第138話

 ロランからクローデルの“手伝い”にきていた教会法学者は、提案に諸手を上げて賛成したらしい。なんならそんな望外の収穫があるとはという感じだったようだ。


 教会にはやはり、各地の領主たちの面倒ごとを受け入れてきたという、長い歴史の積み重ねがあるのだ。

 それを一朝一夕で模倣しようというのは、無茶が過ぎる。

 裁判から上がる収益の四割はこちらが確保できるのだから、利権として十分だ。


 それにこの島にくる領主たちは、究極のところロランを撃退したイーリアの武力に期待している。裁判権を多少譲ったところでそこは揺るがない。

 当のイーリアも領主たちから接待攻勢を受けて喜ぶタイプではないので、仕事が減るだけで儲けものと思っているようだった。


 やれやれこれでひと段落、と言いたいところだが、この計画にはまだいくつか穴がある。

 その穴埋めを突貫で終え、その手配も大急ぎでやった。


 そうしてイーリアの屋敷の執務室でひと息ついていたら、むすっとした顔のコールがやってきた。


「すごい数の領主たちと同盟を組むことになるが……本当に大丈夫なのか?」


 コールは教会での会議を終えてきたばかりのようで、やや疲れた顔に、分厚い書類束を抱えていた。


 クローデルを中心に、ロランから追加でやってきた高位聖職者たちと裁判権周りの詳細を詰めていたようだが、机に置いた分厚い書類束を前にやや途方に暮れた感じなのは、そこにはずらりと人名と土地の名が記されているからだ。


「こいつらの利害関係がどうなっているかなど、把握できるのは神だけだ」

「ええ。ですからその神に、この仕事をお任せしたんですよ」


 イーリアっぽく返事をすると、コールは強張った笑みを見せてから、どこか諦めたように肩の力を抜いていた。


「君たちの考えた方法は、確かに巧妙だ。教会の権威と組織そのものを巧妙に利用していて、凄いと思った。だがそれ以上に……性格の悪さに脱帽だよ」


 コールがやや半目にこちらを見てくるが、それで思い出す。


 ノドンを倒す時、並べ直すと教会を冒涜するメッセージが出てくる金貨をしれっと上納することで、コールの動きを封じてみせた。コールが我々の邪魔をするなら、教会にそのことを通報するぞと脅して。

 実に陰険な毒饅頭攻撃だった。


「ただ、やっぱり懸念がある」


 コールは紙束を置き、少し言葉を考えてから、言った。


「君たちが教会の権威をなんとも思わず、利用するのは構わない。僕も信仰心があるほうじゃないからね。けれど領主なんてのは、どいつもこいつも身勝手で狡猾だ。周囲を出し抜こうとする者が必ず出るし、誰かの抜け駆けを許せば他の連中もこぞって同じことをしようとする。そうすれば負担がのしかかるのは、イーリアさんだ」


 じっとこちらを見つめてくるコールに、言葉を返そうとした矢先のこと。


 足音もなく歩み寄っていたクルルが、その頭を小突いていた。


「お坊ちゃんが一丁前の口を利くじゃないか」

「……」

「ヨリノブはお前に言われずとも考えてるよ」


 なにかと手厳しいクルルだが、コールにはもっと手厳しい。

 けれど最初ははらはらしたコールへの態度も、最近は気安さの裏返しなのだとわかっている。


 それと、クルルに続いて、クルルと一緒に外で仕事をしていた健吾も部屋に入ってきた。


「まったく忙しないな。鉱山でのんびり働けてたのがはるか昔のことみたいだ」

「お疲れ様。ノドン時代だって鉱山の監督は大変だったんじゃ?」

「俺はああいう仕事が向いてるみたいなんだよな。ついでに筋トレもできたし」


 健吾が大胸筋をばるんばるん動かすと、クルルが怯えたように耳と尻尾の毛を逆立てていた。


「地図はできた?」

「ああ、測量してきたよ。ほれ、クルルちゃん」


 健吾の大胸筋がまた暴れ出さないかと警戒していたクルルは、手にしていた大きな紙の存在を思い出したようで、こちらの前に置いた。


 クルルに小突かれ乱れた髪の毛を直していたコールが、不思議そうに首を傾げている。


「地図だって?」

「コールさんの懸念されていた問題を回避するために、新しい町の区画を解放しようかと」

「……」


 土地の解放はついこの間やったばかりでは。

 それにそのことと先ほど話していた問題が、コールの中ではうまくつながらなかったのだろう。しばらく考えていたが、わからなかったらしい。


 その様子を見たクルルが、得意げに言った。


「ヨリノブはな、そういう周りを出し抜こうとする奴らが出ないように、人質をとろうって算段だ」


 悪そうな笑顔で言うクルルに、コールはまさかという顔をしていた。

 ゲラリオをして、おままごとみたいな領地と言わしめたジレーヌ領に、人質政策は似合わないと思ったのだろう。


「人質じゃありません。大使館に大使を置いてもらうんです」

「大使?」

「バックス商会がここにお店を構えたようなことを、各地の領主様にもしてもらうんです。最低でも一人、土地の代表者をこの領地に置いてもらいます。ロランでも似たような仕組みがあると聞きましたよ。たしか、客分とかなんとか」

「ああ、そういう者たちがいるにはいるが……」

「ロランでは、資力のある権力者だけが、自分たちの利益を守るために自前で代表者を置いて、ロランの偉い人たちと交流を深めていると聞きました。これは典型的な抜け駆けで、同じことをできない領主たちは不満に思うでしょう」


 コールはうなずく。


「ですからここジレーヌでは、大使館を用意するので資力のない人たちにも人を置いてもらいたいんです」


 ここは旅行が当たり前で、安いホテルがあちこちにある世界ではない。

 教会が連絡のやりとりを代理してくれるとはいえ、とても迂遠だし、心許ない。

 なにか問題が起きて、ジレーヌ領で話し合いが行われているらしいと知っても、話し合いに加われない者たちも必ず出てくる。


 そういう者たちはひどく疎外感を抱き、不安に苛まれるだろう。


 結果、短絡的な武力に訴えたり、そもそもそういう不利に陥らないようにと、周囲を出し抜こうと考え始めるに違いない。


 待っているのは、面倒な混乱だ。


「でも、各地の代表者が常にここにいてくれたら、周りが出し抜いているんじゃないかという疑心暗鬼もなくなり、あるいは些細な行き違いから、揉め事がこじれることもなくなると思いませんか」

「それは、確かにそう……だが、それだけで中立を守れると思うか?」

「難しいでしょう」


 あっさり答えると、コールは眉をひそめていた。

 そこに健吾が言う。


「もうひとつ、領主たちから担保を預かるんだよ」

「同盟を組む領主様たちと結ぶ予定の、同盟の条件がこれなのですが」


 自分がその下書きをコールに見せると、コールは上から目で追って、怪訝そうな顔をした。


「……同盟を望む者は、この島に相応の金貨を預けること?」

「本当に人質を取るのは野蛮すぎますから、代わりに金貨を預かるわけです。もちろん利子をつけますし、いつでも自由に引き出せます。ただ、没収の条件があります」

「……同盟の約束ごとを軽んじるような行為をした場合、か」


 教会を無視して、イーリアに直接嘆願するなどがこれに含まれる。


 もちろんこれですべてを封じられるわけではないが、少なくとも預けている金貨を失うかもしれないとなれば、安易で衝動的な行動への抑止としては十分だろう。


「あとこの金貨には、もうひとつ重要な効果を見込んでいます。多くの領主が貴重な金貨をここに預けるわけですから、この島に害をなすような試みは、この島に金貨を預けている全員への害にもなります。同盟内の誰かが身勝手なことをやりだしたら、他の全員から恨まれるでしょうね」

「……」


 コールは目を丸くし、それから嫌そうに細めた。


「君たちは……本当に性格が悪いな」

「ですが利子については、なるべく大盤振る舞いしようと思っています」

「は?」


 コールが驚いて聞き返す。


「人質としての金貨だろう? いや、それにそうだ、君は島の財政状況を分かっているのか? 利子など払っている場合ではないだろう?」


 魔石の輸出が絶好調で、一見すると儲かっているように見えるジレーヌ領だが、その分支出も膨大だ。


 港やらの整備が目白押しで、困窮している者たちの救済や、ノドンを倒す際に約束した獣人たちの住環境の改善なども控えている。

 おまけに自分たち専用の船舶建造のために、まだ金貨数十万枚の未払いがある。


「いいんです。利子も抑止力のひとつですから」

「……」


 コールは言葉を失って、こちらを見てから、にやにやしているクルルと、自信に満ちた笑顔の健吾を見て、肩を落としていた。


「……その理由を、聞いても?」

「もちろんです。例えばどこかの領主が、ジレーヌ領と活発に商いをしていたとします。でもすべての領主がそういうことをできるわけではありません」

「それは……まあ」

「そこで、利子なわけです。ジレーヌ領が商いで儲ければ、それに応じて利子も増やします。すると、誰かがジレーヌ領との取引で儲けていても、めぐりめぐって金貨の利子として皆に恩恵があるわけです。取引に参加できない領主たちも、嫉妬や羨望が減るでしょう。なんなら、せっせと働いてくれてご苦労だ、くらいに思ってくれるかもしれません。それは同盟の安定につながるはずです」


 コールが嫌そうな顔をして、地図に目を落とす。


「じゃあ、この大使館とやらもあれか。この金貨を預けやすくするという意味でもあるのか?」

「はい。遠くの見知らぬ土地に、お金だけ預けるのは不安でしょうから」


 距離の遠さは心の遠さ。


 でも自分たちの代表者が現地にいると思えば、その心理的距離は大きく縮まるはず。


 話を聞き終えたコールは、疲れたようにため息をついていた。


「父上や兄上たちの、力を振りかざした政治を常々野蛮だと思っていたが……君たちはお人好しの顔をして、とんでもないことを考えるのだな」


 人は手の中の道具によって行動が規定され、魔法が存在するここでは力こそパワーみたいな世界観が支配することになる。


 だから暴力的な政治が標準なのだろうが、おかげで搦め手が未発達で、自分や健吾の世界史の知識で太刀打ちできるわけだ。


 金貨を預けさせることで中立を保つこの方法は、前の世界ならスイスなどのお家芸だった。


「ただ、そうなると大量の金貨が島に集まるのか……。それはそれで頭が痛い問題だな」


 現金というのは厄介な代物で、保管するだけで費用が掛かる。

 けれどそこも考え済み。


「大丈夫です。私たちは、この預けてもらった金貨で船舶の代金を支払うつもりですから」

「はぁっ⁉」


 今度こそ度肝を抜かれた感じのコールに向かい、なぜかクルルが得意げな顔をしてみせる。


「どうだ、すごい案だろう?」


 健吾もそんなクルルに苦笑していたが、自分だって自力で考えた秘策ではない。

 前の世界で頭のいい人たちが考え、時の試練に耐えた仕組みを利用しただけなのだから。


「だ、だが……金貨を返せと言われたら?」

「一斉に返せと言われない限り、まず大丈夫でしょう」


 金貨は書類の上にだけ存在すればいい。


 要は、一時的な銀行システムを作るわけだ。


「それに大事な点があります。一斉に返せと言われるような時は、間違いなくとんでもない危機に見舞われている時です。そういう時は、まあ金貨の返済がどうこうなんて気にしている場合ではないでしょうね。合成魔石による大魔法の出番でしょう」


 つまり、一斉に金貨を返済する可能性など、無視すればいい。

 そういう状況の時は、そもそも金貨のことなど気にしている場合ではないのだから。


 この思考法は、イーリアから学んだもの。


 ジレーヌ領で最もタフな性格なのは、あのゆるふわ領主様だと思う。


「がたがたぬかすなら、全部魔法で吹き飛ばせばいいんだ」


 野蛮なクルルの言葉に百パーセント同意はできないが、この世界では結局のところ、そこに行きついてしまう。

 それにコールにとっては、その野蛮な方法のほうが慣れ親しんでいるのだろう。


 なんだかんだ納得しているようだった


「まあ、どうしても多額の金貨の返済が必要になったら、預けた金額以上の魔石で返済すれば文句は出ないと思いますし。みなさん帝国に税として魔石を納めないとならないですから、領主様たちにとっては金貨も魔石も同じことです。ロランから逃げてきた時、百日紅の館の人たちは魔石の支払いを受けてくれたでしょう?」


 こちらを見るコールの顔は、ゲームでチートに遭遇した少年のようだった。


「そして魔石なら、ここはほぼ無尽蔵ですし」


 コールは計画の陰険さと大胆さ、そしてそれを実現してしまうだけの島の底力にうちのめされたように、大きなため息をついていた。


「では、コールさん。同盟の条件に付いて、最終確認をお願いしても?」


 教会との話をまとめ、ややこしい領主たちとの同盟話の筋道をつけられたものの、実際に同盟の手続きを詰めていく作業がある。

 その役目を担えるのは、この世界の常識に通じ、実務能力に秀でたコールしかいない。


「僕は己の小ささを思い知ったよ」


 コールのそんな自嘲に、健吾はコールの肩に手を置いて筋トレを誘い、そういうことじゃない、と嫌がられていたのだった。

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