第139話

 筋トレは断られたが、健吾はコールを手助けするため一緒に同盟の条件一覧をめくり、ふたりであれこれ相談を始めていた。


 これで領主たちの問題は教会に押し付けられるだろうし、裁判権の分け前に人質の金貨も合わせれば、財政上、目下最大の懸念であった船舶の支払いもおおむね目途がつくはず。

 さらにその先には辺境の鉱山開発も見据えているのだから、上出来だろう。


 次々降りかかる大きな肩の荷がいくらか下りてくれたと、ため息をついたところ。

 クルルから袖を引かれた。


「それより、ヨリノブ」

「なんですか?」


 クルルはその手に、健吾と一緒に計測してきた地図を持っている。


「新しい区画のことだ。街を拡張するには新しい道が必要だが、もちろん今度は、お前の名前を付けるんだよな?」

「……」


 クルルはむすっとした顔でこちらを見つめている。


「た、タカハシ通りなら……」

「だめだ。ヨリノブ通りにしろ」


 こないだ新しい区画を設定した際に、クルル通りと名付けられた仕返しだろう。

 それはイーリアのせいなのだが、イーリアに噛みつけないクルルは、こちらに噛みつくしかない。


「俺もケンゴ通りで構わないぞ」


 健吾が顔を上げて、面白そうに口を挟む。

 そっちと違ってこちらは繊細なのだ、と言いたくなるが、健吾から目配せを受ける。


 ついこないだ、町の拡張のために新しい区画割りをした際には、イーリアは新しい通りの名前にアララトム通りとつけた。イーリア通りと名付けられて涼しい顔をするには、イーリアの感覚が庶民的過ぎたから。

 そのイーリアが、もう一本の道にはクルル通りとつけていた。


 どんなこともクルルが一緒なら、ということなのだろうが、クルル通りとつけられたのは、クルルには名字がないからだった。


 それはつまり、クルルの生まれがあまり高貴なものではないことを意味していた。


 領主イーリアの第一の従者なのだから、いくらでも市民権を得て名字を名乗れるはずだが、そうしていないのには、なにか理由があるのだろう。


 なので、他の面々が市民としての名字を通りの名前につけているのに、クルルだけ名前だというのは、悪い意味で目立ってしまう。

 イーリアよりもよほど仲間意識の強いクルルは、きっと気にするはず。


 だから心底嫌だったが、クルルのためと思って、抵抗を諦めた。


「じゃあ、ヨリノブ通りで……」

「ふん。雨の日にはすぐ泥だらけになりそうな道だな!」


 よく意味が分からないが、もちろん誉め言葉ではなかろう。


 ただ、地図にその名を書き込むときのクルルがとてもうれしそうだったので、それ以上なにも言わなかった。


「で、この道を作るためにどうするんだったか」


 地図に道の名前を書き終わったクルルは、まんぞくげに尻尾を揺らしながら聞いてくる。


 道に自分の名前を冠されやさぐれていた自分は、こう答える。


「区画の造成のために、魔法をぶっ放してきてください」


 魔法使いこそ、最強の土木作業員なのだから。


「いいのか? けっこう岩がちで、起伏もあったから、派手な感じになりそうだが」


 険しい土地でも、魔法の力があれば平地にできる。

 それどころか海を氷漬けにして、氷上採掘プラットフォームだって作れてしまう。


 ジレーヌ領にやってきた領主たちが必死にイーリアの関心を引こうとするのは、ほとんど奇跡としか思えないようなその様子を目の当たりにしたから、というのも一因だろう。


「ひと思いにどうぞ」

「じゃあ、ロランの船団を追い払った時みたいにやればいいな」

「鉱山ごと消し飛ばさないでくださいよ」


 自分とクルルの軽口に、案外常識的なコールが顔をこわばらせていた。


 クルルは「へっ」と笑って、壁に掛けてあったドラステルの変装に手を伸ばしたのだった。

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