第121話

 戦争には費用が掛かる。

 それだけでなく、兵になる若者は、同時に働き手でもある。


 彼らが戦場に行っている間、畑は耕されず、鉄は打たれず、豚を育てる者も、パンをこねる者もいなくなる。

 そんなわけで、費用対効果を考えて、傭兵を雇うことがある。


 しかしそれにも金がかかるわけで、大抵は税金を課したりする。


 ただヴォーデン属州にはこれといった産業がなく、土地も肥沃でないため人口がまばらで、その税を課す領民にすら事欠いている。


 では傭兵を雇うために金貨を稼ぐとしたらどうするか?


「獣人を売るってわけか」

「僕たちの住むアズリア属州を含む、この西部辺境地域の属州は、ヴォーデン属州から獣人の奴隷を買い取ることで、戦を支援しています。そうしなければ、帝国の領土拡張政策に非協力的だと見なされるからです」

「んで、ヴォーデン属州はその獣人を、まだ支配があやふやな土地に攻め入って、捕まえてくるってわけか」


 地獄の狩猟採集生活だが、大航海時代の欧州勢は大体こんな感じだろう。


「僕が奴隷貿易にどれだけ反対をしても、誰も耳を貸してくれなかった原因がこれです」


 獣人を二級市民と見なし、歴史文化的な理由から奴隷にしていただけならば、啓蒙によって理解者が増える可能性はあった。

 事実、帝国の中心部では奴隷制度は下火のようだった。


 しかし帝国がその支配領域を広げるための、政策に根差しているとなると、また話が変わってくる。


 奴隷貿易に反対し、ヴォーデン属州の戦いを金銭的に支援しなくなれば、直接自分たちの身に災いが降りかかるのだから。


「兄は……いえ、フロストは、この仕組みをイーリアさんが聞けば、この鉱山になにがなんでも赴くだろう、と計算しているのだと思います」


 ロランの港で見た、奴隷獣人たちの扱いを思い出しているのだろう。

 イーリアの引き結ぶ唇が、真っ白になっていた。


 耳と尻尾の毛はパンパンに膨れ上がり、クルルがなだめようと手をこまねいているくらいだ。


「これを知らせてきた、フロストの目的はなんだと思う? ただの親切って感じがしないんだが」


 健吾が問いかける。


「ここジレーヌ領は、形式的にはアズリア属州の一部です。もしも僕たちが、このヴォーデン属州が長年攻めあぐねていた鉱山を奪取したのならば、その功績はアズリア属州のものとして、帝国にいい顔をできます。それにヴォーデン属州に対しても、鉱山の権益を主張できるはずです。たとえその権益がジレーヌ領のものであっても、巡り巡ってロランの利になると思っているのでしょう」


 バックス商会は新市街の一等地に商会を構えようとしている。

 ジレーヌの発展はバックス商会の発展であり、ロランの発展につながるというわけだ。


「それに……」


 と、コールが言い淀む。


「兄がこの話を寄こしたのは、イーリアさん。イーリアさんが、奴隷貿易の件で、兄に相談していたからですよね?」

「っ……」


 目を見開くクルルの横で、イーリアは無表情を貫こうとした。


 けれど耳と尻尾の毛が逆立っているのは明白で、結局大きなため息をついて諦めていた。


「そうよ。そのクソみたいな商売は、どうしたらやめてくれるのかって聞いたわ」


 町ごと消し去れる武力を有した領主から、そんな質問をされる敗将の立場を想像すると、フロストに同情してしまう。


 けれど奴隷貿易は、フロストの一存ではどうにもならないことだった。


 単なる金儲けとは一線を画す事情があるようなのだから。


「誰にも知らせなかったのは……知られたら、皆、努力しちゃうだろうって思ったからよ」


 疲れたように言うイーリアは、まず、クルルを見てそう言った。


 こんな大事なことを秘密にされていたと知ったクルルは、明らかにショックを受けていたし、泣きそうでさえあった。


「それに、どんなに無理だろうってことでも、とんでもない方法で実現しちゃうような人たちがいるし」


 その言葉は、自分と健吾に向けられた。


「領地は改革の真っ最中でもういっぱいいっぱいだから、私のわがままでさらに大きな問題を抱え込むのはよくないと思った。でも、どうしても我慢できなくて、可能性だけは探っておきたくて、フロストさんに内密に相談したわけ。だからフロストさんは、悪い企みでこの話を持ちかけたわけじゃないと思う。もしもその鉱山を奪取できれば、奴隷貿易をする理由が大きく減じるのは確かだもの。もちろんあの人は商人貴族だから、余禄は十分計算したでしょうけれど、それは別に悪いことじゃないわよね?」


 領主の独断専行とみなすべきか、それともイーリアなりに周りに迷惑をかけないように振る舞ったというべきか、微妙なところだ。


 イーリアは、自身の気持ちや考えをうっかり口にすれば、それはたちまち自分だけのものだけではなくなってしまうと、理解し始めている。


 権力者というのはそういうものだとはいえ、それはとても窮屈で、息苦しいことだろう。


「で、俺たちはたった今、イーリアちゃんの願いと、鉱山の話を聞いちまったわけだ」


 いい意味で空気を読もうとしないゲラリオが、軽い口調で言った。


「あのフロストって野郎に上手に乗せられた感があって腹立つが、放置もできんだろ。今のところ、俺らの目的にもぴったりだしな」

「でも――」


 言い募ろうとしたイーリアに、ゲラリオが肩をすくめる。


「クルルの顔を見ろよイーリアちゃん。明日にでも一人で船に飛び乗りかねない」

「っ」


 イーリアはクルルを見やり、罪の意識に耐えかねるようにすぐに視線をそらす。


 それでもイーリアは、クルルの視線を受け止めるのが自分の責任だ、と思ったのだろう。

 ゆっくりクルルに向き直り、小さく言った。


「黙っててごめんなさい、クルル」


 クルルは口を引き結び、目尻に涙まで湛えていたが、怒鳴らなかった。

 その代わりにイーリアの首にしがみつき、イーリアの尻尾が逆立つくらい、強く抱きしめていた。


 目を白黒させるイーリアにゲラリオは肩をすくめ、視線を男性陣に向けた。


「二人はあんな感じだが……まあ、お前らには聞く必要もないか?」

「我が占星術の占い盤は、今すぐ行けと唸っている! 神がいると言われている山なのだからな! それにここは船で容易に到達できる。すぐ行って帰ってこれる。条件も完璧だ!」


 ファルオーネの頭は、すでに調査の旅程でいっぱいのようだ。


「自分も、ここを奪取できればとは思いますが……」


 船が容易につけられるなら、採掘のための人員配備も、魔石の積み出しも比較的容易だろう。


「ただ、自分としては、奪取の場合は侵略戦争になるんじゃないかって、気になるんですけど……」


 しかもそこは、誰かが神聖な場所としているところなのだ。


 植民地という言葉に邪悪な色がついて久しい現代を生きていた者として、帝国主義はどうしても野蛮に思える。

 今はまさにその帝国の一員なのだとしても、だ。


「コールはどうだ?」


 ゲラリオに名を呼ばれ、コールは無意識に背筋を伸ばしていた。

 訓練でよほどしごかれているらしい。


「僕は……」


 言い淀み、クルルをなだめているイーリアを見ていた。


「思ってることは言っとけ。戦場に出るなら、基本だと教えたはずだ」


 いつ死ぬかわからないから。


 けれどそれは、なにかと言葉を飲みがちなコールのための口実だろうとも思った。

 ゲラリオが呆れたように笑っていたのだから。


「ぼ、僕は、赴くべきだと思います。魔法の秘密に至る手がかりが、そこにあるかもしれません。ただ、鉱山を手に入れるかどうかは、まだ判断すべきではないと思います。確かに奴隷貿易の原因の一つになっている鉱山ではありますが、それを奪えば、奴隷貿易がなくなるかと言えば、そうとも思えないからです」


 コールは生まれの良い貴族の子弟らしく、落ち着いた様子で考えを述べていく。


「なぜなら、この鉱山は今でも帝国に対しての盾となっているだろうからです。そして蛮族の領域には、多くの獣人たちが逃げ込んでいると聞きます。我々が鉱山を奪取し、帝国の版図の一部としてしまえば、帝国は支配領域をさらに蛮族の土地に広げるでしょう。そしてまた、多くの悲劇が起きるのではないかと思います」


 クルルをなだめていたイーリアが、無言でコールを見た。


「それはそうだな。いわば用水路の詰まりを取り除くようなもんだ。奴隷貿易は属州一体にがっちり組み込まれてる商売で、あんまり流行ってないとはいえ、帝国本土でもまだ残ってる。そう簡単に根絶はできんだろう」

「ただ、その鉱山に赴くべき理由は、それだけではないと思います」


 ゲラリオが、話を続けろとばかりに顎を上げる。


「交渉の可能性があると思うんです」

「交渉?」

「蛮族は帝国の敵です。彼らと友好な関係を築ければ、僕たちが帝国と敵対した時、この島以外に行く場所を確保しておけるかもしれません。たとえ鉱山に神などいなくとも、もちろん奪取するつもりがなくとも、そこに赴いておく益はあるかと」

「……」


 ゲラリオは新弟子をじっと見やり、肩をすくめていた。


「ケンゴ殿はどうだ? この場で最も慎重なのはあんただ」


 ゲラリオは健吾に対し、ちょっと距離を開けがちだ。

 鋭いゲラリオだから、ゴリラの見た目の健吾の中身が、実は、どインテリなことを嗅ぎつけているのだろう。


「鉱山監督官としては、今鉱山を増やされても、単純に手が回らないかな。ただ、開発の候補が増えるだけなら歓迎だ」


 消極的賛成、という意味のようだ。


「んじゃあ、行くだけ行くか?」


 ゲラリオの軽い口調。

 けれどそれは浅慮ではない。


 深刻になることと真剣になることは違うのだから。


「神の住む山だとよ。なにがいるのやら」


 ゲラリオは呟いて、髭をぞりぞりと撫でたのだった。

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