第十一章

第129話

 下山すると、アヴァルド族の者たちは呆気に取られていた。

 なにせそこは踏み入れれば生きては帰れないはずの、神の領域なのだから。


 無事に戻ってきた自分たちのことを、人か、神か、あるいはその御使いかと戸惑っていた彼らに対し、偉大なる神は健在だったということ、それから近いうちに再訪するので神についての歴史を知る者を見つけておいて欲しいと伝え、渡せるだけの金貨を渡してきた。


 事態がまだ呑み込めない彼らに向け、ついでに神へのお供え物には花をお勧めしておいた。


 本当なら今少しゆっくりしたいところだが、山で見たことがあまりに衝撃的過ぎて、じっとしているなんて無理だった。特に皆に決を採るまでもなく、さっさとジレーヌに帰ろうということになった。


 慌ただしく船に乗り込む自分たちを見送るアヴァルド族たちの、ぽかんとした様子が印象的だった。


 その船が、勢いよく海を南に下っていく。


 おそらく自分たちは世界の秘密に触れた。

 あるいは、触れてはならない秘密に。


 バダダムたちも緊張で櫂を漕ぐ手に力がこもり、船は力強く海を進んで行った。

 船の上で、クルルとは何度か目が合ったが、お互いになにも言わなかった。


 ただ時折、クルルはその尻尾の先っぽで、こちらの体のどこかに触れてくることがあった。

 これは夢か、それともうつつかと、ベッドの中で手を伸ばす女の子みたいに。


 あの鉱山で見聞きしたことが本当なのだとしたら、この世界に伝わる歴史は不正確か、歪んでいる可能性がとても高い。

 それはこの世界に住んでいる者にとって、足元の土台が揺らぐようなことのはず。


 コールに頼んでフロストへと協力を仰ぎ、州都ロランの伝手を利用し、可能な限り古い時代の話を集める必要があるだろう。

 あるいは荒唐無稽と思われていたような、民話や伝説の類も。


 そしてファルオーネが洞窟の奥で解読した文章は、かつて魔法の謎が解かれていた可能性を示していた。


 そうだとすれば、教会に残されている起動しない大規模魔法陣についての話も変わってくる。ファルオーネやルアーノたちは匙を投げかけていたが、あれは解けない謎ではないのかもしれないのだから。


 本腰を入れて調べねはならず、人員の増強や、予算の追加も考えないとならないだろう。

 それから、前の世界の数学や物理の知識を、ありったけファルオーネたちに渡すべき時かもしれないと思った。


 もちろんそれは、自衛のために核兵器級の魔法を他の勢力に先んじて手に入れておきたい、という考えもあったが、魔石に刻まれた暗号文には、こうあったのだから。


 大精霊が使用していたとされる大魔法。


 死者をよみがえらせ、時間を巻き戻し、そして、異界の知識を得る魔法……と。


 異界の知識。

 その言葉に自分は、どうしたって考えざるを得ない。


 元の世界に戻る方法があるのではないか?

 この世界に来られたのだから、元のところに戻る方法だって。


 この世界の空は青く、太陽は東からのぼり、リンゴは木から落ちる。

 けれどやはりここは、自分の生まれ育った世界ではない。


 得難い仲間を得たけれど、それでも――。


 自分がそう思っていたら、また、クルルと目が合った。

 海風に前髪が弱々しく揺れるその様子は、海原で行く宛てをなくした女の子のように見えた。


 ゲラリオからもいつものふざけた感じが消えていて、遠くの水平線を見るその横顔は、戦を生き延びて傷ついてきた男のものだった。

 なにかと騒がしいファルオーネでさえ、目を覚ましてからはずっと船に横たわり、空を眺めていた。


 みんな、不安なのだ。

 これからなにが起こるのか、なにが待っているのか。


 そして、今の自分たちの足元に、どんな歴史が埋まっているのかと。


 そんな彼らの不安をあおることになってしまった張本人が、ほかならぬ自分だ。


 すべては合成魔石の秘密に気が付いたところから始まった。

 元の世界に帰るにしても、ここまでこの世界をひっかきまわしてしまったその責任は、取るべきだろう。


 それに……。


 自分は、クルルを見やった。


 イーリアのせいで、この少女とは曖昧な関係のまま。


 勘の鋭い猫娘は、こちらの視線にすぐに気が付いていた。

 目を逸らすのもどうかと思い、精一杯微笑みかけると、クルルは少し猫の耳を立てて、どこか不機嫌そうにそっぽを向く。


 つれない実家の猫そっくりだと、自分はちょっとほっとしたように笑い、海の先を見やる。


 こうして帰りの旅程は、往路より三日も早く進み、ジレーヌの島が見えるところまできた。

 

 そして自分たちは――。





 島の様子に絶句したのだった。


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