読者第1話 中田颯太
二千二十二年 五月二十四日 月曜日
「うっわ、まじかよ」
桶川が件のレビューを目にしてから四日後。
すずむし、もとい颯太はそのネットニュースを見た瞬間、不快な感情に思わず顔を顰めた。
誰もが帰路につく夕暮れ時のことだ。
電車を降りてアパートに足早に向かう彼の手には機種変更して一年弱のスマホが握られている。
画面には大きな文字で『IPアドレス流出』と書いてある。
それは颯太も利用しているレビュー投稿サイトの不祥事だった。
読んだ本の感想を投稿できるこのサイトでは、直近でログインしたIPアドレスがソースコードから閲覧可能になっていたそうだ。
IPアドレスとは、ネット接続された電子機器に割り当てられる識別番号である。いわゆるネット上の住所のようなもので、それが垂れ流しになっていたとなるとかなり大きな不具合だった。
颯太は今時の若者だ。
ネット知識もある程度は自然と身に着けているし、自衛策も心得ている。
そして彼はプライドが高いぶん臆病でもあった。特に昨今の若者同様『炎上』や『特定』という言葉に怯えていた。
「IPアドレス漏れとか……ふざけんなよ」
颯太は歩きスマホをしたまま悪態をついた。
IPアドレスだけで個人情報を特定されることは無いのを颯太は知っていた。接続するプロバイダ情報くらいは調べれば推定できるものの、プロバイダからの情報開示が無ければ露見することはありえない。
その開示請求についてもユーザー側が他者に誹謗中傷などを繰り返し、相手方に慰謝料請求されている場合などに限られる。
しかし颯太は知らなかった。
会社や学校などのネット回線を介したアクセスの場合、固定IPアドレスから企業や組織名が分かる場合もあるのだと。颯太はよく仕事中にこのサイトを利用していた。それも何度も。
このレビュー投稿サイトにはコメント機能が搭載されており、自分の感想に対して他のレビュー者から反応を貰う事ができた。
内向的でコミュ障な颯太には友人と呼べる人間がいない。
会社では高慢な態度を男女問わず煙たがられているし、同窓会などに参加したこともなければ招待状すら届いたことはない。
そんな男だったから、颯太が向き合うのはもっぱらネットの世界だった。
颯太は自分が書いた感想にコメントが付くのを楽しみにしていた。
その中で『読書家コミュニティ』にも所属し、本の感想について意見し合ったりもしている。
プロフィールには、短い呟きだけを投稿する某SNSアプリのリンクを貼り、感想を通じて仲良くなった人とは相互フォローにもなっていた。
今回IPアドレスが流出したレビュー投稿サイトをはじめとし、彼はネットの中だけの人間関係めいたものを作り上げていたのだ。
今、ネットの世界はそのすべてが糸のように繋がっている。
糸を辿れば、大抵が本人へと行き付ける。
颯太の場合はレビューサイトから呟きSNSへと。
まさか己のレビューを見た第三者が、流出したIPアドレスを辿りSNSへ行き付き、颯太を特定するに至るなど、彼は思ってもいなかった。
第三者は、彼がSNSに掲載した日常で撮影した数々の写真からおおよその住所の特定をしていた。
だがそれを知らない颯太は仕事の八つ当たり気味に流出不祥事に憤っていたが、すぐに機嫌を直した。
「まあ別に、俺なんもしてないし」
本当に心底、彼はそう思っている。
自分は誰も傷つけていないのだと。
本の感想など誰でも書いているし、購入してやった以上批評する権利は読者である自分にあるのだと、そう信じていた。
たとえどれだけ失礼な物言いをし、言葉の刃で作者を切り刻んでいたとしても、当然の権利だと考えていたのだ。
颯太はレビューサイトにこれまで読んだ本の感想をすべて上げていた。
その数は、千冊以上。
この『IPアドレス流出』がすべての始まりだった。
本来なら特定になど至るはずもない情報が、颯太の首を締め上げ果てには―――彼を、死体へと変えたのだ。
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