第156話

 ゲラリオはバダダムの毛皮とクルルの首根っこを掴み、引きはがすようにして歩きだす。

 有無を言わせぬ乱暴さは、そうしなければ二人が扉を開け、聖堂に飛び込みかねないと思ったのだろう。


「そこの窓から庭に出ろ。表の入り口は逃げる参拝者でごった返してるだろうし、魔導隊のクソが見張ってるかもしれん」


 ゲラリオが示したのは、回廊の外側の壁に取りつけられた鉄製の窓だ。

 鉄格子が嵌められているが、魔法かバダダムの腕力ならば外せる。


 しかし、人ならざる二人は師匠と対峙した。


「師匠」

「だめだ」


 クルルにゲラリオは即答する。


「不意打ちで聖堂ごと焼け野原にしていいなら、魔導隊の連中を倒せるかもしれんが、山ほど巻き添えが出る。そうでないなら、この面子で楽勝、というわけにはいかん」

「じゃああの獣人たちを見捨てるのか⁉」

「へたに突っついて反撃され、万が一ヨリノブを失ったらジレーヌ領はどうなる? お前の優しいおにーちゃんがいなくなるだけじゃ済まねえぞ」

「っ!」


 なにか変な図星を突かれたのか、クルルが顔を真っ赤にして目を見開いていた。


 ただ、ゲラリオはもちろん、クルルをからかうために言ったのではない。

 自分が死ぬか大怪我をすれば、クルルは間違いなく無茶な復讐を企てるだろうし、ゲラリオはなんだかんだクルルを見捨てられないから、手を貸さざるを得なくなる。


 おかげで勝てない戦いに身を投じ、全滅まっしぐらだ。


 自分の代わりは健吾が務めてくれるだろうが、二人の魔法使いを失ったらジレーヌ領は立ち行かない。コールとバランだけではあの島を守り切れず、なによりクルルを失ったイーリアがどうなるかなんて、想像したくもない。


 聖堂の舞台ではまたしても獣人たちがひどい目に会っているにしても、一寸先が闇なのは自分たちも変わらないのだ。


 先に諦めたのは、現実的なバダダムだった。

 バダダムが窓の鉄格子を外しにかかると、ゲラリオが言った。


「だが、逆に好機でもある。これで聖堂側は戦力がますます欲しくなったろうからな。ヨリノブ、お前の慈悲深さが生きるところだ」


 ノドンとのやり取りは伝えてある。


 聖職者たちに取り入っていたノドンは、聖堂側が魔導隊の横暴に対抗するため、遠からず戦力を欲すると見込んでいた。


 謎に包まれた聖女に近づくには、戦いのどさくさは絶好のチャンスとなる。


「撤退だ。これも戦場では必要な勇気だ。覚えとけ」


 ゲラリオはクルルの頭がへこむくらい強く撫で、バダダムが鉄格子を外した窓から、一足先に外に出た。

 周囲に魔導隊の仲間はいなかったようで、出てこいと手ぶりで示される。


 ファルオーネが出て、バダダムから先に出るよう促されるが、自分の後ろではクルルがうつむいたまま服の裾を握りしめている。


 ひどい目に会っている獣人のこととか、本人的には隠しているつもりだったらしい感情を無遠慮に指摘されたこととかで、いっぱいいっぱいなのだろう。


 ゲラリオは強くて面倒みも良くて素晴らしい冒険者だが、デリカシーがないのが玉に瑕だ。


「クルルさん」


 そして自分はへたれでも、歳を重ねた分、多少は大人である。

 クルルの手を乱暴に掴んで、さっきのことは聞かなかったかのように振る舞った。


「早く出ますよ」

「っ……」


 いつもは強気の少女がなお顔を真っ赤にしたまま、切実に言い訳をしたそうだった。


 けれどこの場をうまく収める繊細な言葉なんて、自分もこのクルルも持ち合わせていないし、時間もない。

 こういう時はショック療法だ。


「んゃ⁉」


 華奢なクルルを強く抱きしめると、奇妙な声を上げて固まった。

 それから腕を解き、窓に向けて押し出した。


「ゲラリオさんと一緒に退路を確保してください」


 いきなり抱きしめられ、思考が停止したクルルに追加で言った。


「それで、あの無神経な尻に向けて、火の魔法でも放ってやればいいんです」

「……」


 クルルは依然として混乱状態だったが、少なくとも自分のほうはなにも気にしていない、とわかってくれたのだろう。ふらついてはいたが、それでも猫のような身のこなしで窓から外に出ていった。


『兄とはまた違うと思いますけどねえ』


 あんまりこの手の話題に絡まなそうなバダダムが、ぽつりと言った。

 クルルの動揺具合に、今更? と呆れているようでもある。


「自分はどっちでも大丈夫なんですけど」


 そう答えると、バダダムはきょとんとこちらを見てから、肩を揺らして笑っていた。


『早く出てください。しんがりはワタシの役目です』


 もたもた窓を越えて外に出ると、ゲラリオが先行して道の先の様子を窺い、そのすぐ後ろにファルオーネがいる。こちらとゲラリオとの中間くらいでは、クルルが魔石を手に周囲を警戒していた。


 バダダムと共にクルルに追いつくと、クルルはまだ頬を赤くしていたし、真剣な顔はむくれて拗ねているようにも見えた。


 頑なにこちらを見ようとしないが、へたな慰めの言葉は逆効果。

 自分の思春期の頃を思い出せばいい。


「敵は?」


 実務的な問いに、クルルは耳を一瞬尖らせてから、少しほっとしたように答えた。


「いない。このまま逃げる」

「はい、お願いします」


 クルルはなにか言おうとしたが、結局口をつぐんだまま、走り出す。


 自分たちが町中に戻ると、そこも結構な混乱だった。

 魔導隊が大々的に狼藉を働いたのだろう。


 その目的はおそらく、聖堂に積み上げられていた獣人を引っ立てるため。


 クウォンは辺鄙な土地だから、獣人を荷物持ちにしている旅人がほとんどで、狩りの獲物には困らない。

 怪我をして道に座り込んでいる人や、激昂して誰かに怒鳴っている人は、旅の友を連れ去られてしまった人たちだろう。


 彼らの横を走り抜け、そして、ようやく宿にたどり着く。


 しかし。


「……師匠」


 クルルがゲラリオの背中に、声をかけた。


 宿の入り口は壊されていて、主人が額の怪我を押さえながら、世の中の理不尽にうちのめされたように座り込んでいた。


 ゲラリオが階段を駆けあがって部屋に赴けば、二人の獣人がいるはずのそこは、もぬけの殻だった。

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