憐な少女による曲芸をお楽しみ下さい。いまだ幼さも残る齢十五のこの少女は
底が抜かれた細いドラム缶のような筒が舞台に置かれると、袖から現れた蛭娘は筒に肘掛けて微笑んでみせた。蛭娘は純白の体操着を着ていて、売り文句の身体的欠陥を外見から窺い知ることは出来ない。実際、この少女は畸型ではなく、柔軟性に優れた身体を持っているに過ぎなかった。
だが、深川曲芸団において異類異形は美徳であり、才能であった。その為、少女は畸型と紹介されることを厭わず、逆に、少しばかりの誇りを持っていた。
まず、蛭娘こと春子は手始めとして股を大きく広げ、身体のしなやかさを示した。両脚は滑らかに開かれ、骨がないかのように見えた。蛭娘は脚を伸ばしたまま尻を床に落とすと、その姿勢から次に胸と頭を前方に倒し、両手を左右に大きく広げた。暗がりの中で白い浜のように輝く舞台、宵の月灯りにも似た照明の下、一匹のヒトデが夢を見ている。
「男性の胴回り程しかないこの鉄の筒を、今から蛭娘が潜り抜けてご覧にいれます。見事成功いたしましたら、盛大な拍手を」
舞台袖で耶絵子が大仰に解説を加えた。
後見役が筒を立て、その傍らに高さ半分ほどの台を用意した。ヒトデは起立して台に登り、筒の上縁に腰掛ける。単に頭から入るのではなく、尻から先に筒に入り、両脚と胸を密着させるかたちで潜り込むのであった。
蛭娘の身体は吸い込まれるようにして筒の中ほどにストンと落ちた。その瞬間を見計らって後見役が筒を抱え上げ、中身を客に見せる。少女は暗い筒の奥で塊となっていた。
次いで後見役は筒を床に横たえ、揺れぬよう支える。蛭娘は土の中で蠢くミミズのように柔軟な身体を駆使し、尻を先して筒から抜け出た。少女の白肌は摩擦で桃色を帯び、痛いしくも見えた。擦れた肌の傷みにも負けず、蛭娘は誇らしげな面持ちで客席を仰ぎ、喝采を頂戴した。
蛭娘は柳の枝のような
最後の芸も筒抜けに劣らず、圧巻だった。二人の
お椀のような半球に尻を落とし、膝を折る。上半身の大部分は見えているが、少し時間を掛けて徐々に沈んでゆく。蛭娘の顔は苦痛で歪んでいるようだった。それが演技だとは気付かれない。客たちは心配そうな表情で、自らを収納する少女を見守る。
顔を
完成度の高い驚愕の芸でありながら、か弱い少女による痛々しい演目でもあった。およそ見物客は、洗練された優雅な芸よりも、陰惨な匂いが漂う背徳で猟奇的な芸を好み、惹き込まれる。
公演も終盤に近付き、もはや観客は畸型たちに驚くことも目を背けることもなく、素直に迎え入れていた。蛭娘による秀逸な芸の後、舞台上では大掛かりな奇術の準備が始まった。
<注釈>
*二丁撞木=空中ブランコ。撞木はバーを指す。
*チャリネ=明治十四年に来日したイタリア最大のサーカス団『キャリニー(Chiarini)』に由来し、サーカス全般を意味することもあった。
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