第140話
領主たちとの同盟話は、クローデルを通じてロランの大聖堂とも話がつき、あとは事務的に話を進めるだけとなった。
といってもその事務仕事だけでも途方もない量になるので、すべてコールに丸投げした。
あのリストにある領主すべてに契約書の控えを手書きで用意しなければならないのだから、作業量の途方もなさに眩暈がする。
律義に引き受けていたら身が持たないし、コールも多分、修道院の修道女たちを動員するか、文字の書ける獣人たちに割り振って解決するのだろう。
頼れる人を頼っていかないと、領地経営などとてもできやしない。
よく、独裁者という言葉を耳にするが、独裁者も調べていくと案外独裁していない、みたいな研究書を読んだことがある。
ものすごく当然のこととして、一人の人間ができる仕事量には限界があるからだ。
なので独裁者ですらない自分は、仕事をお願いしている人たちがスムーズに仕事をできるよう、精いっぱい取り計らうしかない。
例えば、コールをねぎらって欲しいと、イーリアに頼むとか。
とにもかくにも、こうして同盟話は一応の収束に向かっていった。
そして同盟の締結が実際に進んでいくと、領地を長く空けていられない領主たちから順に帰国して、ようやく港の混雑も緩和されてきた。
そうしたら今度は対岸の町に滞留していた移民希望の者たちを受け入れたり、役人候補として売り込みにきた者たちの面接に手を付ける。
こちらもこちらで大変な仕事だが、やれば終わるという類のもので、そこだけは気が楽だ。
おかげで少し頭に余裕ができて、久しぶりにゲーム製作の計画を再開した。
長い会議にこっそりゲーム計画の下書きを持ち込んでは内職し、学生時代を思い出したりした。
例えばその日は、島に移住してくる者たちをどの職人組合がどれだけ雇い入れるかの割り振りを巡る、地味で長くてうんざりする会議だったので、実に計画がはかどった。
この世界での技術力を考えると、やはりボードゲームだろうか。
けれどファンタジーっぽい世界でファンタジー系TRPGというのもなあ、とか考えていたら、ようやく会議から解放された。
あれこれ空想しながら道を歩き、開発の算段を立てていく。
やはり自分は商会の経営だとか領地の運営だとかより、こういうことで生計を立てたいなと思う。
ひととおり落ち着いたらゲーム製作用の工房を立ち上げられないだろうか、なんて未来像を描きながら、寝泊まりしている魔石研究所の扉を開けたその瞬間。
飛び出してきた大声で現実に戻ることになった。
「クルル嬢! 次はこれを試してくれ! 今度こそうまくいくはずなのだからな!」
ファルオーネが、両手に持った合成魔石を文字どおりに振り回していた。
「……ま、魔法を撃てるのには、限度があるって言っただろ……」
大きなテーブルに突っ伏しているのは、耳をしょげさせたクルルだ。
「ヨ、ヨリノブ、いいところに……」
気の強いクルルも、無限の好奇心に突き動かされるファルオーネには敵わないらしい。
ただ、こんなになるまで付き合っているのは、料理を教えてもらっているからだろう。
クルルは体育会系なので、見た目の気の強さに反して、意外に上下関係を重んじる。
おかげで次から次に新しい魔法陣を試そうとするファルオーネに振り回され、力尽きるクルルは、ここ最近のよく見る姿だった。
「ファルオーネさん、残りはゲラリオさんか、また明日で」
「むう!」
合成魔石を山と抱えていたファルオーネは、不服そうに口をつぐんでいた。
そちらに苦笑いしてから、テーブルに突っ伏すクルルの頭をなでると、クルルは目を閉じ、長々とため息をつく。
これくらいおとなしいと、クルルはイーリアより可愛いと思う。
「あ、それとファルオーネさんたちにお土産です」
そう言って、小脇に抱えていた紙束を差し出した。
自分がこっそりしたためているゲームの企画書ではなく、イーリアが各地の権力者から聞きだした、各地の廃鉱山の情報や土地に伝わる不思議な魔法陣の話だ。
それにかつて悪魔が出たという鉱山や、もっと不思議で不気味な呪われた土地の話など、この世界の秘密に迫る手がかりになりそうな話がまとめてある。
「おお、すばらしい!」
紙束を受け取ると、ファルオーネはいそいそと部屋の奥に籠ってしまう。
それでようやく広間が静かになったような気がして、自分はクルルの隣の椅子に座った。
「ルアーノさんたちはどこに?」
「知らん……昼前にここにきたら、もういなかった……」
料理談義にきたようにも思えないから、クルルは自分を探してここにきて、ファルオーネに掴まったようだ。
そう思ったのは、こちらとは反対側を向いてテーブルに突っ伏したクルルが、尻尾の先でこちらの足にちょっかいを出してくるから。
広い屋敷でもないが、一応周囲を見回してから、クルルの頭にゆっくり手を伸ばす。
さっきは自然にできたのに、意識すると途端にこわばってしまう。
クルルの頭にそっと手を乗せると、三角の猫の耳が満足げに垂れていく。
ひとしきりそうしていると、クルルは顔を上げて、こちらに向き直る。
「腹は?」
クルルが顔を上げたので、頭を撫でていた手を思わず引っ込めてしまう。
宙ぶらりんになっているこちらの手を見たクルルは、行きがけの駄賃とばかりに、首を伸ばして耳の付け根をこすりつけてくる。
そして、大きなあくびをしていた。
「減ってます、けど」
たまに見せる猫らしい振る舞いにどぎまぎしていると、目尻に浮かんだ涙をぬぐったクルルは、こきこきと首を鳴らしていた。
「ふわあ……じゃあ作るか。私も魔法を撃ちすぎて、血が足りない。師匠の訓練よりきつかったぞ」
そう言ってから、こちらの手に噛みつくそぶりを見せたので、慌てて避けた。
尖った犬歯を見せながら、クルルは楽しそうに笑っていた。
「そういや最近、屋敷に戻るとイーリア様がやたら私の匂いを嗅ぐんだよ」
撫でられた髪の毛を手櫛で整えながら、クルルがそんなことを言う。
「それは……」
クルルは落ちまで言わず、こちらの足を軽く蹴ってから、立ち上がって伸びをしていた。
「遅い昼飯だが、たっぷり大蒜を利かせるか」
自分とのことをからかうのに余念がないイーリアへの、ささやかな復讐だろう。
あるいは、いつまでも手を出さないへたれに、精力をつけるためか。
「ああ、そういや、さっきトルンがなにか届けにきてたな。おっさんが魔法陣に夢中だったから、この辺に置いておいたが……」
クルルは乱雑なテーブルを漁り、麻袋の小包を見つけ、こちらに差し出した。
「え、もうできたんですか」
「?」
猫耳の片方だけを上げて小首をかしげるクルルの前で、封を開けて中身を取り出した。
その紙束には、健吾の綺麗な字がびっしりだ。
正確には、文字と、数式が。
「健吾って……いつ寝てるんだろう」
紙束をめくっていくと、そこには小学校で習う初歩的な幾何学から、恐るべきことに行列の解説まであった。
確か健吾が異世界転生してきた原因は、酔って路上でボディビルのポージングをしていたところを車にはねられたとか言っていたが、なんとなく違うのではないかと思い始めている。
前の世界の面影を見せる時、健吾にはいつもどこか陰がある。
それに、尋常ではない仕事量。
過労死、なんて言葉がちらついたし、もっと辛いことだったのでは……と、ぱらぱら紙束をめくっていたら、隣に立ったクルルが肩を触れ合わせながら覗きこんでくる。
「お前たちの言ってた、向こうの世界の魔法か?」
クルルの体臭は、蜂蜜みたいな、不思議な甘い匂いだ。
それに猫の耳からは、干したての布団みたいな香りもする。
なにかに惑わされそうになるのを、なんとか気を引き締めて答える。
「魔法ではなく、数学です。驚くべきは、健吾の仕事量と、これだけのことを正確に記憶してるっていうところですよ」
勢い込んだ説明に、クルルは興味なさそうに肩をすくめていた。
興味のあるなしがはっきりしているのは、それこそ猫らしい。
そこに、ちょうどルアーノやアラン、それにゼゼルが帰ってきた。
彼らはそれぞれ紙束だの木の板だの、あるいはなにか金属製の棒といった資材から、加工用の道具みたいなものを抱えていた。
聞けば、魔法陣の研究に使う道具を作るため、市場や職人街に買いに行っていたらしい。
「お前たち、飯は?」
クルルはなにかと飯を食わせたがる。
ルアーノたちは明らかに、飯よりさっさと実験道具の製作に取り掛かりたい様子だったが、空気を読んで「いただきます」と答えていた。
クルルはすっかり、研究所のボスなのだった。
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