第157話

 クウォンの町は巡礼と湯治で栄えている。

 けれどどこの町からも遠く、山の中にあるせいで交通の便は恐ろしく悪い。


 おかげでここを訪れる者たちは、ほぼ間違いなく獣人を荷物持ちとして連れてくる。

 なので魔導隊が適当な「薪」を手に入れようと思えば、町の宿を当たるのが手っ取り早い。


 そしてその部屋には、身動きが取れないツァツァルと、それに付き添うカカムがいるはずだった。


 ゲラリオは、見たことのないような表情で両のこぶしを握り締め、誰もいない部屋を見つめていた。


「師匠!」


 その背中に、クルルがひと際大きな声をかける。


「師匠、落ち着け。おい、バダダム」


 クルルがバダダムに視線を向けると、バダダムは黒い鼻を鳴らし、ゲラリオのことをクルルとの間に挟むようにして立つ。


『師匠、この部屋には争った匂いがありません。歴戦のツァツァル師です。踏み込まれる前に危機を察し、カカムを使って逃げてるかと』


 激しい感情は匂いに出る。時には人間でさえも、自身が発したアドレナリンの薬臭さを実感できるらしい。


「じゃあ、あいつらはどこに?」

「そこまでは知らない。探すしかない」


 クルルは物怖じせずそう言って、それからゲラリオの腕を叩いた。


「でも、カカムは師匠に鍛えられてる。そうだろう?」


 なにかとゲラリオには手厳しいクルルだが、それは懐いている裏返しでもある。

 そしてクルルは安易に誰かに心を開く少女ではない。


 ゲラリオの能力を誰よりも強く信用しているから、甘噛みするのだ。


「……くそっ」


 悪態をついたゲラリオは、自身の額に手を当て、そのまま頭をガシガシと掻いた。


 普段からあれなのか、ここしばらく旅をしていたせいかはわからないが、色々なものが飛び散って、クルルがさすがに体を引いていた。


 ゲラリオは体が膨らむくらい大きく息を吸って、吐き出す。


 振り向くと、もういつものゲラリオだった。


「あいつはくそったれの死にぞこないだからな。そう簡単には死なん」


 バダダムはほっとし、クルルは肩にかかったフケかなにかを嫌そうに払っている。


「とりあえず状況を把握する。ヨリノブ、お前は聖堂と渡りをつけて――」


 とまで言いかけたゲラリオに、自分は言った。


「その必要はなさそうです」


 自分が視線を向けていたのは、ゲラリオではなく、廊下の先。

 階下に続く階段だ。


 そこから、少年が恐々とこちらの様子を窺っていた。


「自分になにか御用ですか?」


 バダダムとクルルも廊下に顔を出し、少年はびくついていたが、覚悟を決めたらしい。

 こちらに向かって大股に歩き、懸命に下から見上げてくる。


「お、親分から、言伝、です」

「親分?」

「あ、あなたたちの仲間は預かっている、と」

「……」


 誘拐犯の典型的な台詞だが、自分たちはそれぞれに顔を見合わせる。


「どこだ?」


 髭面のゲラリオが部屋の中から現れると、少年はついに涙をにじませて、逃げるように走りだした。



◇◇◆◆◇◇



 少年を追いかけていくと、クウォンの町の外れに着いた。

 お世辞にも綺麗な建物とは言えないものが、互いに寄りかかるようにして建っている。


 その頃には親分が誰なのかもちろんわかっていたし、その目的もわかっていた。


「ツァツァル!」

『なんだ、騒々しい』


 じゃれつく子供の相手をしていたツァツァルが、困ったように笑っていた。


 目が見えずとも、声だけでゲラリオの表情が想像できたのだろう。

 そのそばではカカムが油断なく周囲を警戒していた。


 カカムをねぎらい、それから一番でかい子供みたいにツァツァルの頭を小突くゲラリオをよそに、自分は少年の言う親分とやらに話しかけた。


「ノドン様」

「ジレーヌ領のお偉いさんに様をつけられるとはな。なんだ、俺は大貴族様か?」


 ノドンはそう言いながら、やや警戒した様子でクルルを見ていた。


「ツァツァルさんのこと、ありがとうございます」

「はっ。お前らがいなくなったら、俺の商売の計画が狂うからな。それにお前らならあの狂犬どもをどうにかできるんじゃないのか? あいつらのせいで商売あがったりだ」


 町の小僧を使い、聖堂の敷地で商いをしているノドンは、魔導隊の狼藉にいち早く気がついたのだろう。

 それで計算高いノドンは、誰にどんな恩を売るかを、瞬時に考えたわけだ。


「聖堂に連絡は取れますか?」

「むしろ向こうは顔を真っ青にして、助けを求めて右往左往だろう。だが、帝国の魔導隊を相手にしてやろうなんて命知らずは、滅多におらん。もちろん」


 と、ノドンはでかい腹を揺らしてにやりと笑う。


「恩を最も高く売りつけられるのは、相手が死ぬほど困っている時だ」


 ここで腕利きの魔法使い二人を紹介できれば、ノドンのこの町での地位はうなぎのぼり。

 おまけに自分たちにも恩が売れるのだから三方良し。


 そんなノドンを完全に無視したクルルが、ゲラリオに声をかける。


「師匠」


 クルルが冷めた声なのは、ノドンを前に可能な限り感情を押しつぶしているからだろう。

 少しでも気を緩めたら、口から出た火がすべてを焼きつくさんとばかりに。


 クルルはノドンを恨んでいるし、それを軽く見るつもりもない。今この場でノドンを殺さない自制心は、後で褒めてあげなければと頭に刻み込んでおく。


 そしてツァツァルとやり合っていたゲラリオが、顔を上げた。


「ああ、わかってるよ。聖女の懐に潜り込むには今しかない」


 ゲラリオはノドンを見て、最後にツァツァルの肩を叩いてから立ち上がる。


「魔導隊の連中が獣人を的にかけていたのも、ある意味では幸運だ。連中が下級聖職者を狙わないのは、教会と正面切ってやりあうほどの覚悟がないってことだからな。俺たちが教会側として参戦すれば、まあ、そう簡単には手だしをしてこないだろ」


 ただの脅しにしては一線を越えているように感じるのだが、この辺りの読みあいは戦場を知るゲラリオに頼るしかない。


「師匠。ちなみに聖女が本物だったらどうするんだ?」


 クルルの問いに、ゲラリオは肩をすくめて言った。


「決まってる。いくらでも怪我が治るなら、いけ好かねえ魔導隊を軒並み血祭りにあげられる」


 クルルは両の牙が見えるくらいに唇を釣り上げ、不敵に笑っていた。

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