『熊殺しの巨人と葡萄の実』

 一寸法師に次いで壇上に登った者は、怪力芸の大男・作造だった。鉱夫を思わせる薄汚い身なりと虚な瞳は、その優に二メートルを超える巨躯を印象深いものとし、彼を怪物たらしめていた。楽団の侏儒たちと比すれば二倍余りの身長差であったが、観客の目には、落差の激しさより小男の三、四倍の体躯を誇る不気味な巨人として映ったに違いない。舞台上に浮かぶ異形の隻影せきえいに、最前列の人々は怯み、かしこままった。

 

 山門に立つ仁王像のように作造は莞爾かんじともせず、鋭利な眼差しで客席を見廻し、客を威嚇する。袖から後見役こうけんやくが鉄棒や瓦の載ったテーブルを運び込み、巨人の前に据えた。


「素手で熊を殺し、片腕で電柱を引き抜き、猛牛を仔犬のように抱え上げる怪力の持ち主。いま世界で最も背の高い男、作造の人間業とは思えぬ力をとくとご覧下さいまし」


 進行役の耶絵子が名を告げるや否や、作造は錆びた鉄の棒を手に取り、一気に曲げた。そして、さらに太い鉄棒を鳩尾みぞおちの前で軽々とへし折り、客に向かって微笑んで見せた。


 拍手よりも先に安堵の吐息が客席から漏れた。概して、人並み外れた巨体を持つ男は、その動作の鈍さから知恵が遅れていると決め付けられたり、粗暴な狂人と連想される傾向がある。兇器を握る作造に対し、客が本能的に怖れを抱くのも無理はなかった。作造はへの字に歪んだ鉄棒を背後に放り投げ、胸を大きく反り返らせて気炎を吐いた。


 後見役が瓦を机に並べる間、作造は百科辞書破りに竹割りと次々荒技をこなし、客の反応を確かなものとした。後見役は厚い瓦を丁寧に四枚重ねて机上に整えた。正面から見ると、机の縁辺りに巨人の膝がある。作造は幾度が深呼吸を繰り返し、緊張の度合いが増してゆくのを確認すると、雄叫びと共に拳骨げんこつを振り落とした。


 百枚の皿が一度に割れたかのような破裂音が鳴り響き、瓦と共にテーブルの脚も砕かれた。驚愕の波が客席を襲った。脚には仕掛けがあって、昨夜も同じ光景を見た客も少なくなかったが、凄まじい破壊行為を目の当たりにしてひどく興奮する者も居た。


 粉砕した瓦とテーブルを片付ける為に再び後見役が現れると、作造は赤みを帯びた拳を掲げ、拍手を求めた。その様子を窺いながら、耶絵子は客に呼び掛けた。


「ご覧頂きました通り、巨人作造は類い稀なる怪力の持ち主です。これから、作造がいったい何人の人間を同時に持ち上げることが出来るのか、挑戦してみたいと存じます。つきましては、お客さまの中から我と思う方に舞台に登って頂きまして、作造の腕試しに協力して頂きたく存じます。どなたか勇気のある方はいらっしゃいませんか」


 客たちは戸惑い、見ぬ知らぬ者同士が怪訝けげんな表情で向き合った。塔のように聳り立つ巨人の傍らで、進行役は出演を乞い続けていた。肩を突きあってたわける若者、不安そうに背後を顧みる老人、横目で作造を瞥見べっけんしては露骨に気味悪がる婦人。客のほとんどが怪物との接触を敬遠し、左顧右眄するばかりだった。


 ついに、一人の男が覚悟を決めて舞台に駆け登ると、三人の少年が追従した。低く身を屈めた作造の丸太のような腕に四人の客がぶら下がっる。あたかも摘まれる直前の葡萄ぶどうのようだった。


「この程度では少しも揺らぎません。まだまだ持ち上げられます。ほかに参加して下さる方はいらっしゃらないでしょうか」


 赤いドレスをまとった進行役は、立錐の余地もない客席を眺め回して言った。

 

 男勝りの婦人が威勢よく挙手して舞台に進み、笑いを誘った。その和んだ雰囲気に誘われ、少々酒気を帯びた中年の男と学徒風の青年が怪物の腕に生える果実となった。作造が高々と手を上げると、婦人は悲鳴を発して床に墜落した。再び会場には笑いが溢れ、釣られて巨人も笑みを浮かべた。


 作造は、勇気ある客たちを両腕に吊り下げたまま、雑草生い茂る草原のような客席へと降り、しばし練り歩く。そして腰を折って果実を地に還すと何も言わず、不器用な笑みで感謝を表現し、舞台裏に消え去った。

 

 天幕を貫くほどの喝采の中で、舞台に上がった客は凱旋する英雄さながらに胸を張り、自らの席に戻って行った。迎える者たちは、着ている服こそ貧しく見窄みすぼらしかったが、その笑顔は偽物ではなく、見開いた目は彩りを失っていなかった。衣料も食糧も乏しいこの時世にあって、人々の心は日常から遠い異質な世界を求めて止まない。


 忽然こつぜんと出現した曲芸団が提供する数々の演し物は、華美を極めた映画にも勝り、見物客をたやすく幽玄の地に導き入れる蠱惑的な力を有していたのだった。客の中には店を中途で閉めて来場している者もあった。

 

 祭りごとは平凡で煩瑣な生活の一部を放擲ほうてきさせ、規範を謹直に守ることを忘れさせた。昨夜、予告もなく現れ、僅かな人々を魅了した深川曲芸団は、瞬く間にして町内のあらゆる場所に話題をもたらしたのだ。その噂は真贋を疑わせるほどに突拍子もなく、奇妙だった為、半信半疑のままこの天幕を訪ねた者が多かった。畸型の曲芸が見られる、侏儒の唄が聴ける…といった不埒で背徳的な想いに駆り立てられて、人々は一座の公演に臨んだに相違ない。

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