第174話
***クルル②***
クルルは、仕切りの向こうにあるそれをジレーヌに持ち帰ろうという頼信の提案に、猛反対した。
なんならクウォンからずっと頼信の顔が晴れないのは、その時に喧嘩みたいになったからだろうか、と気を揉んでいたほどだ。
あの時の頼信は、いつもの気弱さがなりをひそめ、普段はどこに隠しているのかわからない鉄のような意志と理屈で、頑として自説を押し通してきた。
それはまさにツァツァルが言った、生き残るためにならなんでもやって、役に立ちそうならあらゆるものを利用する、という頼信の性質そのものだった。
そして言い合争いで負けたクルルは、頼信の胸ぐらを掴んででもその計画はおかしいと撤回させようとしたのだが、適わなかった。
ノドンを倒すとか、ロランと正面から戦うとか、魔導隊にだって勝てるはずだとか、頼信はいつもとんでもないことを言い出して、結局実現してきてしまっている。
そんな頼信だから、今回のそれも正しいのかもしれない。
ただ、今の頼信がふさぎがちなのは、その時の意見の対立が原因とはあまり思えず、クルルはずっと気になっているのだ。
「じゃあ、あいつの様子を見に行ってくるが……なにかあったらすぐに呼べ。小部屋の中のあれを、すぐに船ごと海の藻屑にしてやる」
クルルは可能な限り声を低くして、真剣に言った。
仕切りの向こうに積み込まれた荷物というのは、それくらいに危険で、馬鹿げたものなのだから。
「あんなのを同じ船に積むなんて、頭がおかしいとしか思えない。おまけに、島に連れ帰るだなんてもってのほかだ」
『その点については同意するが、大宰相殿の言い分には正しさもある』
クルルはツァツァルに向け、日和見の裏切り者、とばかりに舌打ちする。
船倉の一部は壁で仕切られ小部屋となり、扉には鍵もつけられている。
だが、そんな鍵などまったく無意味なのだと、船長は理解しているのだろうか?
いや理解しているはずがない。
なにせそこに積み込まれているのは、表向きは陶器を作るための粘土なのだから。
森が豊かなクウォンでは陶器の製造も盛んらしく、ジレーヌには陶器があまりないから、頼信が土を買い始めた時には、商売の足しにするのだろうとばかりクルルは思っていた。
しかしクウォンの聖なる山の一部を魔法で吹き飛ばし、魔石を掘り出したあたりで風向きが怪しくなった。
頼信はバダダムたちに指示を出し、魔石を砕いて陶器用の土に混ぜて、合成魔石らしきものを作り始めた。
それも、作れるだけ作ろうという感じで。
敵を倒すのだとしたらあまりに量が多すぎるし、なにより敵はすでに倒してしまった後だ。
魔石は貴重だから持ち帰りたいのだとしても、こんな遠方の土地から持って帰るほどだろうか。しかも換金しやすい既存の魔石としてではなく、わざわざ砕いていた。
今のジレーヌ領には事実上三つも魔石鉱山があって、魔石の粉なら使いきれないほど存在するというのに。
いぶかしんでいたら、案の定、あの異世界人はとんでもないことを言い出した。
「悪魔を島に連れ帰るだなんて、正気の沙汰じゃない……」
甲板に続く階段を登り際、クルルは仕切られた船室をもう一度睨みつける。
そこには合成魔石を道中の餌として、あのヘレナがいる。
そしておそらく、頼信がふさぎ込んでいる原因は、ヘレナが多かれ少なかれ関係しているはずだった。
頼信の様子がおかしくなったのは、クウォンの山でヘレナから古代帝国の話を聞いて以来だと思う。急に口数が減ったし、飯の最中も心ここにあらずで、やらなければならないことが多いからと、温泉にも浸からずにずっと書きものに専念していた。
なんなら自分がいないところでヘレナと二人、なにか話していたらしいことも掴んでいる。
そんな頼信が、急に言い出したのだ。
悪魔や魔物の類は魔石鉱山に現れるが、それは単に食事の魔石がそこにしかないため、そこにいるのではないかと。
確かにヘレナは魔導隊と戦う際、山から下りて聖堂まで赴いた。
ならば生きる糧となる魔石が十分にあれば、長距離移動も可能なのではあるまいか。
よって、魔石と共に船に乗り、数日かけて遠い地のジレ……というあたりで、クルルは頼信の首を絞めるために飛び掛かっていた。
鉱山から魔物の竜が出てきてひどい目に遭ったのを忘れたのか。
悪魔は竜に輪をかけて恐ろしい魔物だとわからないのか。
それを逃げ場のない狭い島に連れ帰りたいとはなにごとか。
考えられる限りの理屈を投げつけたが、すべて簡単に打ち返されてしまった。
ヘレナは言葉が通じ、理性を保っている。
ヘレナは古代の知識を持ち、それはどんな宝石よりも貴重なものである。
それからクウォンの山は、魔法を使う茸の魔物とかいうとんでもないやつらが大繁殖しているせいで、遠からず鉱脈が枯渇してしまい、ヘレナは飢え死にするだろう。
当のヘレナも、移送作戦に失敗したところで死ぬのが遅いか早いかだけだから、と笑っていたし、クルルはそこに、人間だった頃のヘレナがどれだけ大変な思いをしてきたかを感じ取ってしまった。
なのでクルルには、それ以上なにか言うための言葉がなく、計画に対する本能的な忌避感だけが胸でくすぶっていた。
実際に、嫌悪、懸念などというものは、理屈ではなく感情の話である。
生き延びるためには時として不要なものだろうし、イーリアと二人、ジレーヌ領で世の理不尽に耐え続けている間も、感情など煩わしいものでしかなかった。
だから言い争いの最後に、クルルはぽろりと言ってしまったのかもしれない。
今回も、そして今までも、とんでもないことを言い出す頼信の側にい続けてきたからこその、言葉だ。
――いつも、私だけ心配しているみたいじゃないか……。
理屈で勝てなくて、悔しくて、女々しい台詞が出てしまった。
クルルはすぐに後悔したが、あろうことか頼信は、ほっとしたように笑ったのだ。
「そのおかげで、自分は遠慮なく馬鹿なことを考えられるんですよ」
階段を登り、誰もいない船内の廊下で、クルルは頼信の言葉を小さく呟いた。
弱っちい間抜けが見せる、心の底から頼りにしているような、無防備な笑顔。
あの時の頼信の顔を思い出すと、クルルはたちまち耳の付け根がかゆくなり、尻尾がうねうねと落ち着かなくなる。
ずるい、ばか、くそやろう、と胸中で繰り返す。
そこに、ツァツァルの言った、臆病者という言葉を付け足した。
結局クウォンでは、同じ湯に浸かってくれなかった。
大騒ぎの後、聖堂の司教と話をしている頼信を急襲したら、やけに強く抱擁はしてくれたが……と、髪の毛をいじりながらクルルは思い、そんな自分にまたいらいらする。
「私はいつから、こんな腑抜けになったんだ……?」
大きく息を吸って、吐く。
イーリアと二人、ジレーヌ領で気を張っていた時はこんなことはなかった。
おかしくなったのは全部、あいつが現れてからだ。
でもすべてが明るく輝きだしたのも、あいつが来てからだった。
クルルはそのことをよくわかっている。
ジレーヌ領の皆もわかっている。
だからついていくしかないし、それを望んでもいる。
いつも自信なさげで、なんならおどおどすらしているのに、妙なところで誰よりも意固地で、向こう見ずで、怖いもの知らずな変な奴だというのに。
クルルはうねうねしているしっぽを掴み、強めに手の中を滑らせて毛並みを整える。
今まであのアホがとんでもない方向に走り出す時、いつもその隣にいた。
ならばクウォンでの一件以来、様子がおかしいあいつの隣にいるべきなのは――。
「わかってるよ」
誰にともなく言って、クルルはいらいらと頭を掻く。
少なくともあの下品な師匠はいない。
多少みっともないことになっても、笑う奴は魔法で丸焦げにすればいい。
クルルは意を決して、階段を登って甲板上に上がった。
忙しなく働く船員たちの向こうに、海賊に捕まった捕虜みたいに身を縮めながらなにかを書く、頼信がいた。
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