第151話

 結論から言えば、ちょっとした小金で手に入れた推薦状など、屁の突っ張りにもならなかった。


 長い時間並んでようやく聖堂の敷地に入り、まともな列整理などされていない人ごみをかき分けて、通りがかった聖職者を捕まえた。

 それから推薦状を突きつけたが、ざっと目を通した若い聖職者は、またかといった顔をして聖堂付属の建物を示すや、さっさと立ち去った。


 ぞんざいな扱いに嫌な予感がしつつ、示された場所に向かえば、自分たちと似たような書状を手にした者で溢れかえっていた。


 なかにはずいぶんな剣幕で聖職者に詰め寄る貴族もいた。


 それを見たゲラリオとファルオーネは、時間の無駄だとばかりに、情報を集めるとかなんとか言ってどこかに行ってしまう。


 もちろん、彼らを責められはしない。


「クルルさんも、町を見物してきていいですよ」


 無駄な行列にみんなで並ぶ理由はない。


 そう思って言ったら、むっとしたような顔で睨まれた。


「お前を一人にしたら、財布を盗まれるか、詐欺師に騙されて身ぐるみはがされるのが落ちだ」


 結構な人ごみなのでさもありなんと思うが、クルルのちょっとむくれた横顔の真意に、遅れて気がついた。


 自分は、鈍感難聴やれやれ系主人公ではないのだ。


「ええ、側にいてくれたら心強いです」


 そう返すと、クルルはこちらをじっと見てから、軽く肩をぶつけてくる。

 そしてくすくす笑って、機嫌よさそうに尻尾をこちらの足に絡ませてきた。


「町の露店に、見たこともない料理がたくさんあった。後で行こう」

「辛いのはやめてくださいよ」

「お前は熱いのは平気なのに、辛いのはだめなんだな」

「嫌いではないんですが、後が大変なんですよね……」


 柔らかいトイレットペーパーなどなく、ウォシュレットはなおのこと望むべくもない。

 迂闊に辛い物を食べれば、翌日に地獄が待っている。


「ふん? まあ、弱っちいお前には甘いお菓子がお似合いだな」


 野蛮なこの世界では、酒と塩辛い食べ物こそ男の証。

 ゲラリオなんかは、実にわかりやすいこの世界の男だ。


「そういえば、河口の町では調理法をたくさん集めてましたよね。再現できそうでした?」

「食材があればな」


 クルルはそう言って、緑色の目を向けてくる。


「商会で仕入れてくれないか?」


 可愛いおねだり、というには、なかなか厄介な頼み事だ。


「うーん……島からここまで、かなり距離がありますからね……。船賃が、いや、陸路のほうが安いのかな。でも、腐りやすいものはだめでしょうし、そもそも信用できる商会を見つけませんと」


 ジレーヌ領が食材の輸入で頼っているのは、島の対岸にある町の商会がほとんどだ。

 対岸の町の経済は基本的にジレーヌ領と一蓮托生なので、特に監視せずとも真面目な商いをやってくれる。


 しかし遠方の土地から傷みやすい食べ物を買いつけるのは、かなりの賭けになる。


 まず流通を確立するだけでも大変だし、属州を跨いだ取引になれば司法権がややこしくなるのも問題だ。

 代金をだまし取られても、商品が賊に奪われても、あるいは賊に奪われたと主張されてそれが明らかに嘘でも、だれにも頼ることができず、自力で解決するしかない。


 しかも食べ物の価格はそれほどでもないから、労力をかけて不正に立ち向かっても、割に合わないのが目に見えている。


 おそらく技術不足とかではなく、こういう問題が立ちはだかるせいで、長距離の食べ物輸送はほぼ行われていないのだ。


 その点、魔石は腐らないし壊れにくいし、価格が高いので下手な誤魔化しをすると相手も本気で立ち向かってくるとみんながわかるから、正直な取引が行われる。


 クルルは実務の大変さを垣間見たようで、肩をすくめていた。


「足りないものはジレーヌ領で育てられたらいいんだがな」

「それも一案ですね。でも、種とか苗木ってどこで買うんだろう……」


 便利なホームセンターがあるわけではないし、自分のところの商会でも取り扱っていない。

 農家から直接購入するにしても、案内がなければ難しそうだ。


 前の世界は実に便利だったなと感慨に耽っていたら、クルルの耳がフードの下でぴんと張っていた。


「お、物売りの一団が来たぞ。なにか買うか?」


 人混みあれば商機あり。

 熱心な商人はどこにでもいるものだ。


「温泉卵みたいなのがありましたよね。あ、でも醤油がないのか……」

「ショーユ?」

「故郷の調味料です。実に万能な代物で、それをかければなんでもおいしくなったんです」

「へえ? いいじゃないか。作り方は覚えてるのか?」


 獣人たちは発酵食品の製作に慣れているようだし、頼めば実現するだろうか?


 そう思ったが、確か麹菌は湿度の高い東アジア圏にしかいなかった気がする。

 ジレーヌ領はどちらかというと乾燥がちな気候なので、難しいかもしれない。


「うーん、麹菌……いや、遠い土地ならもしかしたら……」

「?」


 小首をかしげるクルルをよそに唸っていたところ、物売りの一団が建物の中にまでやってきた。首から販売台を吊り下げた駅弁売りスタイルで、販売台の代わりに樽を体に括りつけて、酒を量り売りする者もいる。


 さらに子供たちもやってきて「銅貨二枚で列に代わりに並んでおきますよ旦那様!」と声をかけて回っていた。

 ただでさえ混雑していた建物内が、さらに賑やかになった。


 そもそも列もあってないようなものだし、陳情の受付らしき聖職者は明らかにやる気がなく、しょっちゅう姿を消していた。


 物売りからパンと酒を買った者たちはその場に座り込み、やってられんとばかりに酒盛りを始めてしまう。


 そんな様子に、クルルと自分は顔を見合わせて、肩をすくめ合った。


「外に食いに行くか? 私らだけ馬鹿みたいに並ぶ理由もないだろ」

「そうですね……」


 そんなことを言い合っていたら、急にいい匂いが漂い始めた。

 肉の焼ける香ばしい匂いだ。


 周りの者たちも首を伸ばし、鼻を鳴らして匂いの元を探している。


 物売りたちが売っているのは、冷えたパンと茹で卵、それにせいぜいが干し肉とチーズなどの定番のもの。

 そこに焼き立ての肉があったなら。


 クルルも生唾を飲み込んで、急かすようにこちらの袖を引いてくる。


 どうやら建物の外で焼いているようで、少なからぬ人が足早に出て行った。

 なんなら今まさに物売りから冷えたパンを買おうとしていた者は、銅貨を引っ込めて物売りと揉めていた。


 外はすでに結構な人だかりだったし、人だかりの隙間から、小僧が大きなうちわで仰いでいるのが見えた。肉を焼いた煙を、建物の中にせっせと送り込んでいるのだ。


「賢いですね」

「まんまと釣られたな。けど、道の真ん中で焚火なんかして衛兵に睨まれないのか?」

「確かに」


 ジレーヌ領でも露店なんかは商人たちの自治規則で結構厳しく定められている。

 自由にやらせると収拾がつかなくなり、組合同士の縄張り争いなんかもあって、流血沙汰につながるからだ。


「あ、いやほら、あれですよ」


 指さすと、また別の小僧たちが忙しそうに行ったり来たりしていた。

 重そうに運んでいるのは土鍋のようなもので、どうやら焼いた石を広場に持ち込んでは、それを使って肉を焼いているらしい。


 というか人だかりの外では、まさに衛兵らしき者たちが苦々しい顔をしているので、多分町の物売りたちの規則みたいなものを上手にかいくぐっているのだ。


「どこにでも商才のある人はいるものですね」

「おかげで熱い肉にありつけそうだ」


 クルルがそう言って、人だかりをかき分けるようにして進むので、必死に着いていく。

 列に並んでおとなしく買うなんていう日本人的発想だと、この世界では一生かかっても買い物ができない。


「肉は一枚銅貨三枚! 二枚で銅貨五枚! 肉が四枚ならなんと銅貨十三枚!」


 大声を張り上げて次から次に注文を取る小僧に、四枚だと高くなってないかと、そのずる賢さに苦笑いする。九九を暗唱させるような小学校はこの世界にないので、この手のいかさまにみんな結構簡単に引っかかる。


 そしてようやく、人だかりの中心にたどり着く。


「肉を二枚!」「こっちは三枚だ!」「小僧、四人分頼んだぞ!」


 中心部にたどり着いたら、今度は注文を取る小僧たちを捕まえなければならないらしい。

 本当に注文を覚えてるのか疑問なのだが、とにかく周りに倣ってそうしようと、慣れない大声を上げようとしたその時のこと。


 隣にいたクルルが、やけに静かだった。


「クルルさん?」


 立ち尽くすクルルの顔を見て、それから固まった視線の先を追う。

 クルルが見ているのは、この騒ぎの張本人。


 物売りの販売台と同じように首から鉄板を下げ、顔を真っ赤にしながら凄い形相で肉を焼いてはパンに挟んでいる男だ。


「ほい二枚! ほれ四枚! おい、石を交換してくれ! 熱々のやつだぞ! 肉も足りてないから持ってこい! おいそこ! 落としたパンなど犬に食わせろ! きちんとしたパンを渡せ! うちはよそのインチキ露店商と違うんだぞ!」


 落としたパンより、口角泡を飛ばさん勢いで調理台の前で大声を張り上げるほうに衛生的な問題を感じるのは、お上品な先進国から来た自分だけのようだ。


 周囲の客はその商人の威勢の良さに楽しそうにして、チップのつもりなのか銅貨を投げる者までいた。

 鬼気迫るその商いぶりには、じゅうじゅううまそうな音を立てて焼きあがる肉の香りもあいまって、冷たいパンを売って回る並の物売りでは到底敵うまい。


 どこにでも商才に長けた者はいる。

 いや。


 こんな人物、そうそういるはずがないのだ。


「さあさあお立会い! これは司祭様が聖別した聖なる鹿肉だ! どれだけ食べても神の赦しが得られる特別製! 嘘だと思うなら背中の特許状をご覧あれ! さあ、肉は二枚で銅貨五枚! 買えば買うほどお得で――」


 そんな口上と共に肉をひっくり返していた男の手が、ぴたりと止まった。


 でかい声にでかい体。

 それから真っ赤に茹だったてらてらの顔。


 ぽたり、と汗が顎から落ち、鉄板に落ちて蒸発した。


 てんてこまいだがどこか楽しそうに働いていた小僧たちが、主人の様子にきょとんとしていた。


 自分の隣で、クルルの尻尾が持ち上がる。

 その毛がどんどん逆立ち、膨らんでいく。


「お、前――」


 クルルが唸り声を上げかけた直後、小僧がやってきた。


「お二人は肉何枚で?」


 はっと我に返る。


「えっと、三枚。いや、四枚で」


 わたわたと銅貨を渡すと、小僧は油断のない目で枚数を数えてから、にっと笑う。言われるままに割高な値段で十三枚の銅貨を渡してしまったと気がついた時には、銅貨は小僧の懐の中だ。


「はい毎度!」


 そして、主人に向けて「四枚です!」と叫んでいる。

 ようやく主人も我に返り、焦げかけた肉を慌ててひっくり返し、口上も再開した。


 けれどどことなくぎこちなかったし、手元の肉を見つめる視線は、わざとらしいほどに肉を見つめている。


「ノドン様」


 自分が我慢できず声をかけると、ノドンはぴたりと一瞬手を止めた。

 それから肉を二枚挟んだパンをふたつ、厄介払いするみたいに小僧に押しつけていた。


「さあほかに注文はないか!」


 そう言って、一瞬だけこちらと目を合わせた。

 商売の邪魔だ、話なら後にしろ、と言いたいのだとすぐにわかった。


 ノドンはクソ野郎だが、商いにだけは誠実なのだから。


 パンを受け取り、クルルの肩を抱えるようにして、人ごみを後にした。


 クルルは喉の奥で唸って、最後までノドンのほうを睨みつけていた。


 でも、自分は思いがけない再会に、どちらかといえばほっとしていた。


 ノドンは確かに悪人だったが、自分にとっては憎み切れないところもあった。

 だからクルルたちに憚らずに言えば、元気な姿を見れて嬉しかったかもしれない。


 そして商いには誠実なあのノドン。

 焼き立ての肉が挟まったパンも、実に品質が良かったのだった。

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