第131話

 事の顛末は、ほどなく判明した。


 弱小領地だったはずのジレーヌが、ロランの街中で派手に魔法をぶっ放した挙句、怒り心頭で最大戦力を差し向けてきたロランの船団を、あっさりと撃退した。

 しかも和平条件は恐るべき寛大さで、改心したバックス商会はジレーヌ領に店まで構えることにしたという。


 そんな話が、広まらないわけがない。


 ただ、その話が世間にどんな反応を引き起こすかということについて、自分たちの予想はまったく的外れだった。


 ここは暴力が社会の中心に居座る世界であり、強き者にはそれ相応の役割がある。


 つまりは、弱き者の支配。


 あるいは、弱き者の庇護なのだ。


「美味しいご飯は好きだけど、毎日朝から晩まで食べ続けられないわよ……」


 自分たちがヴォーデン属州に向かっている間、イーリアたちもまた、このジレーヌ領で戦っていた。

 ただし戦う相手は、敵意と武器の代わりに、多すぎる敬意と貢ぎ物を持ってやってきた。


 田舎ではままありがちだが、食べきれないほどの食べ物と、飲みきれないほどの酒を差し出すのが礼儀、というのはこっちでも共通しているらしい。


 しかしイーリアの小さな胃袋と肝臓では到底受け止めきれず、コールと健吾が文字どおりに身を挺して守っていたが、彼らにも限界がある。


 自分もまともに相手をしたら一瞬で酔いつぶれるのが目に見えていたので、イーリアやコールが戦線離脱した後、迫りくる軍勢を前にこう言った。


「ロランへの勝利は、神の御加護があってこそのことでした。私はその感謝を神に示すため、禁欲を課している最中です」


 困った時の神頼み。

 一杯目は礼儀として飲み干したが、二杯目に移る前にそう言った。


 人々はひどく感心した様子で、滝のように注ごうとしていた酒を引っ込めてくれた。


 こうして彼らの猛接待をどうにかいなして、日が暮れた後。


 イーリアの屋敷は、客人の中でも最も高貴な者たちの宿泊場所になっているようで、今でもあちこちから賑やかな酒宴の調べが聞こえてくる。

 その騒ぎからどうにか身を守るように隔離されたイーリアの部屋に、皆が集っていた。

 扉の前を守るのはコールの仲間の獣人だが、彼らの友であるコールは、別の部屋で酔いつぶれてひっくり返っている。


 そのイーリアの部屋で、クルルに甘えられるだけ甘えてようやくいくらか気力を取り戻した主人が、今もクルルに髪を梳きなおされながら事情を説明してくれた。


「アズリア属州だけじゃなくて、隣接する属州からも、小さな土地の領主や貴族、それに土地の利害を代表した商人たちが、一斉に押し寄せてきたのよ。話を聞いたら、どこも小競り合いが絶えないみたいで、味方が欲しいんだってさ。それでロランを退けられるくらいだから、うちと同盟を組んだら敵も怯むはず……ってことを、全員が思ったわけ」


 うんざりした様子のイーリアの言葉を引き継いだのは、一眠りしたらだいぶ酔いが抜けたらしい健吾だ。


「ここがどこの領地ともしがらみがないってのも大きかったみたいだ。ロランをはじめ、強そうなところは必ずどこかの既存の勢力とつながってるからな」

「そこに現れた、まっさらな私たちだからね。同盟は早い者勝ちってくらいな勢いで、ヨリノブたちがでかけた直後の数日は、もう大変だったんだから」


 沖合にひしめく船と、港から続く人の波。

 突然のことに、きっとイーリアたちは厳戒態勢を敷いたことだろう。


 ゲラリオもクルルもいないから、バランやコール、それにドドルたちだけで立ち向かわなくてはならない。

 その緊張と、拍子抜けの落差によっても、余計に疲れたことだろう。


 ただ、同盟の申し込みにしては、人数が多すぎる気がした。


 屋敷の中はもちろん、外にも行列が伸びていて、それは日が暮れた今も変わらない。

 簡易の天幕などを各々しつらえて、路上で平気で野宿しているのだ。

 そんな彼らのすべてが貴族とは思えない。


 そのことを伝えると、健吾は大きな肩をすくめてみせる。


「バックス商会が新しい町の区画に支店を構えることにしただろう? それを聞いたあっちこっちの商人たちが、自分たちもと押し寄せてきた。その上、イーリアちゃんが新たな宮廷を構築しようとしてるから、自分を売り込みにきてるんだよ」


 この時点で確かに結構な人数になりそうだが、健吾はさらに付け加えた。


「それから、光栄だけど、あんまり楽しくない話だな」

「……ん?」

「今まさに横暴な権力に脅かされている人たち、というのがたくさんいる。このジレーヌなら安心して暮

らせるかもって、たくさんの移民希望者がきてる」


 圧倒的な戦力のロランが攻めてくると知らされた町の者たちは、それぞれの理由で島から出て行かなか

った。

 いや、島から出て行ってもろくな土地はないとわかっていたからこそ、自らに言い聞かせるように、様々な理屈を並べ立てて島に残ることを正当化した。


 いつ何時理不尽な暴力に蹂躙されるかもしれない土地に住む者たちからしたら、ロランを撃退したここは、ある種の聖域に見えたのだろう。


「なるほど……」

「だから広場はあの調子だし、屋根のある所にはどこもぎっしり人が詰まってる。ドドルが一計案じて、家を高値で貸す代わりに、皆で鉱山で寝泊まりしようと言い出してくれなかったら、今頃どうなっていたことか」


 ドドルは粗野に見えて、そういう機転も利かせられるあたり、さすが獣人たちのリーダー格といえる。


「それで……イーリアさん、どんな具合なんですか? 移住希望の人たちの件も色々問題含みですけど、各地の権力者が来てるんですよね? 同盟を結んだんですか?」


 数も厄介だが、この手の話で最大の問題は、押し寄せている者たち同士、いがみ合っている可能性が高い点だ。


 つまりどこかと同盟を組むと、そこと敵対するところから恨みを買う。


 同盟を組むならば、陳情にきた者たち全部と組むか、複雑な利害関係を調べ上げてからにする必要がある。


 そう思って尋ねたら、クルルに髪を梳いてもらい終わったイーリアは、今度は満面の笑顔で爪ヤスリを取り出し、最愛の従者に手渡していた。


「そういう面倒なこと……こほん。難しいことは、大宰相様の役目でしょ?」


 押し寄せる賓客相手に、元々在庫の少ない愛想を振りまき続けたイーリアは、誰かに甘噛みしたくて仕方ないのかもしれない。


「その大宰相っていうのやめてくださいよ」


 わずかに抵抗するものの、イーリアは完全に無視するし、クルルに爪を磨いてもらい機嫌よく尻尾を振っている。


「もう……。けど、全員と組むか、誰とも組まないかの二択だよね?」


 健吾に尋ねると、肩をすくめられる。


「俺は、組まない選択肢しかないと思うけどな」


 意外な返答だった。

 ジレーヌはロランを退けたとはいえ、規模の点からは弱小領地のまま。

 ロランがおとなしいのも今だけだろうし、味方はいくらいても困らないのでは。


 そう思ったのだが、健吾はため息とともに言う。


「頼信がメッテルニヒの役をやりたいなら、同盟を組むのを止めはしないが」

「うっ」


 イーリアの爪を丁寧に手入れしていたクルルが、視線をこちらに向けてくる。

 メッテルニヒという聞き慣れない単語が、気になったのだろう。


「どこかの陣営を選んで肩入れするってのは、俺は反対だ。この世界のことを知らなすぎるからな。どんなおまけがついてくるかわからない」


 それはそうだ。

 属州の政治に詳しいだろうコールにしても、限界があるはずだ。


「それにどこかと同盟を組めば、間違いなく揉め事の仲裁を頼まれる。同盟の数が増えれば増えるほど、その可能性は増える。利害関係の中心で、果てしない調停をするのは……俺は嫌だし、頼信もやりたいか?」


 健吾が口にしたメッテルニヒというのは、人名だ。

 クレメンス・フォン・メッテルニヒ。


 ナポレオンが暴れ回った後のヨーロッパ列強を、利害関係を巧みに使い、口先だけでまとめ上げたと言われる伝説の外相だ。

 その手際があまりに見事なので、彼が作り出した秩序のことは、メッテルニヒ・システムなんて呼ばれている。


 すごすぎるので、多分転生者だろう。


 世界史を踏まえた戦略系ゲームには欠かせない人物だが、前の世界の知識があったとしても、こういうのは知識だけで真似できるような芸当ではない。


 呻いていると、イーリアが言った。


「山ほどの陳情を受けたけど、百年続く隣の領土との争いが、遡れば祖父の祖父の代に盗まれた山羊の恨みからきてるなんてことがちょくちょくあるみたい。コール君にも言われたけど、神以外には仲裁なんてできるはずもない話だらけだってさ」


 イーリアは頭痛でもこらえるように額を抑え、たちまちクルルにしなだれかかる。

 いつもならしゃんとしろと叱りそうなところだが、クルルも久しぶりにイーリアに会えて純粋に嬉しいようで、優しく抱擁していた。


 そのふわふわ甘い雰囲気にやや見惚れつつ、しょっぱい現実のほうも見ないとならない。


「でも……全員の申し出を断るのも、それはそれで厄介では?」


 そもそも断れるのかどうかすら怪しかった。


 自分たちは運よく、取り返しのつかない悲劇に巻き込まれず、ここまでくることができた。

 けれどそうではない土地のほうが多いはず。


 貢ぎ物を手にやってきた領主の中には、今まさに消えようとする運命をつなぐため、最後の頼みの綱としてここにきている者だっているだろう。


 その彼らの頼みをむげに断るというのは、どうなのだろうか。


 それに島の外の勢力に恩を売っておくのは、この島がにっちもさっちもいかなくなった時、避難場所を確保することに等しいという事実がある。

 期待していたアヴァルド族が住む蛮族の土地も、あまり大勢を受け入れられるような場所には見えなかったし、そもそも遠すぎる。


 加えて、生活物資を輸入に頼らざるを得ないジレーヌ領の性格上、取引ができる相手は多ければ多いほど、なにか悪いことが起こっても耐え抜ける可能性が高くなる。

 ロランだけに頼り続けるのは、とても危険な賭けだ。


 ひとつの籠にすべての卵を入れてはいけない、という格言を忘れてはならない。一度転んだだけですべてが台無しになるからだ。


 ただ、健吾の口にした懸念も、痛いほど理解できた。


 なにせゲーム製作サークルさえまとめられなかった自分なのだから、バキバキの政治の舞台をうまく取りまとめられるはずがない。

 この世界の常識も危ういし、それが辺鄙な土地の代々続く揉め事や利害関係となると、もはや絶望的だ。


「頼信の言うことも正しいと思うよ。誰も彼もが、切実な問題を抱えてここにきてる。俺も、できれば彼らの問題を解決したいよ。ここでそうできたみたいにな」


 疲れたため息とともに、そう言う健吾。

 その疲れ具合は、前の世界でたくさん見たサラリーマンのもの。


 そこにイーリアが言った。


「おまけに、この同盟の話をめぐって、もっと面倒なことがあるしね」


 すでにこの時点でだいぶ面倒くさいのに? とイーリアを見ると、クルルの小さな胸に顔を埋めていた自堕落な領主様は、たにんごとみたいに肩をすくめてみせたのだった。

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