第185話
***頼信⑦***
クルルが商会に自分を呼びにきたのは、ヘレナの件を片付けるためだったようだ。
いったん魔石の詰まった樽をイーリアの屋敷の地下に運び込んだが、早急にヘレナの住処を見つけなければならない。
それはイーリアがヘレナのことを知らされると、驚いた狸みたいに卒倒してしまったから、というだけではない。
もしもジレーヌ近郊の鉱脈に住まわせる案がうまくいかないと判明したら、樽に詰めたクウォン産の魔石があるうちに、ヘレナをクウォンに送り返す必要があるからだ。
ただ、クルルの話によれば、少なくとも今朝の段階では地下室にいるヘレナは気楽な様子だとのこと。魔法を使わなければ、魔石をあまり消費するわけでもないようだ。
「えっと、それで、その……イーリアさんは……?」
自分の問いかけに、少し前を歩くクルルは、猫の耳を苛立たし気に上下させた。
「お前が出ていってしばらくしたら目を覚まして、酒を水みたいに飲んでた」
据わった目で酒を飲むイーリアと、それに振り回されるクルル、という姿が容易に想像できる。
よく見ると、クルルの目の下には少しクマがあるようだった。
「大変だったんだからな。それに、お前はお前で、日が暮れても一向に屋敷に帰ってこないし……」
肩越しに軽く振り向きながらのクルルの恨み言に、自分は思わず首をすくめる。
平謝りしておいたのだが、屋敷に到着し、腹は減っているのかと聞かれたのでうなずくと、昨晩の残りだというものを出された。
料理を出した後、クルルはこの後の準備をすると言って炊事場から出て行ってしまったので、一人残された自分は、やや硬くなった羊肉をぼんやり噛みしめていた。
イーリアは深酒がたたったのかまだ寝ているようで、陳情やらの人たちも見かけず、屋敷は珍しく静かだった。
そしてむぐむぐと冷めてもおいしい料理を食べながら、ふと、思ったのだ。
もしかしてクルルは昨晩、自分が屋敷に戻ってくるのを夜遅くまで待ってくれていたのではないか。
その傍証が、この昨晩の残りの夕食だ。
それに、商会に現れた時のクルルの不機嫌さも思い出す。
そこから連想したのは、作った夕食が冷めていく横で、帰りを待ってくれているクルルの様子だった。
危うく喉に羊肉が詰まりそうになった、その時のこと。
ドラステルの格好に着替えたクルルが炊事場に戻ってきた。
「まだ食ってるのか? さっさといくぞ」
不機嫌そうにどやされて、自分は慌てて残りを口に詰め込んだ。
その間にもちらりとクルルを盗み見ると、眠そうにあくびをしていた。
真実はどうだかわからないし、聞く勇気もないが、次からは屋敷に戻るかどうかは可能な限り連絡しようと、そう思ったのだった。
こうしてクルルと自分は、バダダムの漕ぐ船に乗って海に出ることとなった。
「わざわざ海中の鉱脈を探さなくても、採掘中の鉱山でもいい気がするけどな」
手に二級相当の合成魔石を持ったクルルはそう言った。
合成魔石には、魔導隊が使っていた、魔石に反応する魔法陣が拡大されて刻まれている。
「バランさんに聞いたら、海上鉱山はすでに切り出した石なんかを使って要塞化してるみたいなんですよ。氷魔法で凍らせなくても採掘が続けられそうなので、しばらく採掘をしてもらおうかと」
「ふん。しかし、海の底の魔石なんて本当に……」
クルルがそう言った傍から、手元の魔石が光り始めた。
「見つかり、ましたね」
クルルはなにか面白くなさそうな顔をしてから、バダダムに方向を指し示していた。
◆◆◆◇◇◇
海底に沈む鉱脈を見つけ、周囲も探索し、どうやらそこそこの鉱脈が広がっているらしいと確認してからイーリアの屋敷に戻った。
するとなんと地下室では、ヘレナとイーリアが雑談に興じていて、イーリアの手元には酒があった。
「あなたの悪口を言ってたところよ」
昨晩も随分飲んだらしいイーリアは、笑顔でこちらを睨んできたし、ヘレナも笑っていた。
それから自分たちはバダダムたち獣人の力を借りて、木樽ごとヘレナを運び出した。
向かう先は、先ほど見つけた海底の鉱脈だ。
ヘレナは目的地に着くと姿を現し、しばし躊躇ったのち、海に潜っていった。
果たしてうまくいくのかどうか。
しばらく海の底を覗きこんでいると、サメみたいな勢いで海から上がってきた。
『ここが私の家になるの⁉』
水しぶきこそ上がらなかったが、喜びのほどはよく伝わってきた。
「大丈夫そうですか?」
『かな? 茸たちが近くにいないと、こんなに魔石の力を感じられるのね! それに溺れるってこともなさそうだし。なにより』
ヘレナはそう言って、海原を見渡した。
『海の中の景色は本当に最高! 土の中に潜ってたってなんにも見えないからね。せいぜいモグラの穴くらいなものよ』
それはそれで見てみたい気もするが、ヘレナはすっかり上機嫌だ。
『あと、多分だけど、この海域一帯で鉱脈がつながってる気がするわ。だから、いざとなったらここから島まで助けに行くこともできると思う。試してみないとね』
「ぜひ」
思わず力強く言ってしまったのは、ヘレナの有用性を少しでもアピールしたかったから。
ヘレナとイーリアが地下室で和解(?)したらしいとはいえ、クルルはやはりまだ今回の判断に不満があるらしい。
たまたまうまくいったからいいようなものの、ということだろう。
そんなクルルの心中を慮ったのかどうか、ヘレナは緩やかに笑い、ご機嫌斜めの猫娘に言葉を向ける。
『私自身、クウォンの地を離れてどうなるかはわからない。だから、土地を離れたせいで私が理性を失い、悪い悪魔になっちゃったら、ひと思いにやっていいからね』
ヴォーデン属州の鉱山にいた悪魔も、自分たちに襲い掛かってきた。
しかしファルオーネが古代語を呟くと、その反応は理性ある人間と全く同じだった。
多分、今まで他所の鉱山に現れた悪魔たちも、本当はコミュニケーションが可能だったのだろうと思われる。
悪魔として生き返ったものの、時が経ち過ぎて状況がわからず、誰とも話すことができない中で不安と孤独が募っていく中、ある日殺意満々の冒険者が現れたとする。
悪魔としては、命がけで反撃するしかないだろう。
今のところ悪魔のサンプルは2だが、理性を失ったせいで人を襲っている悪魔には遭遇していない。
ただ、鉱山から移住したという悪魔の前例もないので、ヘレナの言う通り、どうなるかはまだわからない。
「ふん。その時は苦しませてやるからな。覚悟しておけ」
『その意気よ。あなたたちには、帝国をぶっ潰して欲しいんだから』
大人なヘレナはそう言って、人魚のように海に飛び込んだ。
もちろん水しぶきが上がるようなことはなく、今までのことがすべて白昼夢のような、あっけなさがある。
そして静かな波間を見つめていたら、にゅっとヘレナが顔を出した。
『海の中、やっぱりすっごい綺麗よ! あなたたちも潜ったらいいのに!』
それから、とぷんと音がしそうな勢いで潜っていった。
「ふっ」
クルルが思わずと言った感じに笑い、こちらの視線に気がつくと、たちまち笑顔を消してそっぽを向く。
すぐ近くで作業していたバダダムが、その様子に苦笑いしていた。
念のためということで、クウォンから持ってきた木樽も、海に沈めておこうということになっていた。樽を綱で括り、ヤシの実みたいな水に浮く大きな果実の殻を目印のブイにする。
町の漁師たちには、魔法の実験中で危ないから近寄るな、と言っておけばいいだろう。
『じゃ、戻りますかい?』
「ですね。お願いします」
ぎい、ぎい、と櫓が漕がれ、船が島を目指して進んでいく。
振り向くと、ヘレナが顔を出して、手を振っていた。
その見た目はいかにも妖精めいていて、セイレーンのようだった。
というかこのヘレナが海にいてくれたら、自分たちはまさしくセイレーンを味方に付けたようなものといえる。
その精神魔法があれば、クウォンに人が立ち入れなかったように、不埒な船を追い払ってくれるだろうから。
それでいつまでも手を振っていたら、わき腹を叩かれた。
クルルは船縁に頬杖をついてそっぽを向き、ご機嫌斜めな猫そっくりに、長い尻尾の先端で船の床を叩いている。
そしてクルルは大きなため息をつき、「アホヨリノブ」と言ったのだった。
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