第130話

「なんだ、こりゃあ」


 隣に並んだ船の上で、ゲラリオが呆れたように言った。

 遠くに見えた光景に慌てて握っていた魔石も、なんとなく持て余し気味。


 ジレーヌ領の沖合には、ものすごい数の船舶が集まっていたのだ。


「……戦の匂い、はしないな」


 クルルが鼻を鳴らし、警戒していた尻尾から少し力が抜ける。


『錨を降ろしてる船がほとんどですし、物売りの小舟までいますよ』


 バダダムが櫂を手に、目を凝らしている。


 確かに船をゆっくり近づけていくと、大きめの船舶の間を物売りらしき者たちが小舟に乗って、声を上げて回っているのが見えてくる。


 甲板から上がる煙も戦火ではなく、どうやら煮炊きをしているらしい。

 彼らの表情まで見える頃になると、笑い声や酒宴の騒ぎが聞こえてきた。


 やや奇妙なのは、沖合の大型船舶の間を行き来する、上陸用の小舟に乗っているのが商人ばかりではなさそうなところだろう。


 身分の高そうな者たちが少なからずいるし、彼らはロランで見たのとはまた別の、地域性の強い衣装を身に纏っている。


 威風堂々小舟に乗り、旗を掲げたり、兵士と思しき者を連れている者までいれば、今までの経験からするとすわ戦かと思うのだが、そんな感じはまったくない。


 むしろ平和そのものといった感じで、ちょうど小舟に乗った楽師一団が、歌いながらすれ違っていった。


「身分の高そうな連中が多いが……揉め事じゃないなら、なんの用なんだ?」


 ひとまず荒事にはならないと判断したのか、魔石をしまい直したゲラリオの言葉は、その場の全員に共通したものだった。


「とりあえず、港に向かいましょう。イーリアさんたちなら把握しているでしょうし」


 バダダムとカカムはうなずき、夏休み真っ盛りのプールみたいになっている海をかき分けて進んでいく。


 そして、顔見知りの荷揚げ夫が乗る船とすれ違った直後のこと。


 こちらから声をかける前に、自分たちに気が付いた彼が目を剥いて声を張り上げた。


「おお、ヨリノブ殿ではないか! ようやくお帰りですか!」

「一体なにがあったんですか? こんなにたくさんの船がきてますけど」

「なにがもなにもありませんや! ああ、もう、すぐ領主様のところにいってください! ほら、早く!」


 自分たちは追い立てられるように港に向かい、そこでもまた、様変わりした町の様子に呆気にとられたのだった。


◆◆◆◇◇◇


 海竜を屠った時の大酒宴。


 港はそれくらいの混雑ぶりだが、港を抜け、町の通りに出ても賑やかで、ようやくイーリアの屋敷にたどり着いたら、そこには恐るべき大行列が待ち構えていた。


「おおおおおお、ヨリノブ、やっと帰ってきたか!」


 人ごみをかき分けてやってきたのは、いつも屋敷の前にたむろしていたマークスだ。


 治安維持の責任者を任されていたので、仲間と共に行列の整理やらをやっているのだろう。


 ただ、いつも飄々として、詐欺師らしく整いすぎなくらいに整っていた身なりが、疲れのせいかへこたれている。


「屋敷の中でイーリアちゃんがもう噴火寸前なんだよ! さっさといってご機嫌とって、ついでにこの騒ぎをどうにかしてくれ!」


 マークスがこれだけ取り乱すのだから、よほどのこと。

 それにふと気が付けば、屋敷の前に並ぶ者たちが、揃ってこちらを見ている。


 しかも彼らが呟く、ヨリノブ? ヨリノブ? という声まで聞こえてくる。


 我に返ったのは、クルルがこちらの腕をつかんだから。


「おい、なんかやばそうだ。とにかく屋敷に行こう」


 クルルは魔石こそ手にしていなかったが、その三角の耳は警戒できんきんに尖っていた。

 バダダムとカカムもまるで戦闘隊形のように、自分たちを囲みながら屋敷に導いてくれた。


 こうして屋敷の中に入ると、そこも人でいっぱいだった。


 ただ、屋敷の中にいる者たちは、外に並ぶ者とはちょっと雰囲気が違う。


 広間や廊下のあちこちに四、五人で陣取り、大抵は身なりの良い者一人が椅子に座り、その周りにお付きの者が控えている。

 こちらを品定めするかのような彼らの視線は、常になにかを決断する立場にある人物特有のもの。


 どこかの身分ある者たちから向けられる視線を潜り抜け、ひときわ賑やかな声の聞こえてくる大広間に向かうと、そこは酒宴の真っ最中だった。


 けれど決して主賓が楽しんでいないのは、すぐにわかった。

 なにせこちらを見つけた途端、強張った笑みを張り付けたままのイーリアは、たちまち椅子から立ち上がったのだから。


 そして「ちょっと失礼」なんてめったに見せない優雅さで、周囲に挨拶をしていた。

 たぶん、いやいやながらロランの尚書局の人間から教え込まれた、社交の礼儀作法だろう。


 とにかくそのイーリアが、人形みたいな笑顔のまま、こちらに駆け寄ってきた。


「もう、限界」


 一言呟くと、戸惑うクルルの肩をひっつかみ、どこかに行ってしまう。


 胃のあたりが冷たくなったのは、またなにかひどいことを言われて、必死に我慢していたのだろうかと思ったから。


 イーリアを守り、戦わねばならない。


 広間にいる者たちに向き直れば、全員の視線を集めていた。

 この若造はなんだという、怪訝そうなそれ。


 けれどこちらも場数を踏んでいる。

 気丈に睨み返していると、突然、手を軽く叩く音がした。


 コールだった。


「皆様にご紹介いたしましょう。偉大なる領主イーリア様を支え、このジレーヌ領を発展に導いた立役者、大宰相ヨリノブ殿です」

「ん、え?」


 こちらがなにか言うより早く椅子から立ち上がったコールは、見事な装飾が施された金属の器を掲げていた。


「領地発展のため、遠方の地に旅立っていた大宰相殿の御帰還です! 大宰相殿の無事と健康に、乾杯!」


 よく意味の分からないことをどこか投げやりに言ったコールが、勢いよく酒を呷る。

 すると戸惑いがちだった者たちは、我に返ったように、唱和した。


 しかも自分がさらに驚いたのは、彼らの表情の変化だった。


 そこには侮蔑も敵意もなく、あったのは敬意と興奮の笑みなのだから。


 そしてコールは両隣りにいた身なりの良い男たちに恭しく挨拶をしてから、席を離れてこちらに歩み寄ってくる。

 どこかノドン時代を思い出させる据わった目には、懐かしささえあった。


 そのコールから、ものすごい酒の匂いがした。


 けれど気持ちよく酔っているという感じはなく、その笑顔は石膏みたいに硬かった。


「か、帰ってきてくれて、助かった……」

「コール、さん?」

「ぼ、僕はもう無理だ、後は……任せ……」


 倒れ込みそうになるのをバダダムが抱えていたし、続きの間から山ほどの料理と酒を持ってやってきたコールの仲間の獣人が、慌てたようにやってくる。


 広間から運び出されるコールを見送り、なんとなく事情がわかってくる。

 とても嫌な予感がして、援軍を……と思ったら、ゲラリオとファルオーネがいつの間にか姿を消していた。


 鉄火場で生きてきた男たちは、危機管理能力に秀でているらしい。


 自分に集まる視線と、彼らが手にしている酒の詰まった樽。この世界ではちょっと珍しい、瓶入りの酒もずらりだ。


 ここは若干未開の文化の、野蛮な世界。


 自分も用事を思い出した体で広間から出ようとしたところ、大きな壁に阻まれた。


「け、健吾?」


 背後に立ちふさがっていた健吾からも、だいぶ酒の匂いがする。

 それに珍しく髭を綺麗に刈り込んでいる。


 満面の笑みのままなにも言わない健吾は、獣人から木のジョッキを受け取り、こちらに押し付けると、大きな手で肩を掴んできて、有無を言わさず方向転換させる。


 自分の視線の先には、居並ぶ客人たちがずらり。


「皆さんのお話は、引き続きこの大宰相ヨリノブがお伺いします」


 それからぎゅっと手に力を込められたのは、逃げるなよ、という意味だろう。

 こちらのジョッキに酒を注ごうと、わらわら人が集まってくる。


 この世界では、いつだって一瞬先は闇。


 けれどこんな闇は想像していなかったと、あっという間になみなみ注がれた酒を手にしながら思ったのだった。

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