白拍子は闇夜に舞う

澤田慎梧

白拍子は闇夜に舞う

『夜半の鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうに、静御前の亡霊が現れる』


 そんな噂が鎌倉で囁かれるようになったのは、建久八年(1197年)の春先のことであった。

 静御前とは、言わずもがな九郎義経の愛妾である。九郎義経が兄である頼朝と敵対したことで捕らえられ、文治二年(1186年)に鎌倉へと送られた、京でも指折りの白拍子しらびょうしだ。


 鎌倉に留め置かれることとなった静は、身重であった。無論、九郎義経との子である。

 頼朝は「子が女子ならば生かす。男子ならば速やかに命を断つ」としたが、無情にも生まれた子は男子であった。子は由比ヶ浜ゆいがはまへと沈められ、失意の静はその後を追ったとも、帰京後に姿を消したとも伝わっている。


 鎌倉の人々は、静の不幸な境遇に同情しながらも、同時に恐れてもいた。無念を抱えたまま静が命を断ったのだとすれば、九郎義経共々、自分達を恨んでいるのではないか、と。


 事実、頼朝の娘である大姫は、先年より病を患い床に臥せっている。

 朝廷との結びつきを深める為に、頼朝が数年がかりで取り組んでいた大姫の入内は、泡と消えた。

 「九郎義経と静御前の祟りでは」と人々が恐れるのも、無理はなかった。


 それ故、噂の真偽を確かめようと、夜半の八幡宮に足を運ぶ者も皆無であった。

 だが――。


「夜はまだ冷えるのう」

「お社の方から、何かお召し物を持ってこさせましょうか?」

「よい。言ってみただけじゃ」


 月明りに淡く照らされた八幡宮の境内に、二人の男の姿があった。

 五十絡みの貴人と、その従者らしき壮年の武者である。共に太刀を携え、従者の方は松明を手にしている。


 大階段へと続く石畳の上を、しゃなりしゃなりと歩く二人の姿を見る者があれば、きっと腰を抜かしたことであろう。

 貴人の名は源頼朝。鎌倉を、否、今や日ノ本を統べる「鎌倉殿」である。

 従者の名は北条義時。江間小四郎とも呼ばれた、頼朝の側近である。

 

 そんな二人が、護衛も付けず夜半の鎌倉を闊歩している。

 彼らの命を狙う者が知れば、「今ぞ好機」と色めき立つ光景であろう。

 しかし、今の境内は無人である。神官達も眠りについている時刻だ。


 そもそも、この時代の人間は大変に信心深い。

 「静御前の怨霊が現れる」等という噂が流れる中で、夜遊びをする者などいない。もしいたとすれば、それは余程の剛の者か、はたまた阿呆か。それとも――。


「……鎌倉殿」

「分かっておる」


 うっすらと、大階段が姿を現した時のことである。

 二人と大階段の狭間に、不意に白い何かが現れた。ゆらり、と煙のように湧いて出たのだ。

 義時は頼朝を庇うように立つと、用心深く松明の明かりを向け、静かに息を呑んだ。


 白い水干すいかん立烏帽子たてえぼし、腰には白鞘巻しろさやまきを差し、手にするは金箔をあしらった朱扇。

 あまりにもあからさまな、「白拍子」の装束を身にまとった何者かがそこにいた。

 背丈は低く、水干の上からでも分かるほどに華奢な体つきをしている。恐らくは男でなく、女であろう。


 顔はよく見えない。

 光の加減か、はたまた薄絹のようなもので覆っているのか、頼朝と義時からは、のっぺりとした面が窺えるのみであった。


「おのれ面妖な!」


 義時が松明を左手に持ち替え、太刀を抜き放つ。

 だが白拍子は気にした風もなく、ゆっくりと朱扇をかざし――。


『しづやしづ しづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな』


 朗々とした声を境内に響かせながら、蝶のような舞を披露し始めた。

 舞も歌も、神前に捧げるに相応しい優雅さである。

 だが、その歌と舞は、頼朝と義時を震え上がらせるものであった。


「ば、馬鹿な……本当に静の亡霊だとでもいうのか? 小四郎、儂は夢でも見ておるのか?」

「いいえ、鎌倉殿。夢ならば、どんなに良かったことでしょうか。私にもはっきりと見え、聞こえます」


 気圧されるように、知らず二人はじりじりと後ずさりしていた。

 それも無理からぬことであろう。

 白拍子が披露した歌と舞は、かつて静が披露したそれと、寸分違わず同じものであったのだ。

 しかもこの鎌倉の、この場所で。頼朝や義時たちの前で義経への想いを込めて舞ったものであった。


 声も所作も、歌に込められた悲哀も。そのどれもが記憶の彼方にある静のものと、同じだったのだ。


『返して……』


 呟きながら、白拍子が――否、静御前の亡霊が一歩踏み出す。

 更に一歩、もう一歩と二人に近付く。

 頼朝も義時も、魅入られたようにその場を動けなくなっていた。

 だが――。


「な、舐めるなよ化生けしょう! 髭切ひげきりの錆にしてくれるわ!」


 鎌倉殿としての意地か、はたまたただのやけっぱちか。

 金縛りから脱した頼朝が、愛刀「髭切」を抜き打ちに放った。


 ――自ら戦場に立つ機会が少なかった為、誤解されがちであるが、頼朝は武芸に優れていたと伝わる。太刀も、弓も、その腕は荒くれ揃いの坂東武者に決してひけはとらなかった。

 伊豆で挙兵した際には、自ら太刀を振るい弓を引き、奮戦してもいる。

 しかし、鎌倉へ入って以降はどっしりと構え、前線へ赴くことは少なくなった。頼朝が自らの武勇を誇るよりも、為政者として御家人を中心とした組織の安定を重視した故、とも言われている――。


 数歩の距離を一瞬で詰める頼朝の抜き打ちは、齢五十を超えているとは思えぬ見事な太刀筋であった。

 だが、その太刀は空を切っていた。白拍子の姿は頼朝の前から煙のように消え失せ、気付けば大階段の中ほどの辺りにまで退いている。

 まさに化生の如き身のこなしである。


 だがしかし、頼朝の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 手にした髭切の太刀から、ぽたりぽたりと滴るものがあった。

 血だ。空を切ったと思われた頼朝の太刀が、白拍子の体のいずこかを捉えていたのだ。

 

 義時は見た。

 朱扇を持つ白拍子の腕から、僅かながら鮮血が零れ落ちているのを。


「見よ小四郎。いかな化生と言えど、髭切に断てぬものはない。恐るるに足らぬぞ!」

「ははっ!」


 主君の鼓舞によって正気を取り戻した義時が、太刀を構え直す。

 形勢逆転である。

 二人はじりじりと大階段に迫り、白拍子の出方を窺った。


 ――と。


『我が恨み、忘れるべからず』


 そんな呟きと共に、白拍子が姿を消した。

 現れた時と同じく、まるで煙のように。音もなく。

 あるいは夜陰に紛れ、大階段脇の雑木林へと身を隠したのかもしれぬが、それを確かめるのはあまりに危険であった。


「……帰るか」

「はっ!」


 二人は太刀を収めると、松明の明かりを頼りに御所への道を歩き出した――。


   ***


「――でのう? 化生が襲い掛かってきたところを、儂がこう、髭切でズバァー! っと一太刀。化生はたまらず逃げ帰ったという訳よ! あっはっはっはっ!」

「流石は鎌倉殿です!」


 翌日。頼朝は古くからの側近である安達盛長を相手に、白拍子の化生を退散させた一件を自慢げに話していた。

 ――朝から既に、三度は同じ話をしている。にもかかわらず、盛長は飽きた表情一つ見せずに、満面の笑みと共に頼朝の自慢話に頷いていた。

 こればかりは、義時も敵わぬ忠臣・安達盛長の面目躍如である。


 自らは適当に相槌を打ちながら「しかし」と、義時は心中で考えを巡らす。

 「あれは本当に静御前の亡霊だったのだろうか?」と。

 確かに、あの亡霊の舞も歌も記憶の中にある静御前のそれであった。だが、義時も頼朝も、静の舞を観たのは一度か二度程度しかない。


 静の舞が鮮烈だったが故にはっきりと覚えているつもりになってはいるが、人の記憶は当てにならないものだ。

 彼女をよく知る人間、そう、例えば同門の白拍子であれば、真に迫った「静御前のふり」を出来るのではないだろうか?

 つまり、あれは化生の類ではなく――。


「小四郎」

「はっ」


 頼朝に呼ばれ、義時はその思考を中断した。


「今朝、政子から聞かされたのだが、どうも大姫の具合が良くないらしい。お前も折を見て、見舞ってやってくれ」

「……かしこまりました」


 恭しく頭を下げたものの、義時の心中は複雑であった。

 頼朝が大姫の見舞いに行っている様子はない。多忙さを理由に、のらりくらりと躱しているのだ。


 二人の仲はすこぶる険悪だ。

 理由は明白。義高の一件を、大姫はまだ許してはいないのだ。


 木曽義仲の嫡男であった義高と大姫は、許嫁であった。

 だが、頼朝と義仲の不和が確実なものとなった時、義高は容赦なく殺された。

 大姫はその報せを聞いて以来、心身を病むようになってしまったのだ。

 入内についても、頼朝が強引に推し進め、政子に説得されてようやく受け入れたくらいだ。


(なんとも気が重い)


 心中で愚痴をこぼしながら、義時は頼朝の自慢話に、あと四度ほど付き合わされることとなった。


   ***


「――失礼いたします姫様。小四郎にございます」

「小四郎殿……よくぞ来て下さいました。このままで失礼いたしますね」


 義時が大姫を訪ねると、姫は床に臥せったままであった。

 顔は土気色で、声にも張りがない。

 大姫は義時にとって、姪にあたる。故に、彼女の幸せを望まない日などなかったのだが、何の力にもなれずにいた。


 今は病弱そのものであるが、かつての大姫は元気を絵に描いたような姫であった。

 生まれは義時達の故郷である伊豆。頼朝と政子の最初の子供であり、戦乱と動乱の中で育ってきた娘である。まだ幼い時分には、義時も叔父として遊び相手になり、度々に渡って手を焼かされたものだった。

 もし大姫が男子だったなら。そして心身ともに健康だったなら、頼朝にとって頼りがいのある嫡子となっていたことだろう。


「小四郎殿。私はこの通り病の身。出歩くこともかないません。なにか、外のお話をして下さいませんか?」

「外の話、ですか」


 今、鎌倉を騒がせているのは、間違いなく「静御前の亡霊」の話であろう。そして恐らく明日からは、これが「静御前の亡霊を追い払った鎌倉殿」の話にすり替わる。

 どちらにせよ、大姫にとって楽しい話ではなさそうだ。


 義時も詳しくは知らぬが、静御前が鎌倉に囚われている間、大姫との間に少なからず交流があったそうだ。

 同病相憐れむではないが、愛しい男から離れ離れにさせられた者同士、通じ合う所があったのだろう。尤も、その頃の大姫はまだ女童であったはずだが。


 静が大姫の為に舞を披露したこともあったそうだが、実際にどの程度の仲だったのかは、義時の預かり知らぬところである。

 どちらにせよ、大姫に静御前の話をするのは、不用意であろう。

 だが――。


「そう、例えば。――例えば、静殿の亡霊が現れた、なんてお話はありませんか?」

「……ご存じでしたか」

「ええ。よく存じておりますわ」


 『世話役の誰かが不用意に話したのだろうか?』

 義時は心中で腹を立てながら、なんとか話題を逸らそうと何気なく部屋の中を見回し――絶句した。


 部屋の隅。文箱が並べられた棚の中ほどに、見覚えのある物が飾られていた。

 きちんと台座に立てられたそれは、金箔をあしらった朱扇である。寸分違わぬ模様のものを、義時は昨晩見たばかりだ。


「……姫様、あれは?」

「ああ、あの朱扇ですか? あれはその昔、静殿から戴いた物ですよ。ずっと仕舞ってあったのですが、不意に懐かしく思い、飾ってみました」

「なんと」


 義時の背筋に冷たいものが走る。

 よもや、あの朱扇に宿った静御前の怨念が、肉体を持って現れたのではないだろうな? 等と益体もない考えさえ浮かんできてしまう。


「小四郎殿。朱扇を取っていただけますか?」

「はっ」


 動悸を抑えながら朱扇を手に取り、大姫に恭しく差し出す。


「ありがとう」


 言いながら、大姫が肌掛けにしていた着物の下から右腕を引き抜き――義時は再び絶句した。


「ひ、姫様……その手は?」

「ああ、これですか?」


 ひらひらと右手を振って見せる大姫。

 彼女の右手には、布がぐるぐると巻かれていた。まるで、その下にある傷を庇うかのように。

 気のせいか、僅かに朱がにじんでいるようにも見える。


「実は昨晩、無理に立ち上がろうとして転んでしまいまして。酷い痣になっているのです。――見ますか?」

「滅相もございません」


 動揺を押し隠しながら、義時が平伏する。

 チラリと大姫の顔を盗み見る。そこにあるのは、やはり土気色の病人の顔。だが、その表情はどこか恍惚としていて、とても死神に魅入られた人間の顔とは思えなかった。


「ねぇ、小四郎殿。もし静殿の亡霊が本当にいたとしたら、あの方は何を願い何を成そうとするのでしょうね?」


 菩薩もかくやといった笑顔を浮かべる大姫。

 しかし義時には、その笑顔が修羅の表情に見えて仕方なかった。


 ――そう、そもそもが不思議だったのだ。

 人一倍信心深い頼朝が、何故わざわざ夜の八幡宮まで亡霊の正体を確かめに行ったのか?

 何故、供が義時一人だったのか?


 それは、頼朝が「亡霊」の正体に心当たりがあったからではないのだろうか?

 そして、出来れば秘密裏にその始末を付けたかったからではないのだろうか?


 全ては義時の推測である。頼朝や大姫に問いただす気もない。

 ただただ、消化しきれぬ何か得体のしれない物を飲み下してしまったかのような気持ち悪さが、義時の臓腑に残り続けた。


(私は一体、どうすればいいのだ?)


 心中で独り言ちた義時の問いに答えてくれる者は、誰もいなかった。


   ***


 大姫は病から回復することなく、この年の七月に死去したと伝わっている。享年二十であったという。

 大姫が患っていたのは、一体何の病だったのか? 残念ながらその詳細は伝わっていない。歴史家の中には、自殺説を唱えるものもあるという。


 その二年後の建久十年、今度は頼朝が亡くなった。前年に行われた相模川橋供養の帰り道、容体が急変しそのまま回復しなかったと伝わる。

 だが、頼朝の死にも謎が多い。落馬が原因とも言われているが、はっきりとしたことは何も分かっていない。


 一部では、頼朝暗殺説も唱えられている。

 御家人の誰かの仕業か、あるいは朝廷の陰謀か。


 また、ある言い伝えでは、義経の亡霊を目撃し、恐怖のあまり落馬したとされている。

 確かに「そこにいないはずの誰か」の姿を目撃したのならば、乗馬が巧みだったはずの頼朝も、馬から落ちる程に仰天したことであろう。


 どちらにせよ、全ては歴史の闇の中である。

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白拍子は闇夜に舞う 澤田慎梧 @sumigoro

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