第167話

 結局、魔導隊には二人の死者が出た。


 残りの者たちも、複数個所骨折している者、爪にやられて半死半生の者がいたので、その数は増えるだろう。

 獣人が本気で人間に牙を剥くとどうなるのか、まざまざと思い知らされる。


 いや、これでもバダダムは本気ではないのだ。


 あの爪と牙を全力で用いれば、魔導隊は全員肉片に変えられていたはず。

 殺さないようにと手加減していたから、時間がかかっているようにも見えた。


 魔法が無ければ、たった一人の獣人に立ち向かうだけでも、膨大な犠牲が出る。

 かつて魔法を手に入れる前の人間は、獣人の餌となり、奴隷として使役されていたという話だが、そこからの解放戦争は本当に地獄のようなものだったに違いないと思った。


 そして同時に、バダダムの言葉の意味も少し理解できた。


 この戦術は単純だが、容易に真似することはできまい、と彼は言った。

 なぜなら、死神の口が開いている間、その周囲で獣人に勝てる者はいなくなるのだから。


 彼らの巨大な爪と牙は、果たして敵にだけ向けられるだろうか?


 魔法使いが、いや、人間が自らの強みを消すことで成立するこの戦術。

 自分が思っていた以上に、この世界の住人にとっては厄介な代物かもしれなかった。


「あなたたちは、いったい何者なのです」


 ある程度状況が落ち着く頃、自分と司教は、聖堂の執務室で対面していた。

 司教の顔は、表情を隠すための鬚に覆われていてもなおわかるくらい、青ざめていた。


「何者でもありません。仲間の獣人の怪我のため、どうしても聖女に会いたくてここを訪れた、ただの旅人です」


 白々しい嘘だったろうが、先ほどの魔導隊との戦いを見て、なお問い詰める度胸は司教にはなかったらしい。ため息交じりに髭を撫でるのみだった。


「それより、魔導隊の処遇についてはどうなりましたか?」

「ふう……。向こうは、筋書きを飲むとのことでした。あの隊長も、部隊がこんな様子では本国で言い訳をする必要がありますからな。魔導隊は貴重な帝国の戦力であり、財産です。それを棄損すれば、自らの首どころか、一族郎党がまとめて危うい」


 司教を通じ、この騒ぎの落としどころを、意識を取り戻した魔導隊の隊長に持ち掛けた。

 帝国最強の部隊を壊滅させ、やったー万歳、はいおしまい、とはならないからだ。


 彼らの復讐心も心配だったが、もっと厄介な点がある。


 彼らが本国に帰れば、帝国はとんでもない敵対勢力が辺境部に存在すると認識するからだ。


 ならば魔導隊を全員殺して土に埋めればいいのかというと、それはそれで、属州にて消息を絶った魔導隊を探すため、大規模な兵の投入を招きかねない。

 それゆえに、戦いでは直接役に立たなかった自分のなすべき仕事は、事後をうまくまとめること。


 その点で、魔導隊が獣人にやられたというのは、不幸中の幸いだった。


 というのも魔法使いが獣人にやられるというのは、戦国時代ならば武将が馬に蹴られるような不名誉らしく、彼らは真実を隠したがるから。


 ゲラリオからその話を聞いて、ある筋書きを書いた。

 魔導隊の処遇について気を揉んでいた司教に持ち掛ければ、二つ返事で手を貸してくれた。


 その筋書きとは、こうだ。


 聖女の力を狙った謎の魔法使い集団が現れ、たまたま聖堂を訪れていた魔導隊が、聖職者たちと共に戦った。しかし敵は数が多く手練れであり、多大なる犠牲を払わざるを得なかった。

 しかし神の御加護もあり、どうにか辛くも勝利することができたと。


 司教は近隣の司教区に助けを求めた使いを走らせていたが、こちらは伝言の行き違いということにすればいい。


 また司教は、魔導隊が聖女を守るために命を投げ捨てんばかりに奮闘してくれたことを帝国に感謝することで、彼らのことを信仰の守護者、正義の担い手とすることができる。

 こうして彼らの面子は保たれるわけだ。


 怪我人たちは帝国で英雄となり、貴族として傷痍年金をもらい、自分たちの存在は公にならず、彼らもわざわざ危険な復讐劇に血道をあげる必要もなくなる……はず、という流れだ。


「いずれにせよ、この属州一体を受け持つ彼らの部隊は、再起に時間がかかります。我が聖堂にちょっかいをだすようなことも、しばらくなくなるでしょう。神に代わり感謝を。もちろん、礼のほうはお約束の倍……いえ、なんなりとお申しつけを」


 機嫌を損ねれば、次に血祭りにあげられるのは自分たちだ、とでも言わんばかりの平身低頭ぶりに、さすがに居心地が悪い。


「いえ、約束通りで構いません。その代わり、私たちのことは、必ず、内密に」


 どこの誰かは知られていないはずだが、ノドンとつながりがあることや、河口の町で紹介状を書いてもらったことなどから、ジレーヌ領まで辿られかねない。


「はい、それは、もちろん、必ず、はい」


 司教が髭の奥で口をもごもごさせているのは、言われずとも二度と関わり合いたくない、ということだろう。


「ただ、魔導隊はそんなにしょっちゅうこの聖堂を荒らしに?」


 彼らの狙いが聖女なら、彼らは聖女についてなにか特別な情報を持っているのだろうか。

 帝国が聖女についてどんな情報を掴んでいるのか、こちらも知っておきたい。


「そう……でもないのです。なにせここは辺鄙な場所ですから、彼らにとっては退屈な場所です。ただ……」

「ただ?」

「今回は、長い旅の途中に、ちょっと嫌がらせにここに立ち寄ったという話を聞きました」


 司教は口ごもり、窺うような上目遣いになる。


「彼らはある命を受けていたそうです。というのも、ここよりさらに西のほう、辺境の果てに、気がかりな土地があるからと……」

「……」


 顔に出た、とは思わないが、そもそもこの司教は、こちらの正体に薄々勘付いていたようだ。


 ノドンはこの町でもジレーヌのことを何度も耳にしたと言う。

 司教も少なからず耳にしたはずだ。


 そして魔導隊の目的と、魔導隊を完膚なきまでに叩きのめしてしまった自分たちの所業を見れば、司教が答えに至るのは当然のことと言えばそうだ。


 ただ、懸命に知らない振りをしているのは、ある種の命乞いに感じられた。


 秘密を知った者は、長く生きられないのだから。


「教えていただき、ありがとうございます」


 頭を下げると、司教は首をすくめ、「いえいえ、滅相も」とかなんとかもごもご呟いていた。


 帝国の中枢がジレーヌ領の噂を耳にし、警戒し、魔導隊を送って調査しようとしていたのなら、このまま見逃されるということもあるまい。

 魔導隊に提案した筋書きどおりに話が進めば、帝国は謎の敵対勢力のほうに注意を向け、ジレーヌ領のことは後回しにしてくれるかもしれない。


 しかしいずれにせよ、いつか帝国中枢は、ジレーヌ領の調査に乗り出すだろう。

 彼らとやり合うことは、覚悟しておいたほうが良い。


 それに、ヘレナの語った言葉が蘇る。


 ――帝国を、滅ぼして。


「では、失礼します」


 司教はほっとしたように肩から力を抜き、立ち上がると互いに握手を交わした。

 そんな愉快とは言えない会議を終え、聖堂の一室を出たところで、廊下にいるクルルに気がついた。

 ヘレナの魔法が解けたらしい。


 機嫌が悪そうに見えるのは、寝起きだからかもしれない。


「終わったか?」

「はい。ゲラリオさんたちは?」


 クルルは答えず、近寄ってくると、こちらの脇腹を拳で突いてきた。


「ぐっ⁉」

「眠らせるなんて、か弱い女の子扱いか?」


 戦いの重圧に負け、血みどろの地獄絵図に吐いてしまった、と思われるのが癪なのだろう。


「いえ、そういうわけでは……」


 じゃあどういうわけだと聞かれたら言葉に窮したが、幸いにクルルはそれ以上追及してこなかった。


「師匠たちは、湯に行ったよ。戦勝の祝いだと」

「え? あ、はい」


 さっきの質問の答えだ。

 しかしなんだか唐突で戸惑っていたら、クルルはしばしこちらを睨み、そっぽを向く。


「お前は?」

「ヘレナさんに会いに行こうかと」

「ああ、そうか。なら、私も――ん?」


 クルルは途中できょとんとし、忌々しそうに目を細める。


 まるでこっちが罠にかけたとでも言いたそうだが、クルルがなにを先走っていたのか、すぐに気がついた。


「湯に行くとしても、クルルさんとは別々です」


 この世界は未開で野蛮。風呂が男女別なんて繊細な気遣いはない。

 ほとんど半裸の男女が入り乱れ、酒と楽器で愉快な酒盛りが、湯治場での過ごし方だ。


「前の世界では男女別々が常識でしたから、どうにも抵抗が……」

「お前はこっちの常識を壊してばかりじゃないか」

「それはまた話が――」

「ああ、もういい。どうせ兄と妹だからな!」


 クルルはそう言い捨てて、大股に歩いて行ってしまう。


 ゲラリオにからかわれたことをまだ気にしているのか、とも思ったが、クルルはしばし歩いた後、急に立ち止まって振り向いた。


「なにしてる! あの悪魔のところに行くんだろうが」


 ご機嫌斜めで情緒不安定、というより、毛玉に飛びついたら絡まって抜け出せなくなっている子猫のように見える。


 むすっと膨れているクルルに恐る恐る近づいていくと、クルルはものすごく大きなため息をついて、頭を掻いていた。


「……礼を、言いたかったのに」

「え?」

「肩、支えてくれただろ」


 巨大な死神の口を起動させ続けるために、クルルは文字どおりに体の中の魔力を絞り出していた。

 あの時の自分にできるのは、そんなクルルを支えるくらいだった。


 けれどプラシーボくらいにはなったのかもしれない。


 そしてプラシーボは、世間で思われている以上に強力だ。


「兄でもなんでもいい」


 クルルは小さく言って、上目遣いに見上げてきた。


「近くにいたい」

「……」


 こんなの我慢できるわけもなく、気がついたら正面から抱きしめていた。


 クルルはちょっと驚いたようだったが、すぐに体の力を抜いて、喉の奥をぐるぐる鳴らしていた。


 理性が紫色の煙となって消えていくのを実感したが、前の世界で散々拗らせたなにかは、バケツプリンよりよほどでかい。

 だから今すぐ温泉に、とはならないが、廊下に人の足音を聞きつけ慌てて腕を解いた後も、クルルの手を握って離さなかった。


「代わりに、ヘレナさんに会いに行く前に、ご飯でもどうですか?」


 精一杯の前進と思って欲しい。


 クルルは肩の力を抜いて、勘弁してやるか、という感じだった。


「いいぞ。だけど、辛いやつな」

「えぇ……?」


 クルルは牙を見せてにっと笑い、肩を寄せてくる。


 兄でもなんでも確かにいい。


 そう思わせる、笑顔なのだった。

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