第152話

「……なんの用だ」


 小僧に銅貨を握らせて、彼らの根城を教えてもらった。

 日が傾いてから向かったのは、クウォンの町の隅。


 お世辞にも上品とは言えない区画で、そこに翌日の仕込みをしているノドンがいた。


「えっと……ご挨拶に」


 他に言いようもなくそう言うと、ノドンはへっと鼻を鳴らし、解体中の鹿の背骨から大きなあばら肉を切り離しながら、言葉を向けてきた。


「あの猫娘はどうした」

「クルルさんたちは宿です。連れてきたほうがよかったですか?」


 肉切り包丁を手にしたノドンは、体を起こして腰を伸ばす。


「向こうが噛みついてくれば、返り討ちにする言い訳が立ったんだがな」


 ノドンは自分たちによって、島から追い出された。


 もっとも、悪行の限りを尽くしていたのはノドンのほうだし、本人もそのあたりはわかっているはず。

 肉切り包丁から肉片を落とすと、肩を揺らして笑いだす。


「商会は順調か?」

「はい。ノドン様の集めていた人たちは、優秀な人ばかりですから」


 嫌味に聞こえるかもしれなかったが、事実だ。


 ノドンは偉そうにしている他人が大嫌いだし、お追従はもっと嫌いなので、あの商会にいたのは、真面目に働いて仲間と協働するのをいとわない人たちばかりだった。


「お前らの噂は何度か聞いた。うまくいっているようでなによりだ」


 こちらも嫌味に聞こえたが、なんとなく本音に聞こえた。


「ノドン様も」


 自分がそう言うと、ノドンは目をしばたかせ、子供みたいに笑った。

 こんなふうに笑えるのかと、ちょっと驚いたくらいだ。


「全部失ったがな。おかげで商いの楽しさを思い出した」


 そんなノドンと一緒に食材の仕込みを行うのは、十人からなる小僧たち。

 ここは町の中でもあまり雰囲気の良くない地区だから、小僧はおそらく孤児たちで、こき使うには良い労働力。


 しかしみんな元気そうだし、楽しそうだ。


 そしてこれだけの人数で回しているとなれば、物売りとしては町の中でもかなり上位になるだろう。


「それから、あんまり飼い犬をむげに扱うと、たまには仕返しをされるってな」


 それにはなんとも言えず、曖昧に笑うほかない。


 小僧たちの様子を見るに、ノドンは人の扱い方を変えたのだろうと思う。

 ノドンは横暴なだけではなく、商才に長けた経営者なのだ。


「で、なにしにきた。俺は今更商会に戻らんぞ」


 それは明らかな冗談だろう。ノドンもすぐに下品に笑い、肉切り包丁を力いっぱいたたきつけ、頑丈そうな鹿の背骨を叩き割っていた。


「いえ、なにと言うわけでもないのですが」


 少し迷ってから、言った。


「聖女様に会いたいのですが、なにか伝手はありませんか?」


 純粋にノドンの境遇を確かめたかった、というのもあるが、真の目的はこれだ。

 なので、一人で来た。


 クルルはノドンを見てからずっと不機嫌だったし、結局あのパンも食べなかった。

 自分がノドンに会いに行くと言っても、返事すらしなかった。


 ノドンと自分たちの事情を知るゲラリオが、尻尾の毛を逆立てたままのクルルの側にいてくれると言うので、任せてここに来た。


 が、万が一を考えてのことだろう。


 バダダムがこっそりついてきているのはわかっている。


「どうして俺みたいなしがない物売りにそんなことを頼む? お前もあの建物にいたならわかってるだろ。本物の貴族様でも、聖女には滅多なことじゃ会えん」


 本物の貴族様、というところには往時のノドンの悪意が潜んでいた。

 イーリアもクルルも、それから大宰相ヨリノブも、成り上がりの偽物だと言いたいのだ。


「ノドン様が背中に本物の司祭様の特許状を張りつけていたからですよ」


 街中であんな派手なことをやって荒稼ぎしていた。よそ者のノドンが。


 しかも同じことをしている者が皆無だったこともあわせれば、導かれる結論はひとつ。


「あなたはこの街で、あなただけが司祭様からあんな商いをすることを認められていますよね。どうやって取り入ったのかまではわかりませんが、それはかなり強力な伝手のはずです」


 ノドンは割った鹿の背骨を、大きな鉄の鍋に入れている。

 作業場の奥のほうでは鍋がいくつも煮立っていたので、スープを作っているのだろう。


「伝手を作るなど簡単だ」


 ノドンは新たな背骨を砕き、手早く水を張った鍋に放り込んでいく。


「こういう場所はよそ者が潜り込みやすい。ここにたどり着いたら、着の身着のままで、飲まず食わずで聖堂を掃除して回ったんだ」

「掃除?」

「誰も足を運ばないようなところまでな。どれだけ追い払われても、夜が明ける前から、日が沈むまで。そういう人間は、なかなか邪険にできんからな。顔を売るにはうってつけだ」


 凄みのある笑みだったし、いかにもやりそうだと思った。


「それである日、お前たちが俺に持たせた巡礼者の証書を、聖職者の前で落としてみせた。それがきっかけで、食べ物やらをくれるようになったお人好しの聖職者がいてな、そいつの御用聞きをやるようになった。そこからは簡単だ。あいつらは身内に甘いし、そんな聖職者に渡りをつけたくてうずうずしている奴らが、この街には溢れている。ちょっと口利きを仲介するだけで、軍資金はすぐに溜まった」


 ほれぼれするくらい、したたかだ。


「聖女に会う、だったか?」


 肉切り包丁を、俎板代わりの切り株に突き立て、ノドンは手を拭きながら首を左右に振る。

 ごきり、ごきり、とすごい音がした。


「金貨で何枚出せる? 帝国金貨だ。そのへんの領主が発行している怪しげなやつじゃない」


 寄付用にある程度持ってきてはいるが、自分は少し思案して、答える。


「金貨もお支払いしますが、この地方の食材を買い入れる手伝いをしてくれませんか? 信頼できる商人を探していたところで」


 ここで解体されている鹿は立派なものが揃っているし、肉もきれいだ。パンもおいしかったので、良質な小麦を手に入れる伝手をも持っていることになる。


 クルルは新しい料理のため、この地方の食材を欲しがっていた。

 遠方の地にいる信頼できる商人は得難い存在だ。


 それに商いの関係ならば、一回限りで終わりではない。再起を図っているノドンにとって、より大きな利益になるはず。


「はっ。お前も少しは商人らしくなったな」


 ノドンはでかい腹を揺すり、横に置いてあった革製の水差しからがぶがぶ水を飲んでいた。


「金貨三十枚。言っておくが、俺の儲けはせいぜい五枚だからな。司祭に口を利くならこの辺が相場だ」


 自分は無言でうなずく。


「ちなみに、司祭の上は?」


 司祭を束ねるのが司教で、聖堂の代表者のはず。


「それは俺の力では無理だ。今はまだ、な」


 ここからのし上がろうという気概に満ちていたが、そんなに長いこと滞在する予定はない。


「では、司祭様でお願いします」

「ああ、構わんが……」

「?」


 言い淀んだノドンを見返すと、ノドンはジレーヌでは見せたことのない、苦笑いをして見せた。


「勧めはせん。無駄金を使うことになる」


 ノドンは口を利くだけで金貨五枚の儲けになるのに、思いもよらぬ言葉だった。


 あの物売りで汗だくになりながら金貨五枚を稼ごうと思えば、肉を何枚焼く必要があるのか。


 しかも、この自分に、親切な助言をするなど!


「別にお前のためじゃない。今のお前らにとっては、金貨三十枚など、はしたカネだろう。そうじゃなく、口利きが無駄だとなったら、あの猫娘に俺の首を掻き切る口実を与えることになる」

「そんなことは……」


 ない、とも言いきれず口ごもると、ノドンは機嫌よく笑っていた。


「この街の聖職者には、上から下まで山ほどの陳情がくる。連中は大儲けだ。カネだけとってなにもしないことが当たり前と思え」

「そのあたりは覚悟していますが……」


 ノドンは、訝しそうにため息をつく。


「そもそもお前たちはなにしに来たんだ? あのお犬様が病気にでもなったか?」


 聖女は癒しの奇跡を司るから、そう考えるのが妥当だろう。

 本当のことを一瞬言いかけたが、ノドンは仲間ではない。


「島を救ってくれた人の恩人が、ものすごい怪我を負っていまして」

「ふん? それでこんなところにまで来るのか。まあ、お前らしいというか」


 その口ぶりから、もしかしたら足を折った少年のトルンを見舞ったことも、このノドンは知っていたのかもしれない。


「ただ、聖女様が本物かどうかも怪しいんですよね? できればそれも確かめたく」

「当然の疑問だな。俺もあれは偽物だと思っているが」

「えっ」


 なにか知っているのかと聞きたかったが、ノドンは目を閉じて肩をすくめた。


「勘だ。そもそも本当にそんな奇跡を起こせるなら、教会の中枢にいるだろ。こんな属州の山奥にいる理由がない。しかも魔石を使わずに魔法を使うとまで言われている。そんなことができたら誰も苦労はせん。聖女がここにいるのも、教会自身すら信じていないからだ」


 まったくそのとおりだ。


 ただし、それは、聖女が人間であれば、の話なのだが。


「とはいえ俺は長いものに巻かれる主義だ。ここでお前らに恩を売っておきたいがね」


 蛇のように食らいつく、この世界の商人らしい顔をしたノドンにもうひとつ質問を向けた。


「では、奥の院とやらに近づくための、裏道とか知りませんか?」

「……おい」


 ノドンは呆れたように言った。


「俺はまっとうな物売りだぞ」

「え……あー……、すいません」

「ふん。それにだな。奥の院には結構な見張りがついている。おまけに聞いた話じゃ、不気味な魔法使いが聖女を守っているって話だ」

「魔法使い?」

「聖女の奇跡は、癒しに関わることだろ。会うために、実力行使に出ようという者が後を絶たん。有名な話だと、大貴族が兵を従え突撃しても、気がつくと全員聖堂の前で立ち尽くしていたそうだ」


 その口ぶりから、ノドンも聖女本人にコネを作ろうと、あれこれ調べたのだろうとわかる。


 そして誰もが聖女を偽物だと口にしながら、今なお巡礼者を多く集めているのは、その秘密を上手に守り切れているからのようだ。


 確実な偽物だと暴かれていないから、暫定の本物というわけだ。


 それとも聖女を守る魔法使いというのが、なにか鍵を握っているのか?


「だが、その点で、今はちょっと面白い状況だな」

「面白い、ですか」

「帝国の魔導隊が来ているだろう。最強の盾と最強の剣はどっちが強い? みたいな話だ。取りつく島のない聖女一党が、果たしてどこまであの狂犬どもをあしらえるかな」


 ぐふふ、と笑わんばかりのノドンは、実に生き生きとしていた。


 ジレーヌ領では酒池肉林で癇癪ばかりだったが、ノドンにとってあの島は退屈過ぎたのかもしれない、と思った。


 ひとしきり笑ったノドンは、急に表情を改めてこちらを見た。


「お前ら、どうせ魔法使いを連れてきているのだろう?」

「えっ」


 誤魔化そうと思ったが、ぎくりとした時点でノドンには筒抜けだろう。


 ノドンのような人物に手の内を明かすのは本能的な怖さがあるものの、仕方なく答える。


「えっと……まあ、はい……護衛として、ですが」

「魔導隊と揉めてる聖女側が、そのうち戦力を求めるだろう。その時、お前らを紹介することはできる」


 ぽかんとノドンを見返していたら、睨みつけられたので、慌てて口を開いた。


「ありがとうございます!」


 ノドン商会で真っ先に覚えたのは、とにかく大声で返事をすること。

 ノドンは満足げにうなずいた。


「金貨も忘れるなよ」

「あ、はい」


 ノドンはふんすと鼻を鳴らし、次の作業に取り掛かる前に、言った。


「ところで、パンはどうだった? 改善の余地はありそうか?」


 ノドンは滅多にいない、商人の鑑なのだった。

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