第154話
クルルとのやり取りを見たとしたら、ゲラリオは顔をしかめ、口をゆがめ、けーっとでも言うだろうが、大人ぶれたのはここまでだ。
間違いなくいい雰囲気なので、なにか気の利いたことを言いたかったが、思いつくのはせいぜいが、なにか食べます? だった。黙っていたほうがましだろう。
そうして手をつないだままそぞろ歩き、やがて聖堂にたどり着いた。
昨日と変わらない人手であり、聖女は相変わらず現れていない。
特許状を手にまた陳情に赴くのも馬鹿らしいし、ノドンと鉢合わせするかもしれない。
それで自分は、今こそ「なにか食べに行きますか?」と言うべきではと思っていたところ。
クルルがふと、呟いた。
「魔法陣」
その指が示す先を見たら、聖堂の石壁に魔法陣の一部が刻まれていた。
「ここにもあるんですね」
聖堂はものすごく古く、全体的に黒ずんでいるのだが、待つのに疲れた者たちが寄りかかるせいか、人の背丈くらいの部分までは割りと奇麗だった。
あるいはノドンがせっせと磨いたせいなのかもしれないが、クルルは楽しそうに石壁を調べ始めている。
「ファルオーネのおっさんが言うには、この聖堂は大昔、もっと別の場所に建っていたらしい」
「そうなんですか?」
「古代帝国が崩壊した後、放置されていた聖堂を崩し、石材を運び、新しく組み上げたんだそうだ。それなら河口の町の宿と違って、意味のある魔法陣を見つけられるかもしれない」
「確かに」
熱心な風を装って同意したのは、河口の町の宿でこの遊びを教えた時、眠くて仕方がなくてクルルの相手をしてやれなかったから。
正直言うと興味はなかったが、罪滅ぼしだ。
「お前はあっちな。私はこっちを調べる。ほら、紙と炭のペン」
魔石をしまっておく革帯の中から文房具を取り出し、こちらに押しつけてくる。
そして足取り軽く歩いて行ってしまうその様子に、いい雰囲気にならなかったのが残念なような、ほっとするような、不思議な気持ちだった。
◇◇◆◆◇◇
聖堂の敷地はかなり広く、いくつもの建物が建っている。
クルルのあの乗り気な様子だと、なにか意味のある魔法陣が見つかるまでは終わらなそうな気がする。
元はと言えば自分が提案した遊びであるものの、本当はまったく興味がない。
しかし、きっと女の子と付き合うのはこういうことの積み重ねなのだと、前世を思い出して気を引き締め直す。
数少ないデートの最後の記憶は、興味のない買い物に同行し、興味がないことをあからさまにして相手を怒らせたところで途切れている。
若かったのだ……なんてことを思いながら、断片的な魔法陣を見つけては手元の紙にメモしていく。
そして、やり始めればそれなりに面白かった。
自分も魔法陣は随分見慣れ、基礎魔法陣の種類がなんとなくわかってきている。これは炎系だろうなとか、出力調整の部分だろうなというのがわかる。
断片の大きさ自体からも、元になった魔法陣の大きさを推定できて、この大きさだと大きな壁に威圧的に刻まれていた魔法陣に違いなく、それを見上げて信徒たちが畏怖の感情に打たれていたに違いない、などと想像ができた。
それに、魔法陣の断片のほかにも、例の古代帝国語の暗号文がちょくちょくあって、過去の魔法プログラマーたちの苦悩に共感できた。
そうこうしていたら、敷地の隅のほうに到達していた。
ここまで来ると人もまばらで、階段や庇の下にいるのは、巡礼に来たはいいが路銀が尽きて帰れなくなり、ここに住み着くのを選んだような者たちばかり。
あまりよくない雰囲気で、聖堂の敷地内だからといって油断しすぎた。
トラブルに巻き込まれる前に、人の多い場所に戻ったほうがいい。
そうして方向転換しようとした矢先、石壁にやけにはっきりと刻まれている暗号文を見つけた。
「……」
ただ、視線が吸いつけられそうになったのを、すぐに目をそらして誤魔化した。
ここに来る前の、ゲラリオとのやり取りを思い出したから。
聖女というのは、悪魔と魔法の関係に気がついた者たちをおびき寄せる罠ではないか? というものだ。
同様に、魔石に刻まれた文字の秘密を解いている者をあぶりだすための罠があったとしても、おかしくはない。
自分はさりげなく周囲を見回し、誰もこちらを見ていないことを確認するが、心許ない。
それにさっきから魔法の断片を見て回り、メモしていること自体はもう誤魔化しようがない。
この遊びそのものは誰からも咎められることではないはずなので、メモを見て、それからもう一度断片を確かめる振りをして、少し離れた場所から調査を再開する。
精一杯なんにも知らない間抜けの振りをして、蟹歩きで例の暗号文のところにまで向かう。
ようやくたどり着いたそこで、意味が分からないなりにとりあえずメモしておこう、みたいに観察する。
石壁に刻まれた暗号文は、他のところ同様、苔が生えては剥がれてを繰り返したような黒ずみはあったが、やはり経年劣化の度合いがかなり少なく見える。
それに、自分はすぐに確信する。
「これは……」
そこに刻まれた文字列は、明らかに異常だった。
クルルに早く伝えるべきだと顔を上げようとした、その瞬間。
「ヨリノブ!」
びっくり仰天して、文字どおり飛び上がった。
慌てふためいて逃げ出そうとしたところ、駆け寄ってきたのがクルルだと気がついて、腰が抜けそうなほど安堵した。
「クルルさん……」
「なんだ、ごろつきに絡まれて小銭でも巻き上げられたのか?」
クルルから見た自分は、大体そんな印象らしい。
特別マッチョな思想ではないと思うのだが、やっぱりちょっと情けない。
いや、そんな場合ではない。
「違います。あの、これ」
「ん」
クルルは指さされた石壁を見て、それから少し不機嫌そうに唇をゆがめた。
「なんだ、お前も見つけたのか」
「え?」
クルルは不服そうに、小走りに駆けてきた方向を顎でしゃくった。
「あっちにもあったんだよ。それで、ここに来たんだ」
「……そっちには、なんと?」
クルルは石壁の文字列を撫で、牙を見せながら笑った。
「ずっと右に行け。つまり、ここだ」
「……」
クルルの撫でる文字列。
そこにあるのは。
「二番目に高い建物の、北側を見ろ」
クルルが読み上げ、耳をきんきんに尖らせている。
猫でなくとも、好奇心を刺激されるに十分すぎる。
クルルは腰をかがめて石壁に鼻を近づけ、すんすんと鳴らしてから、言った。
「うちわで仰ぐ、焼き肉の匂いがするな」
自分たちはあの匂いによって、まんまとおびき出された。
では、この文章は?
「師匠を連れてくるか」
自分たちが焼肉の具になりたくなければ、そうするべきだった。
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