読者第2話 中田颯太

二千二十二年 五月二十六日 水曜日


 颯太が利用している投稿サイトのIPアドレス流出から二日後。

 帰宅途中の彼は道端で『あるもの』を見つけた。


 夕暮れの住宅街は人通りも少なく、電柱から伸びた黒い影がくっきりと道に模様を描いている。

 昼から夜へと移り変わる茜と闇のコントラストは、今がまさに逢魔が時だと示していた。


「うっわ、最悪……」


 歩みを止めた颯太は道の先にあるものを認めてそう呟いた。


 車がぎりぎり二台すれ違えるかどうかという中途半端な道幅の端、等間隔に並んだ電柱の傍に一冊の本が落ちていたのだ。

 この場合、捨てられていたが正解だろう。


「ありえねー……」


 颯太は再び歩みを進め、本へと近づいた。


 装丁を見て一目で作品名がわかった彼は、眉間に皺を寄せ嫌悪感を露わにその本の前で立ち止まる。

 一瞬だけ、拾うかどうか逡巡した。


 が、道端に捨てられている時点で不潔だし、本自体もお世辞にも綺麗とは言えない。何が付着しているかわからないものに触れるわけにはいかなかった。


 けれど、このまま立ち去るにはどうにも怒りが抑えられなかった。その本は、颯太にとっては大のお気に入りで、レビューサイトでも大絶賛し保管用と読書用に二冊購入するほどのものだったのだ。


 なのに無残にも道端に打ち捨てられている。

 それを見た颯太が怒りを覚えないわけがなかった。

 本を捨てるなんて、とかいう善人じみた感情からくるものではない。


 己が気に入ったものをぞんざいにされたイコール、颯太自身が同じ扱いを受けたように感じられたからだ。流せるはずがなかった。


 そうして彼はその怒りを、やはり今時の若者と同じくネットで表すことにしたのである。


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 すずむし@suzumusi0601・2分   …

 なんか道に本落ちてる

 誰だよ本粗末にした奴。

 しかも俺の愛読書。

 まじむかつく。捨てた奴〇ねばいいよ。

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 呟きには画像も掲載した。近くの電柱も、そこにどんな張り紙がされているのかも、明らかに怪しい金貸しの番号も、すべて。

 怒りにまかせて書いたせいか、大して深く考えずにやってしまった。


 颯太は今時の若者だ。

 以前アイドルが瞳に反射した景色から最寄りの駅を特定されたというニュースだって目にしていたし、突然道に妙な物を置いて呟き主の住所を特定するなんて手法がある事も十分理解していた。


 していたけれど、それでもこの時はすっぱり忘れていたのだ。


「まじで死ねよ、クソ野郎」


 吐き捨てて、颯太はスマホを見ながら帰り道を歩いて行った。


 彼が呟いた記事にはコメントがどんどんついていく。そのすべてが颯太の意見に同意するものだ。


 いわく『本を捨てるなんて最低ですね』であったり『名作になんてことを』だったりと、彼の怒りと同じ怒りの声がコメント欄に連なっていく。


 颯太はそれを満足げに眺めながら、置き去りにされた本の上に己の黒い影を落とし去っていった。


「―――お前が死ねよ」


 颯太が去った後。


 その本の傍で言い返した人物には、気付かずに。

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レビュー★☆☆☆☆ 国樹田 樹 @kunikida_ituki

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