第155話

 右を見ろ、上を見ろ、後ろを見ろ。


 ば~か。


 そんないたずらがあるが、この文章は魔石に刻まれた暗号の謎を解いた者にしか読めない。


『師匠、誰かが見張っている感じはありませんが……』


 バダダムがそっとゲラリオに近寄り、報告していた。


「同感だ。そもそもこれが罠だったとして、引っかかる奴が現れるのは何十年かに一度だろ。常時見張ってるとは思えん」

「うむ。ヨリノブ殿のように、魔石に刻まれた暗号文を解読してしまうような者がわんさかいたら、今の世はもっと面白いはずだ」


 ファルオーネはそう言って、なんだかとてもいい笑顔をこちらに向けてくる。


「んで、文字を集めると、聖堂の右側にある回廊の五本目の柱を見ろ……ってか?」


 暗号で記された指示はただ一か所を示すのではなく、いくつかの系統にわかれていた。

 手分けして探したところ、それぞれの指示の最後には短い一文が残されており、それらすべてを繋ぎ合わせると、ゲラリオの言った場所になった。


「ふーむ。そこに落とし穴でもあるのかもしれんな」


 真面目腐ったファルオーネのつぶやきに、クルルが奥歯に力を込めていた。

 石柱に近づいたら次々落とし穴に落ちていく様子を想像して、面白かったのだろう。


 ドリフのコントとか見せてあげたいなと、ちょっと思う。


「罠なら踏み抜いてみればいい。色々わかる」


 ゲラリオは顎髭をぞりぞりして、不敵に笑う。

 懐が膨らんでいるので、ありったけの合成魔石を持ってきているらしい。


「それに聖堂は魔導隊の相手でてんやわんやだ。鈴が音を立てても対応が遅れるはずだ」


 ノドンが意地悪く笑っていたように、聖堂の表口はいつもと変わらずとも、その裏口では魔導隊と聖堂の面々とで、激しい押し問答が繰り広げられているようだ。

 ゲラリオが酒場で聞き集めたという話でも、魔導隊の隊長は新しく就任したばかりで、手っ取り早くなにか成果を欲しがっているとのこと。


 噂に聞く聖女を帝国のくびきに繋ぐか、あるいは偽物だとヴェールを引っぺがせれば手柄になると、そんな感じらしい。


 教会は帝国とは別の権力機構で、都会のほうでは随分仲が悪いようだ。


 それにしても魔導隊の無礼さは、聞きしに勝る。

 貴族から構成される帝国の戦力というより、ただの愚連隊でしかない。


 帝国において魔法使いの卵たちは例の選民思想丸出しの魔法学校みたいなところに押し込まれ、その思想に疑問を抱かなかった者だけが、高い身分と共に正規の魔法使いとして排出される。

 だから魔導隊がろくでもない武力集団になるための条件は、有り余るほど揃っている。


 関わりたくない連中だが、聖堂の敷地でこそこそ調べ物をする時には、絶好の目くらまし役といえた。


「じゃあ、罠に引っかかりに行く、でいいんだな?」


 クルルの問いは、自分に向けたもの。

 大宰相という呼び名は小ばかにしたものでも、決定権はこの異世界人にあると、なんだかんだみんなが思っているらしい。


「ええ、洞穴に入らずんば、竜をも得ずってわけです」


 この世界のことわざを口にすると、クルルはにやりと笑って、歩き出した。



◇◇◆◆◇◇



 石造りの聖堂が前の世界のものと似ているのは、過去に転生した誰かがいた……というよりかは、石造りで巨大建造物を作ろうと思うと、物理法則の影響が強く出るからだろう。


 重い丸天井を支えるには太い柱だけでは足りず、てっぺんをアーチ形にして互いに支え合わせる必要があって、巨大な石壁も自立が難しいから、横から押さえる必要がある。


 おかげで、どこかで見たことのある西洋風の大聖堂ができあがる。


 なのできっとこの世界でも、湿度が高めで山がちな温帯地帯に行けば、日本家屋に似た床下と縁側を備えた風通しの良い木造の建物が見られるだろう。


「回廊は聖堂の奥だってよ。立ち入り禁止だそうだが、どうする?」


 野蛮なゲラリオとクルルは、こっそり侵入を提案したが、ここは金貨で解決することにした。

 巡礼で稼いでいるようなところなので、黄金の輝きが通用するはず。


 より聖女に近い場所で祈りを捧げたいのですが、と聖職者に話を持ちかけたら、あっさり奥に通された。


 その様子を見たクルルは、こちらの胸元にしまってある書状を指で意地悪そうにつつく。


「河口の町で、大枚はたいてこれを書いてもらう必要もなかったな」


 書状を書いてもらうだけの金貨を、直接ここの聖職者に渡したほうが効果があったろう。


「おのぼりさんを騙して手数料を巻き上げるのは、どこも一緒なんですね」


 マークスたちが肩をすくめる様子が目に浮かんだ。


 こうして聖堂の奥に入ると、たちまち喧騒が遠くなった。

 荘厳な雰囲気の身廊を進むと、大きな舞台のようなものが現れる。


 どうやらこの舞台に聖女が降臨するようで、今は誰もいない舞台に向かって、身なりの良い者たちが熱心に祈りを捧げていた。


 彼らを横目に、観光を装って目的の場所を探した。回廊というくらいだから、聖堂の心臓部分であるこの身廊を、ぐるりと取り囲む外側にあるに違いない。


 身廊の脇に出るための重たい鉄の扉を見つけ、鍵がかかっている感じでもないので押し開けると、広々とした回廊沿いに、建物の三階分はありそうな巨大な柱が並んでいた。


「ここか。すげえな」


 天井の高さに、ゲラリオが目を細めて見上げている。


「一、二……」


 クルルが早速石柱を数えながら歩き、ゲラリオやバダダムは周囲を警戒していた。

 ファルオーネは最後尾で、行きがけの駄賃とばかりに、様々な彫刻や、調度品を熱心に調べて回っていた。


「五」


 クルルが立ち止まり、柱に手を当てる。


「どうですか?」


 自分の問いに、柱に手を当て、じっと見つめていたクルルが、呟いた。


「故郷の……唄?」


 そこに刻まれているのは、短い暗号文、いや、暗号化された単語だ。


 ――故郷の唄。


「どういう意味だ?」

「さあ……」


 視線を上げたのは、なにか音声を拾うような仕掛けがあるかもと思ったから。

 開けゴマ、のように、特殊な歌が合言葉になっているのではと思ったのだ。


 そうしていると、ファルオーネが肩越しに石柱の文字を覗きこんでくる。


「故郷の唄とは、誰の故郷のことなのだ? まだどこかに別の手がかりがあると?」

「このクウォンの町には、小さな教会がいくつかある。そっちも調べてみるか?」


 懐に手を入れながら話すゲラリオは、いつでも魔法を撃てるように、という体制なのだろう。

 今のところ罠の発動を示す兆候はないが、あまりここにいると聖職者たちに見とがめられるかもしれない。


 そこに、石柱をぐるりと回ってきたクルルが、ぺちぺちと柱を叩きながら言う。


「文字はこれだけみたいだ」

「いたずら……とは思えませんよね」


 文字列の謎を解いた者の高貴な遊び、という可能性がないわけではないが、聖堂のあちこちに文字を残すというのは遊び半分にできることとは思えない。


 少なくとも、石壁に文字を刻み込んでいても怒られたり怪しまれたりしないだけの立場が必要になる。


 となると……。


「聖女本人が刻み込んだのでしょうか?」


 その言葉に、全員が顔を見合わせた。


「それが意味するのは、なんだ?」


 ゲラリオの言葉に、全員が口をつぐむ。


 魔石の文字列の謎を解いていて、こんなふうに人を誘導する文字を聖堂のあちこちに残している。

 ならば聖女は、本物?


 それぞれの視線が交錯したその直後だった。


「っ⁉」


 腹に響く衝撃音が襲ってきた。

 よろめいて隣のゲラリオにぶつかり、床についた膝を立てようとする頃には、魔法使い二人が魔石を握りしめ、獣人の前衛が毛皮を膨らませて牙を剥いていた。


 罠? 襲撃?


 それからもう一度、爆発音。


 混乱する中、とにかく立とうともがいていたら、ファルオーネに手を貸された。


「落ち着きたまえ大宰相殿。異端審問の切り抜け方ならわかっている」


 この場で一番年上なのに、最も子供みたいな笑顔でそんなことを言われたら笑うしかない。


「経験したくありませんよ」


 ファルオーネの手を借りて立ち上がる頃には、ゲラリオがバダダムとクルルに指示を出したあと、戦闘では役立たずの二人を振り向いた。


「これは俺たち目当てじゃない。さっき通り過ぎた大広間みたいなところだ」


 確かに、回廊の向こうを慌ただしく聖職者が走って行くのが見えた。こちらのことなど欠片も気にしていない。

 それに耳をすませば、自分にも遠くの悲鳴や混乱が聞こえてきた。


 バダダムが、先ほど自分たちの出てきた扉に取りついて、耳を澄ませている。

 その背後ではクルルが魔石を構え、なにが出てきてもいいように待機している。


「まあ、おおむね見当はついている。こんな場所で魔法をぶっ放す馬鹿が、そうたくさんいるとは思えん」


 指揮官のゲラリオの苦々しい表情から、すぐに察した。


「魔導隊?」


 再度爆発音が起こり、聖堂が揺れた。

 バダダムと共に扉の隙間から様子を窺っていたクルルが、ゲラリオを振り向く。


 その顔は苦痛に歪み、泣きそうにさえ見えた。


「向こうでろくでもないことが起こっている」


 ゲラリオはあくまで平静に顎髭を撫で、ため息をつく。


「この世界が『ろくでもあった』ことがあるかね。聖女を出せって喚いてるんだろうが、どんな手段に出たんだ?」


 ゲラリオが言いながら歩み寄ったのは、なんだかんだ弟子に甘いから。

 クルルの頭に手を乗せたゲラリオは、やや乱雑に頭を撫でてから、自身も扉の隙間から身廊を覗きこむ。


 そしてすぐに顔を起こすと、迷いなく言った。


「逃げるぞ」


 危機時の指揮は歴戦の冒険者に任せるべき。

 けれど、一体なにが?


 その視線に気がついたゲラリオが、肩をすくめてみせた。


「獣人を薪みたいに積み上げてやがる。聖女なら治してみろってことだろ」


 なるほど。

 この世界は、クソッタレなのだ。

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