第4話

それから受験まで慌ただしい日々を送った。

その間はとにかく勉強に集中した。

合格することで先生が喜ぶと思ったから。


受験も無事に終わり、あとは合格を待つだけとなったある日。

何もすることがなく、塾に来ていた私は山田先輩と会った。


先輩も時間があるのか、受験が終わった私を労ってくれてそのまま世間話をした。


「先輩彼氏できましたか?」

高校生と言ったら、みんな彼氏がいるようなイメージ。

受験が終わったばかりの私はそんな高校生活に夢見て聞いた。

まさか、あんな話をされるなんて微塵も思わなかった。


先輩は突然声を潜めた。

「秘密にしてほしいんだけど…」

「??…はい」

「佐藤ちゃんって知ってるよね?」


佐藤ちゃんとは、同じ中学の先輩。

山田先輩からしたら同級生にあたる人で、名前と顔だけは私も知っていた。

大人しそうな見た目の人で直接話したことはない。

「はい。この塾に通っていた人ですよね」

山田先輩は頷くときょろきょろと周りを見回した。

教室には私たち2人しかいない。廊下から別の教室で授業をしている中村先生の声が聞こえていた。

「佐藤ちゃんと先生、付き合っているの」

「え」

私はすぐには理解できなかった。

「先生って中村先生ですか?」

「そう」

先輩は神妙な顔で頷く。

「なんで、ですか」

なにが「なんで」なのか自分でも分からない。でも、聞かずにはいられなかった。

「中村先生に連絡先を聞かれたことがあったの」

「山田先輩が?」

「うん」


付き合っているのは佐藤先輩。なのに、山田先輩が連絡先を聞かれた?

どういうことだろう。

先の見えない話に私は困惑する。

先輩は終始周囲に誰もいないことを確認しながら、声を潜めたまま話し始めた。


その話は、こうだった。


山田先輩は、ある日突然中村先生にこう言われたらしい。

「最近、運動不足だから散歩したいんだよね」

「いいですね!」

「でも朝起きるのが苦手なんだよね。起こしてくれない?」

「え?いい、ですけど…」

どうやって?そう聞く前に、電話番号を教えられた。

そうして連絡先を交換した。


それからメールのやり取りが始まった。

プライベートが想像できなかった先生は、意外にもマメな方なのかメール上で他愛もない話が続いた。

そんなある日、先生からこんなメールが送られてきた。

「顔が見たいから自撮り送ってよ」

「恥ずかしいから嫌ですよー」

そう返信すると、先生の自撮りが送られてきた。

普通の自撮り。そんな行動を取るとは思わず驚く先輩。

そして「先生も送ったから恥ずかしくないでしょ?」と。


そう言われても恥ずかしかった。けれど、先に先生が自撮りを送ったんだ。

自分も送らないといけない気がして、先輩は自撮りを送った。

そしたら、先生からこう返信があった。

「違う。裸の自撮り」


一瞬、どういう意味か分からなかった。

意味が分かると、ショックでしばらく動けなかった。

でも、先輩は先生のことが好きだった。先生のお願いを聞いてしまいたい気持ちもある。

送るかどうか迷ったが、結局送らなかった。

それからも先生は塾で直接会ったとき、平気な顔で催促してくるようになった。

「今日こそあれ、お願いな」と。


好きな人に応えたい。でも、そんなことしたらダメだ。

その葛藤に、耐えられなくなって先輩は携帯を「勉強に集中するため」と理由を作って手放した。


「佐藤ちゃんは、たぶん送ったんだと思うの」

「なんでわかったんですか?」

「先生に『送って』って言われなくなったことと、佐藤ちゃんが先生の車に乗ってるのを見たからかな」

先輩の顔は悲しんでいるのか後悔しているのか、はたまた写真を送ったであろう佐藤先輩を見下しているのか分からなかった。

私は聞いた。

「送ればよかったって思いますか…?」

山田先輩は言った。

「分かんない。でも、これでよかったんだって安心してる気持ちもある」


先輩は突然サッと扉の方を見たかと思うと私にだけ聞こえる声で「違う話を続けて」と言った。

「どういう意味ですか」

そう聞こうとした瞬間、聞こえてきた声にびくりと肩を震わせた。

「2人で仲良く何話しているんだ?」

振り向くと、そこには中村先生がいた。

「かわいい後輩にお疲れ様って言っていました」

山田先輩は、にこやかに答えた。

私も先輩に合わせるように動揺する気持ちを隠しながら笑った。

「いろいろ高校生活について聞いてました」

先生はしばらく他愛もない話をしたあと去っていった。

先生が戻ったのを見届けて、先輩が言った。

「ギリギリ聞かれなかったと思う」


私は今の一部始終を見て、不思議な気持ちになっていた。

先生はそんなことをしていたんだ。そんなことをする人だったんだ。

裏切られたような気持ちと同時に、「先生は生徒を好きになるんだ」とも思った。

先生は、生徒を女として見ることができないわけじゃない。

見れる上で、私じゃない人を選んだのか」。


そして、選ばれたのは山田先輩と佐藤先輩。

さっきの行動をみただけで、先輩の頭の回転の速さも賢さも分かった。

きっと私なんかより大人で、人としても魅力的なんだろう。

佐藤先輩もきっと…。


自分とは違う世界に生きていると思っていた人が、私とほんの2歳しか変わらない生徒に欲情するただの男だった。

それもクズな男だ。


私は裏切られたことよりも、自分が選ばれなかったことに傷ついていた。

でも、やっぱり私も山田先輩と同じでどこか安心してもいた。

これで私は無駄な恋心を抱く必要がなくなるんだって。



合格発表も終わって、塾の先生たちにお礼を言いに行った日。

これが最後かもしれないと思いながら、中村先生に会った。


「今までありがとうございました」

そう言った私に、先生は言った。

「またいつでも会いに来てよ」

「…はい」


それ以上、何も言わなかった。

急によそよそしくなった私に、先生も何か気付いたんだろう。

何も言われることはなかった。

あっけなく私たちの最後の挨拶は終わった。


それから1年後。

私が高校1年。先輩が高校3年のとき、たまたま山田先輩と再会した。

そして先輩から聞いた。

「佐藤ちゃんと先生、結婚したらしい。

できちゃった結婚だって」


私は思った。

「やっぱり先生は家族に憧れてたんですね」



今思うと、私はきっとはじめから先生を好きになるように仕向けられていたんだと思う。

不安定な年ごろの生徒たち。

その気持ちに寄り添い、心に入り込むのがどこまでもうまい人だった。


私の初恋は、先生に作られたものだった。

でも、あの頃の私に頑張る理由をくれたのは間違いなく先生で、それは嘘じゃない。

だからなのか、私は一度も先生を恨む気持ちにはなれなかった。


1つだけ確かなのは、今でも人を好きになるのが怖いのはきっと先生のせいだ。

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初恋の先生は誰よりも最低な人で。 反野 奏 @srya_sou

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