第186話

***頼信⑧***


 海から戻ると、そのままイーリアの屋敷に向かった。

 クルルとイーリアから今回のことでお説教……というわけではなくて、健吾と会うためだった。


 ジレーヌ領発展計画の素案にゆるふわ領主様はあまり興味を示されなかったが、そもそも自分のまとめ方が下手過ぎるのと、日本語も多かったせいだと思い、プロに任せることにしたのだ。


 ビジネスの分析と立案にかけて、健吾はバキバキの専門家なのだから。


 その健吾がすでに広間にいて、大きなテーブルに何枚も並べた紙を前に、真剣な顔で仁王立ちだった。


「健吾、お待たせ」

「お、戻ってきたか。悪魔の姉さんのほうはどうだった?」

「今のところは大丈夫そうかな。イーリアさんは、どう?」


 昨晩は随分うなされたらしく、ヘレナと対面したのも、彼女なりの意地らしかった。手に酒を持っていたのは、景気づけの意味もあるだろう。


 けれどヘレナはあの通り社交的なので、イーリアは開き直りもあるだろうが、ある程度打ち解けたらしい。


「しばらくここでお前への悪態をついてから、あっちで二度寝してるよ」


 健吾が示したのは、中庭のほう。

 そちらを見ると、ハンモックで寝ているイーリアに寄りそうクルルが見えた。


 傷心を癒してもらおうと甘えるイーリアを、クルルが優しく抱きとめている。

 その様子に、子犬と子猫が籠の中でモフモフしている動画みたいな癒しを感じていたら、健吾の唸り声で我に返った。


「で、どうする」


 テーブルに並べられた紙には、やらなければならないことが箇条書きになっていた。

 それらをすべて、こなさなければならない。


「とりあえず前職でやってたように、いったん全部紙に書きだしてみたんだが」


 昨日の今日でこんな作業をこなしてしまうのだから、人間としての格の違いを見せつけられる思いだ。


「最終目標は、獣人の大量確保と、魔法使いの増員だったよな」


 健吾が指さすのは、中心に置かれた紙だ。

 そこを起点に、放射状に必要なことが並べてある。


「魔法使いの勧誘は、ゲラリオさんが古い知り合いに当たってくれてる。冒険者には獣人の人たちと強い絆のある人が多いから、その知り合いの知り合いに、と辿っていけば、信用のおける人たちを集められるかもって」


 急激に魔法使いを増やせないのは、魔法使いが希少だからという以上に、合成魔石の秘密を打ち明けられるかどうかが問題になるせいだ。

 それに素行の悪い魔法使いを仲間に引き入れてしまえば、その対応の大変さはノドンの比ではない。


 ただ、魔石の秘密に関しては、今後はそこまで厳密に隠さなくてもよいのではないか、という結論になっている。


 なぜならこの秘密は、必ずどこかの時点で広まるから。


 自分たちが帝国の中枢部や敵対的な領主たちと大規模に戦うことになれば、奇妙な魔石を使っているのは隠しようがなくなる。

 なので、遠からずばれる。


 だからこれからはそこまで神経質にならず、むしろ秘密となっている今のうちに、最大限活用すべきではないかということになった。


 魔法使いをスカウトする際に、この特大の秘密を餌にするのだ。


 ゲラリオによれば、こんな餌を見せられたら抗える魔法使いなんていねえよ、とのことだったから、効果は期待できるだろう。


 こうして合成魔石の秘密がいつかばれる前提で動くとなると、魔法使い確保の問題はどちらかといえば、簡単なほうに分類できる。


「魔法使いの人たち、特に冒険者なんかをやっている人たちを仲間にする鍵は、獣人の人たちの境遇を改善すること。それから、きちんとした報酬を渡すことって、ゲラリオさんから言われてる」

「つまり、領地の治め方と、カネの問題だ」


 領地の治め方は問題ない。


 クルルにしがみついて頭を撫でられている領主様は、獣の耳と尻尾をお持ちなのだから。


「カネの問題も、ゲラリオの旦那たちに支払ってる金額から考えれば、さほど大きな問題じゃないんだが……」


 健吾は、蝋を引いた木の板にメモをするための石筆で、頭を掻く。


「今、島の中で貨幣が足りてないって話は知ってるか? お前のところのヨシュもちょくちょく俺のところに相談に来ててな。金庫がすっからかんだと。ゲラリオの旦那にせっかく魔法使いを連れてきてもらったのに、給金が支払えないんじゃ面目が立たない」

「あ、そのことならしばらくは大丈夫、かも?」


 健吾はぽかんとする。


「なに?」

「まさに昨日、クリアリングハウスを作ったんだよ。主だった商会の人を集めて、債務関係を全員洗いだして、互いに相殺して綺麗にした。うちの商会にも金貨がだいぶ戻ってきたよ」


 呆気にとられた様子の健吾は、ああ、とか、うんとか言っていた。

 とはいえ、クリアリングハウスも完璧ではない。


 すべての取引を電子マネーにするか、現物支給の社会にでもしない限り、物理的な通貨を消すことはできないからだ。


 経済活動がある限り、必ず、市中に現金を供給しなければならない。


 そして人口が増え、皆が財布に貨幣を少し入れておくだけでも、必要な貨幣はものすごい量になる。

 おまけに貨幣は摩耗するし、削られたり鋳つぶされたりもする。


 流通する中で自然に減ることはあっても、絶対に増えないのが貨幣というものだ。


 だから人口を増やして経済規模を大きくしようと思えば、島の中に貨幣をどうしても増やす必要がある。

 その方法はふたつ。


 分捕るか、稼ぐか。

 とにかく島の中に、金貨を溜めこまねばならない。


 輸入よりも輸出を奨励し、原材料を求めて旅をして、領内で加工してから島外に販売する。


 こうして麗しの重商主義になっていくわけだが、前の世界ではその結果、原料供給先としての植民地を、列強が競って求めることとなった。


 なぜなら、植民地なら、貴重な金貨を支払って原料を買う必要はないから。


 やがて勢力圏の金貨をなにがなんでも守ろうとする醜悪な時代に突入し、それは二度の大戦につながった。


 この世界で今すぐにそうなる、というわけではないが、前の世界の歴史を忘れるべきではない。


「貨幣の確保は多分この先も悩みの種になると思う。あと、自分のほうでも金貨を使いたいことがあって、クリアリングハウスのおかげで捻出した貨幣は、この辺に使いたいんだよ」


 自分は健吾が並べた紙の、いくつかを指し示す。


「喫緊は、鉄鋼生産のための炉の開発と、大規模魔法陣の調査費用。ほかにもクウォンから木材とか、いろいろ買いつけたいのもあるから、金貨に余裕がないのは常にそう」


 自分の言葉に、健吾は大きく息を吐き、ぐっと胸筋に力を込めてから言った。


「オーケー。じゃあ、やっぱり当面は、追加で手に入る金貨は、同盟希望の領主たちが持ってくるものだけって思ってたほうが良さそうだな。魔石の販売もこれ以上拡大できないって、ロランから言われてるし」

「となると……この山ほどの問題を、限られた金貨でやり遂げるしか、ない?」


 健吾の前には、無数の問題が並んでいる。

 しかもどの問題が大きいか一目でわかるように、巨大な問題の周りにはサブの問題を書いた紙が放射状に置かれている。


「今のところ最も金貨に変えやすいのは、魔石だ。どこかがでかい戦を起こしてくれるなら、魔石も大量に売れて金貨が流れ込んでくると思うんだが」


 死の商人というと大げさだが、魔石にはそういう性質がある。


「もちろん、頼信の計画している鉄鋼生産がうまくいけば、鉄製品の輸入をなくし、輸出に回すことだってできる。生産が増え、金貨を島にもたらしてみんなハッピーだが、問題は……」

「そもそもその鉄鋼生産のために、資金がいる」


 炉の開発をし、職人を集め、様々な付随施設も建てなければならない。

 燃料の問題だってある。


 石炭はこの世界にもあるはずだが、採掘、運搬が必要だし、なんならまずは探鉱からだ。

 他の領土なら採掘の権利の確率やら、積出港の整備やらも必要だし、首尾よく石炭を手に入れられても、石炭の種類によっては脱硫処理などを行わないとならない。


 人、資材、施設の数は、どんどん増えていく。


 しかもこうやって問題を並べていくと、やがて気がつくことがある。

 この世界の産業レベルをひとつ前に進め、工業化を見据えるためには、ものすごく根本的な制約があることが見えてくる。


 ある問題の書かれた紙の周辺には、ひときわ多くの問題が列挙されている。


「金貨もそうだが、圧倒的に土地が足りない」


 町の開発、と書かれた紙は、周囲の問題とは文字どおりに次元が違うことを示すように、三角錐に折られた紙に書かれていた。


 テーブルの中で雄々しくそびえたつ紙の前には、こう書かれた紙が置かれている。


 新たなる、土地の確保。


 それはこの間やったような、島の中での新街区解放みたいな話ではない。


 まったく新しい町を作れるほどの、大規模な土地なのだから。

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