第164話

「おわっ⁉」


 背後から聞こえたヘレナの声に、思わず声を上げてしまった。


 振り向くとすでにその姿はなく、ほどなく聞こえた、どさりという音。

 慌てて音のほうに向き直り、茂みの外を覗いてみる。


 先に飛び出していたクルルとバダダムが、動きを止めていた。


 茂みをかき分けて、顔や体についた土を払いながらクルルたちの側に近寄ると、地面には二人の男が倒れていた。


 仕立てのよさそうなローブを纏い、やたら宝石類を身につけている。

 この手の輩は髪の毛でも自己主張をしたがるのが万国共通のようで、それぞれに凝った髪型をしていた。


 それが今、目を半開きにしたまま、うっすら微笑みながら仰向けに倒れている。


「こいつら……どんな夢を見てるんだ?」


 クルルがヘレナを見ながら尋ねたので、どうやらこの二人はヘレナの魔法にやられたらしい。


『どんな夢って、殿方がこんな顔してるんだもの。決まってるでしょ』


 ヘレナの楽しそうな言葉に、下ネタ嫌いのクルルは嫌そうな顔をしていた。


「……しかし、なぜ私らがいるのがばれた? 茂み越しで、そこそこ距離もあったのに」


 気配に敏感な獣人ならばまだしも、彼らは普通の人間に見える。

 あるいは漫画でよくあるように、魔法使いは魔力を探知できるのか?


 そう思っていたら、倒れた男の一人が、右手に魔石を握っていることに気がつく。


「これ、かもですね」


 しゃがみこみ、恐る恐る手に取ると、見たことのない魔法陣が刻まれている。


 クルルに渡せば、ほどなく淡い光が点滅した。


「……なるほど」


 クルルの手の動きにあわせ、淡い光の一部分が濃くなったり薄くなったりする。


 魔法使いそのものを探知するのかと思ったが、バダダムに向けても反応したので、どうやら魔石を感知できるらしい。


「魔法使いは必ず魔石を持ってるからな。この魔法を知らず、茂みの中で隠れたつもりになってるなら、確かに間抜けな野良魔法使いだ」


 クルルは自戒するようにため息をついてから、男たちの服を検めていた。

 ローブの下には魔道具店で見たような装備を着けていて、どれも上等だ。クルルは悪そうに笑い、尻尾を嬉しそうにうねうねさせていた。


 それからバダダムと一緒に、片っ端から衣服を剥ぎ取りはじめた。


 止めないのは倫理的な話ではなく、魔法使いは身ぐるみを剥いでおかないと、魔石を隠し持っているかもしれないからだ。


「しかし、本当に色んな魔法がありますね……。知らないと一方的に負ける魔法があるってことですよね」


 魔導書がどうして高いのか、理由がよくわかる。


 剥ぎ取った装備を眺め、魔石類を確認してバダダムに渡していたクルルは、試しに奪った腰帯を巻いていたが、大きすぎて巻けなかったようだ。


「知らないと負けるって意味じゃ、こいつも相当だろ」


 そのクルルが視線を向けたのは、倒れた男に手を当てていたヘレナだ。


『ん?』

「というか、なにしてるんだ?」

『根こそぎ魔力を吸い取ってるのよ。尻の中に魔石を隠してるかもだし……というか、この感じだと多分隠してるわね』


 ヘレナの身体は炎のように揺らめいていて、輪郭が一定しない。

 その揺らめきが、なにかを吸い込むように強くなっている。


 クルルは尻の話に顔をしかめていたが、自分は別の感想を抱く。


 チャラついているように見えて、この男たちはやはり戦いの専門集団なのだ。


 ヘレナの不意打ちがあったから助かったが、背後から急襲する程度の策では、かえって危なかったかもしれない。


『死ぬ一歩手前まで吸っておいたから、三日間は起き上がれないと思う』


 魔法の使い過ぎによる疲労感をよく知っているクルルは、その時の辛さを思い出したのか苦い顔をしていた。


 倒れた男たちは見るからにげっそり痩せているが、顔は恍惚としたままだ。


「悪魔はなんでもできるのか?」

『なんでもじゃないわ。「これ」は、魔法使いが肉やパンを噛みちぎれるのと同じこと』


 魔力、あるいは生気を吸われた男たちを指差しながら、ヘレナが言う。


『私の魔法だって、多人数相手にできないし、効果もまちまちよ。この二人はお使いに出される程度だから、弱いんじゃないかしら。それに欲望丸出しだったから、ひっかかりやすそうな夢もわかってたし』

「魔石なしで使えるってだけで卑怯だよ」

『うーん……代わりにこれしか使えないのよね。魔石にどんな魔法陣を刻んでも、なんというか、全部この体に吸い込まれて、同じものしか出てこないって言ったら伝わる?』


 鉱山に現れる魔物は魔法を使う。


 ただ、ゲラリオの話では魔物は種類分けされ、それぞれ使用する魔法が異なっているようだった。竜などが顕著で、炎、氷、風、などと分類されている。

 ヴォーデンの鉱山にいた悪魔も、重力を操るような魔法一本槍だった。


 そして、そう、この山の茸も、ヘレナと同じ魔法を使う。

 となると鉱山と魔法は、なんらかの関係があるということなのだろうか。


 そういえば、ジレーヌ領の鉱山の、同じ鉱脈から出てきた鉱山帰りは、同じ世界の同じ時代からやってきた……。


「ヘレナさんたちの時代でも、魔法の謎はすべて解かれたわけではないのですか?」


 この悪魔は、古代都市を丸ごと灰に変えてしまうような大規模魔法が、実際に運用されていた時代を生きている。


 魔法に関する失われた知識を、ほかにも知っているかもしれない。


『どうだろ。私はそんなに詳しくないのよ。生きてる時は普通の町娘だったしね。まあ、聖女様ってのはその時から呼ばれてたんだけど』

「?」


 クルルは首を傾げていたが、自分はその含みでなんとなく察した。

 やたらはすっぱな話し方で、聖女様。


 いや、男たちにとっては、女神様か?


『ヨリノブ殿。話していないで聖堂に向かいましょう。睨み合いのようですが、事態がいつ動くかわかりませんよ。それに、ここからじゃ正確な事情が分かりません』

「そう、ですね。はい」


 黙って話を聞いていたクルルは、魔導隊の男たちを見下ろし、顔をしかめてから斜面下に向かって歩き出す。


「ただ、どうやって連中を叩きのめす? 不意を衝くつもりだったが……連中がどんな秘策を持ってるかわからなくなった。連中に考える頭があれば、さっきの魔石探知の魔法で周囲を警戒しているはずだし、手がそれだけとも限らない」

『ワレラの仲間もいるので、大規模な魔法は避けて欲しい』


 バダダムのやや懇願するような言い方に、クルルは不服そうな顔をしていた。


 大魔法を撃てないことについてではなく、すぐ大魔法を撃ちたがると思われていることが不服だったようだ。


『私も多人数は無理だと思う。というかこの辺、もうほとんど茸に鉱脈を使われてるみたいで、私の力も全力でいけるかどうか』


 ヘレナは自身の手を見て、炎のような揺らめきを強めたり弱めたりしている。


 悪魔のチート魔法も制限されるとなると、無策で突撃するのは自殺行為だ。

 数は向こうが多く、おそらく戦闘経験も豊富。


 初撃で圧倒できなければただちに体勢を立て直され、乱戦に陥れば明らかにこちらが不利。

 方陣のようなものを組まれたら、合成魔石による大魔法でも崩せなくなるかもしれない。


「話し合いで穏便に解決されるのを待つ……というのも」


 聖堂の司教は近隣に仲間を呼んでいるようだった。

 それにゲラリオの話では、異端審問官という身分を偽れば、魔導隊も教会との間で大きな問題になることを避け、強くは出られないはずだと言っていた。


 今も猫の喧嘩のようにお互い唸りまくっているが、実のところ互いに落としどころを探っている……とも考えられるのではないか。


 そこに、クルルが左の牙を見せながら言った。


「あの二人だけ特にお行儀が悪いとでも? 聖堂に積み上げられていた獣人を、面白がって魔法で撃ってたような奴らだぞ」


 確かに少しだけ聞こえた会話でさえ、関わり合いたくない雰囲気がびんびんにあった。

 彼らは野営の仕方も汚く、キャンプ場でマナーの悪い客がどんなふうかを思い出して、嫌な気持ちになる。


「ああいう連中は、一度揉めたらおとなしく引きさがるなんてことは絶対にない。完全に叩きのめしておかないと、必ず仕返しにやってくる。やらなければ、やられるのはこっちだ」


 野蛮なこの世界の、特に暗い部分を生き抜いてきたクルルの言葉は重い。


 しかし、現実的な問題が立ちはだかる。

 こちらの戦力は、あまりに限られているのだから。


「ヘレナさん。魔法はともかく、ヘレナさんが聖堂の中に飛び込んで、片っ端から魔法使いたちの魔力を吸い取るというのは?」

『あれは綱引きみたいなものなのよ。こっちを認識されたら、力んで手綱を離さないみたいな』

「なるほど……」


 つまり減らせるのは、最初の一人か、二人。

 となると、やはりクルルが複数人の魔導隊を相手にしなければならない。


 襲撃を見て即座に意を汲んだゲラリオが参戦しても、こちらの魔法使いは二人。


 残るのはバダダムと、クルルにも腕相撲で負ける自分だけ。


「連中が持ってた魔石をなにか試してみるか?」


 剥ぎ取った魔石の中には、見たことのない魔法陣がいくつかあった。

 それが特別な効果を持つ可能性もあるが、自分は首を横に振る。


「島での実験のことを思い出すべきです」


 クルルは肉体強化の魔法を植物に撃とうとして、自分自身に跳ね返るような失敗をした。

 ゲラリオがいたから対処できたが、その手の失敗をしたら自分ではリカバリーできない。


 魔法の効果は謎が多く、威力が大きい分、危険も大きい。

 使うならば、知られた魔法陣に限るべき。


 となると、もしかしたら合成魔石の技術が未だに発見されていないのも、この手の危険が一因なのではないかと思った。


 大量の魔石を消費して、しかも貴重な魔法使いを危険に晒してまで不確実で危険な研究をするよりかは、既存の知られた魔法陣を秘匿するほうが、権力者層には都合がいいのだから。


 だから偶然見つけた合成魔石の秘密は、おそらくこの世界を出し抜く貴重な鍵となるはず。


 しかし、その合成魔石もまた、完璧な技術ではない。


「じゃあやっぱり、でかい魔法に賭けるしかなくないか? 魔石を全部こね合わせて、一瞬で焼け焦げにすればいいわけだろ?」


 クルルはそのように主張するが、船団のようなでかい的に向けては途方もない威力を放った大魔法も、聖堂の中にいる者たちだけを狙撃できるほど精密に放てるとはとても思えない。


「そもそも聖堂が崩れてしまいませんか?」


 聖堂は石造りで、重い天井が互いに寄りかかるような構造になっていた。

 バランスを崩せば一気に崩壊する。


「いっそ壊せばいい。連中が合成魔石のことを知らず、天然の魔石で武装してるなら、どれだけ魔法使いとして優れていても使える魔法の大きさには限度がある。炎や風では、迫りくる巨大な石をさばけない」


 乱暴な、しかしある意味合理的な意見。

 そこにバダダムが言う。


『猫姫よ、その理屈だと、師匠も、あのやかましい占星術師も巻き添えになる。ワレラの仲間でさえも、耐えられるかどうか……』

「~~っ!」


 苛立ったクルルが、歩きながら地団太を踏むように地面を踏みつける。


 魔法は万能ではない。


 物理法則や因果律までをも、自在に書き換えられるわけではないからだ。

 魔法使いにも破れないルールが厳然としてあり、それは敵も味方も変わらない。


 ただ、クルルの野蛮な意見には重要な知見もあった。


 どんな魔法使いたちも、圧倒的な物理には弱い。

 ならば彼らの真上の天井だけ崩せれば、生き埋めにすることも可能?

 いくら魔導隊といえど、降り注ぐ巨石を自由にはできないのだから。


 するとこの方向に、活路があるのではなかろうか。

 彼らも人間であり、この世には物理法則があり、作用反作用の法則が成立する。


 だから魔法でさえも、圧倒的な物理の前には、だから、この場合……。




 レベルを上げて、物理で殴れ。




 有名なミームが、脳内で弾けた。


「あ⁉」


 思わず声を上げていた。


「……どうした?」


 先頭を歩いていたクルルと、その斜め後ろを歩いていたバダダムが同時に振り向いた。


 物理、魔法、物理、魔法。

 クルル、バダダム、クルル、バダダムと見比べる。


 それから最後に、ヘレナを見た。


「ああ、そうか……えっと……」


 こちらは限られた手札しかないが、その手札に書かれているステータス値は、決して一様ではない。

 強い手札と弱い手札は、決して確定的なものではないのだ。


 どれかはどれかに圧倒的に強く、どれかはどれかにひどく弱いが、その強弱は循環している。

 そう。


 だからそもそも、冒険者たちは、パーティーを組んでいる。


「提案があります」


 クルルは耳を立て、こちらの作戦を聞く。


 聞き終わる頃には、耳を尖らせ、牙を見せていた。


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