『千里眼を持つ東洋の魔人』
舞台正面に垂れた
黒塗りの革が剥げ落ちたサドルにしがみ付き、必死の形相で曲乗りする巽の姿は、見る者に
大サーカス団では一輪車の綱渡りといった至極危険な芸が流行っているが、巽の演ずる一輪車の芸は、舞台の端から端へと音楽に合わせて往復するだけの単調なものだった。しかし、曲乗りは添え物であって、見せ物になっているのは明白に巽の哀れな体躯に他ならなかった。客の視線は傴僂男の異常な手足の反りと背中の
乗馬服を模した派手な衣装に身を包み、巽はただ口を
客は
当初の危うい一輪車捌きは巽の演技だったのだ。傴僂男は幾度も客とボールを投げ合っては、その度に達者な一輪車曲乗りの芸を披露し、万雷の拍手を貰った。最後に、巽はボールを受け取ると背中の瘤に
しばしの沈黙が風に軋む天幕の内を支配した後、舞台を照らす灯りが弱まり、一筋の光を残して薄暗闇となった。アコーディオンの低い不協和音を伴って、まるで廃屋の壁に浮かび上がる亡霊のように、進行役の耶絵子が出現した。
「次なる演し物は、世にも不思議な千里眼を持ち、人の心を自在に読み取る東洋の魔人、当代随一の
照明が完全に落とされ、天幕の隙間から漏れ入る外の明かりが、死にゆく蛍の淡い光のように蠢く。不安が客席を覆う。薄暗闇の中で周囲を窺う客たちが、青い照明に包まれて舞台に立つ霊交術師を見付けた時、天幕は複数の悲鳴に揺さぶられた。
霊交術師・葦澤は傍らに助手を従えて直立し、闇の中の一点をみつめていた。浅黒い顔、
「それでは」
霊交術師は重々しく口を開き、助手に指図した。傍らの男は手ぬぐいを葦澤の頭に巻き付け、両目を覆い隠す。その目隠しをさらに強く締め直し、客に背を向けて厳しく構える。アコーディオンの嫌な音色と青い照明が、天幕内の景観をいっそう陰鬱にさせ、客たちを霊交術の世界に
「失礼ですが、お持ちの鞄の中を覗かせて下さい」
女性客は
「みなさま、この手にした物が何色であるか、お分かりでございますね。偉大なる霊交術師、葦澤先生は目を封ぜられ、この物が見えようはずがございません。しかし先生は心の目、第三の目ですべてを見通していらっしゃいます。それでは先生、みなさまがご覧になっている物の色は、いったい何色でございましょうか」
「緑」
葦澤は間髪を入れずに返答した。
観客は葦澤の操る神秘の術に驚き、感嘆した。助手は沈着な態度で次の客を探して会場を巡り、木戸の近くで独り
「暗くて少し見えにくいやも知れませんが、この色が何色か、みなさま分かりますでしょうか」
助手は客に向かってそう言うと、黒い革製の財布を高く持ち上げ、確認をとった。
「さてさて先生、この物は何色でしょうか」
「黒」
再び葦澤は的中させた。会場は乾いた熱気に
しかし実のところ、偉大なる霊交術師・葦澤は洋行帰りの医師でもなければ、超人的な能力を得た仙人でもなく、単なる芸人の一人に過ぎなかった。その不可解で神秘的な霊交術は、ごく簡単な仕組みから成っていた。
真の主役は、補佐するだけに見える助手で、舞台上の霊交術師と交わす言葉の中に暗号が隠されているのだった。助手は客から取り上げた品物の形状や色を
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