とある少女の話
城島まひる
本文 -願いの成就-
無機質なコンクリートの壁に囲まれた真っ暗な部屋の中、ディスプレイの光だけが光源となり 2 つの人影を浮かび上がらせていた。1 人は白髪の少女、もう 1 人は白衣の男。
白髪の少女は髪を頭の横で 2 つに括り、フリルブラウスに赤いフレアスカートそして茶色いブーツを履いていた。白衣の男性は高身⾧ではあるが痩せこけており、無精髭と目の下の隈がこの男の不健康さを物語っている。
しかし目には強い生気が宿っており、己が仕える神を前にした熱心な信奉者然とした雰囲気を纏っていた。そうまるで少女を神として見据える様に...
「ここまで⾧かった...」
「えぇ...」
「やっと...やっと叶ったのだ」
「えぇ...お疲れ様」
白衣の男の言葉に少女は短く答える。それは冷たく突き放すような態度ではなく、言葉で語るのは不要だと、⾧い時間を共に過ごした者同士にのみ見られる様子だった。誰が語るでもなく少女は知っているのだ。目の前の白衣の男がどれだけ⾧い歳月を、自身の知力を、体力を、たった一つの目的に費やしたかを。ずっと見てきたから。
「ゆっくりおやすみなさい」
「あぁ...そうさせてもらおう」
少女は白衣の男をそっと抱き寄せる。男は膝をつき少女に寄りかかると、少女の豊満な胸に顔を埋めた。
「ちょっと...」
「男なら一度はやってみたいと思うものだ許してくれ」
別に構わないけどと答え少女は男の頭をそっと撫でる。遠慮気味に身体を預けてくる男を、少女はそっと抱き寄せる。そしてあまりの男の異常さに気が付いた。
(あまりにも軽すぎる...)
思えば男はろくに食事を取ったことがないのではないだろうか?いつも栄養補助食品ばかり食べていた。睡眠も 3 時間寝ればいい方で、横になっても寝つけている様子はなかった。
「ねぇ
博士と呼ばれた白衣の男は不思議そうな、何を求められているのか分からないような戸惑った表情を浮かべた。しかし食事の事を言っていることに気付き、ぱーっと子供の様に無邪気な笑顔になる。
「ああ!美味いのを頼むよ」
その時、始めて見た博士の幸せそうな顔を私は一生忘れないだろう。台所は案の上、汚れており冷蔵庫の中もほぼ空だった。私は取り合えず使えそうな食パンと卵、ベーコンと異臭がするチーズを取り出すと作れそうな料理のレシピを検索する。スマートフォンなどという便利な物はないので、自分の頭の中の知識というデータベースでだが…
そして出来上がったホットサンドはお世辞にも美味しそうとは言えなかった。なりよりも食パンの表面が焦げている。それに加え異臭が鼻を突いてくる...いやこれは腐りかけのチーズが原因だ。これは作り直すしかと思ったが、後ろからそっと近づいてきた博士はホットサンドを見ると鼻で笑う。
しかしその笑いに嫌味はなく、むしろ家事を手伝おうとして失敗した子供を見守る愛がこもっていた。
「なんだ美味そうじゃないか。さぁ食事にしよう」
「どこが美味そうなのよ...」
栄養補助食品よりマシさと博士は答えると机の上にあった試験管やレポートを床に払い落とす。もう用済みなのだろう。私が 2 人分のホットサンドを皿に盛りつけていると、博士はアッと手のひらを叩き部屋奥の暗闇へと姿を消した。しばらくすると博士は満面の笑みを浮かべ、ワインボトルを抱えながら姿を現した。
「実は以前、共に研究をしていた男が研究の完成祝いに飲もうと言って用意してくれていたんだ」
博士はワインボトルを机に置くと慣れた手つきで、使用済みの紙コップに赤い液体を注いでいった。私もぼんやりとだが覚えている。博士とは対照的で白髪の整った顔立ちとよく通るはきはきとした声、そして清潔感あふれる若者が一時期助手を務めていた筈だ。しかし彼は一身上の都合で博士の許を去った。去ったのは確か...博士が私の存在に気付く 4 日ほど前だったと思う。でもそんなことはもうどうでも良い。
私が机にホットサンドとフォーク、ナイフを持っていくと博士はガラス細工を扱うような慎重な手つきでホットサンドをナイフで切り分け口に運ぶ。そして涙した。博士は涙を拭く事はせず夢中になってホットサンドを切り分け口に運んだ。私は急いでコップに水を注ぎ博士に渡す。喉に詰まらせたら大変だ。 博士は私が持ってきた水を一気に飲み干すと、良い嫁になれると冗談めかして言った。そういう冗談はやめて欲しい。
私はホットサンドを作る際に毒を仕込もうか悩んでいた。別に博士に恨みはない。けれど死こそ博士が望んだものだった。正確には私に殺されることが望みだった。そのために博士は 12 年という歳月をかけて私という怪物を造った。培養槽の中から見る博士の姿は悲惨なものだった。何度やっても報われることの無い実験。
その度博士は物にあたっていたし、それで怪我をする事もあった。ついにはその怪我が原因で熱病に侵されることもあった。
そんな博士を私は悲しげに見ていた。いつも...いつも...いつも...いつも...いつも見ていた。そして好きになった。必死に成し遂げようとする博士の姿に惹かれて。私はかなり前から培養槽の中にいた。けれど博士は気付く様子はなくて...でもある日、博士と目が合った。その時、私には物理的な目はなかったけど...
その時やっと博士は私の存在に気付いた。気付いてもらえた。それからの事はあまり憶えていない。けれど気づいたらこんな素敵な体を、凛と響く鈴の音の様な声を、博士は与えてくれた。
そして博士は私を培養槽から出した日に言った「僕を殺してくれ...」と。
意味が分からなかった。分かりたくなかった。なんで?どうして?疑問符で思考が埋め尽くされる。
「僕はね...死ぬのが怖いんだよ。ある日、信号無視した車に轢かれ突然の死を与えられるかもしれない...寝ている時に自然災害が起きて気づかずに死んでしまうかもしれない。そうでなくても空き巣に偶然会って殺されるかもしれない...。死とは人にとっての全ての終わりだ。ならせめて終わりのタイミングくらい自分で決めさせてくれったいいじゃないか!」
訳が分からなかった。博士が何を言っているのか。でも博士の願望は理解できた。彼は
でも出来るわけがなかった。だからこうして毒殺を選ぼうとした。本当は自分の手で殺してあげるべきだったのだろう。でも好きになった人を殺すなんてこと出来るわけがない。だから私は毒を入れる事ができなかった。
そして今ここで博士を手に掛ける勇気もない...
博士は狂っているのだろうか?それとも人間として生を受けたものとして、当たり前の感情を抱き葛藤しているのだろうか?
あの時私は。死を懇願する博士に言ったのだ。その言葉は博士にとってきっと、拒絶に近い言葉だったに違いない。
「生きて...下さい。博士。貴方にとって私が
最も愛するものによって死を与えられることを望む博士であれば、最も愛する者に死を与えなくてはならない私の辛さも分かってくれるだろう。私の言葉を聞いた博士は何故だ...と繰り返し、3日程ずっと部屋の隅で頬けていた。
仕方ないだろう。生命を創造するという科学者としての目的を、自身を殺害する存在を生み出すという目的は......自身に恋した少女を生み出すという結果を以て終わったのだから。
でもそれも仕方ないだろう。本当に長く12年という歳月を掛けて、私という存在を生み出すことに注力して続けた男を殺すことなど出来るわけがなかった。
とある少女の話 城島まひる @ubb1756
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