『霊交術師が暴きたる暗闇のスリ犯』
「尊き神霊の宿る熊野の山奥で修行を積み、霊術を磨かれた葦澤先生のなせる
窮屈な姿勢で座り込む客を掻き分けて助手は初老の紳士に近寄ると、タバコを求めた。差し出された箱の中から四本のタバコを抜き取り、ほかの客に数を確認させた。
「よろしくご覧下さいませ」
今回は客に向けられた言葉の中に暗号が含まれていた。
「先生。わたしが持っていますタバコの本数が分かりますでしょうか」
「うむ、四、四本」
観客は盛大な拍手を惜しみなく舞台に捧げ、中には起立して驚愕のほどを示す者もいた。助手は品を変えて次々に透視術を成功させ、畏怖と敬意の混在した喝采を葦澤に送り、トリックが見破られぬうちに芸を終えた。
照明が再び輝き、薄闇に包まれていた天幕内は活気を取り戻す。次の演目を整える為の小休止、しばしの休憩時間である。偽霊交術師が創り出した不気味な空間に浸っていた客たちは緊張から解き放たれ、一斉に話を始めた。小人楽団の演奏を褒め称える者、奇術師の単純な手品を小馬鹿にする者、畸型の座員について声を顰めて語り合う若者の一団、天幕の粗悪な造りを評論する職人風の親爺。その中、男の叫ぶ声が響いた。
「ないぞ。誰かおれの財布を知らぬか。畜生、盗まれた。スリだ。ここにはスリがおるぞ」
悲鳴にも似た怒号に会場は騒然となり、天幕の中は一瞬にして緊張に包まれた。男は客席を巡回する菓子売りから何かを買おうとして、財布がないことに気付いた模様だ。男は楽屋口に駆け寄り、事情を話す。申し出を受けて、進行役の耶絵子が舞台袖から客に呼び掛けた。
「こちらのお客さまが財布を
「いや違う。落としたのじゃなくて、盗まれたんだんだよ。警察を呼べ。いいか、誰も外に出るんじゃないぞ」
「待ちたまえ、諸君」
耶絵子の背後から、霊交術師・葦澤が再び姿を現した。
「わたしは、すべて見通しているのだ。この紳士の財布は確かに盗み取られた。わたしは財布の
指名されて狼狽する男を屈強な青年が召し捕り、上着の外ポケットにある財布を見つけ出した。客席から罵声が飛び、険悪な雰囲気が漂うと、葦澤はそれを牽制するかのように話を続けた。
「乱暴してはならぬ。その男性はスリではなく、中継に利用されたに過ぎない。盗んだのは別の人物だ。真犯人はその男性のポケットに財布を忍ばせ、外に出てから再び
犯人扱いされた男は、それでも震えていた。小心者の善人のようで、顔は痙攣し、青褪める。
「わたしは真犯人が財布を奪い、別の者のポケットに入れる一部始終を見ていたが、立証することは不可能だ。なぜなら、その時、わたしは目隠しをして後ろを向いていたのだからね。残念だが、ここで犯人を追及するのは諦めよう。君、財布をこちらの紳士に返してくれたまえ。あなたもそれで矛を収めて下さらんか」
狂乱した男は憮然と財布を受け取り、葦澤は新たな称賛を得て戻って行った。しかし、霊交術師の芸が続いていたことに気付いた客は誰一人いなかった。舞台が暗転した際、客席を巡っていた助手が隙を見て財布を掠め、別の男のポケットに仕舞い入れていたのだ。これは、機会を窺って助手が仕組む余興のひとつで、今夜は見事に成功した。
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