第122話

 せっかくの初遠征。


 新造した領地の船でいけたらよかったのだろうが、その船ができるのはまだだいぶ先。

 それに件の鉱山までは、道中の海岸沿いに点々と町があるようなので、少し大きめの漁船でも事足りるようだ。


 自分たちは領地の漁師から二艘の船を借り、鉱山を目指すこととなった。


 二艘なのは、一艘になにかあった時のためで、赴く面子の数は必要最小限。

 まずファルオーネ。

 それからゲラリオとクルル。


 船の漕ぎ手兼力仕事担当として、ロランの船団と戦う時に手伝ってくれたバダダムと、バダダムの仕事仲間であるカカムという獣人が同行してくれることになった。


 カカムはゴーゴンと同じ草食系の獣人だが、ガゼルのような渦のついた角が雄々しく伸びていて、決してただ狩られる側の存在ではない、という鋭さがある。

 それにバダダムとカカムの二人は、ツァツァルが訓練している前衛候補の獣人でもあった。


 そして蛮族とジレーヌ領との秘密同盟の可能性を探るべく、いつの間にか宰相というあだ名が定着しているらしい自分が、蛮族との交渉役として船に乗り込んでいた。


「交渉なら、健吾のほうが向いてると思うんですけど」


 遠征の準備をしている時、イーリアにそう言ったら、思い切り呆れられた。


「クルルが張り切り過ぎないように注意できるのは、ヨリノブだけでしょ」


 イーリアは奴隷獣人の話を、クルルにも秘密にしていた。

 イーリアにも理由があったとはいえ、隠し事をされていたというショックの反動からか、クルルの意気込みは確かにすごい。


「かといって、クルルを留守番にして、ゲラリオさんとコール君をいかせるのは、なんか違うでしょ? あの二人を信頼してないわけじゃないけど……」


 領地の行く末を左右しかねない案件を任せるには、どことなく身内感が薄い、ということだろう。

 ともにノドンと戦った経験は、やはりまだ自分たちの中で結構大きいものなのだ。


「それにヨリノブも、クルルと一緒にいたいでしょうし?」


 目を細め、ぐいぐい体を寄せて、イーリアが言ってくる。

 自分の色恋より、他人の色恋を楽しむタイプ。


 あるいは、人の嫌がる顔を見るのが好きな、悪い女の子だ。


「期待しているようなことは起きないですよ」


 クルルからは、イーリアに餌を与えるなと言われている。

 進展がないとしたら、まさにあなたのせいですと言いたいところを、ぐっとこらえる。


「そういうじれったいのも、私の大好物」

「……」


 大きくため息をついたが、張り切り過ぎているクルルのお目付け役を期待しているイーリアの気持ちも、嘘ではないだろう。

 ゲラリオを師として仰いでいるクルルだが、イーリアのこととなると、ゲラリオの忠告に耳を貸すかどうかはかなり怪しい。


 唯一話を聞くとしたら自分、ということなのだ。


「あと、あのファルオーネさんっていうのを、ゲラリオさんが制御できるとも思えないもの。ああいうややこしいのの相手は、ヨリノブが得意でしょ」


 得意というわけではないが、ゲラリオよりかは理解ができていると思う。


「というわけで、領主命令よ」


 イーリアはこちらの胸をポンと叩く。


「クルルのことを見張って、それから、少しは関係を進めてくること」

「怒りますよ」


 そう言って睨みつけた時のイーリアの笑顔が、一番可愛かった。


 そんなわけで船に揺られていたのだが、特になにが起こるというわけもない。

 なにせ……。


「ヨリノブは本当に、弱っちいな」

「面目、ないです……」


 小さめの船なので、ちょっとの波でかなり揺れる。

 ロランに向かう時はこれよりかなり大きな船だったのに、船酔いに苦しめられた。


 初日から船の上でひっくり返り、日が暮れる頃にようやく港にたどり着き、拷問が終わったと眠りにつけば、翌朝からまたすぐに船だ。


 船乗りも最初は船酔いにやられ、そのうち抵抗ができるのだとバダダムから言われたが、それは一日や二日の話ではないだろう。


 三日目にロランを越え、四日目に到着した港町では、体調が悪すぎて結局三日ほど逗留することになった。

 ゲラリオはさすが戦の男で、二日くらいは自分と一緒に船酔いにやられていたが、ほどなく適応していた。ファルオーネは考え事をしていれば船に乗っていることすら忘れる、というタイプのようで、平気そうだった。


 おかげで、船酔いを看病してくれるクルルとなんだかいい雰囲気に……などという話どころではない。役立たずのせいで旅程が遅れているという雰囲気だったし、そもそもクルルはろくに看病をしてくれなかった。


「弱ってるところに付け込むのは好きじゃない」


 そう言ってでこぴんをしてくるクルルに、弱々しく笑い返しておく。


 歯ごたえのある男にならなくてはと、ようやくその夜から、食事が喉を通るようになったのだった。



◆◆◇◇



 海岸線に沿って北上を続け、ジレーヌ領を出て十日目のこと。


「冷えるな」


 クルルがそう言って外套をかき寄せたのは、風の冷たさ以外にも理由があるだろう。


 海岸線は岩がちになり、陸地は針葉樹がまばらに生え、なんとも刺々しい見た目が続く。

 風は時に強く吹き、白波が磯に打ちつけられる。


 現役漁師であるバダダムとカカムのふたりが、暗い色の海を、慎重に船を進めていく。


 荒涼とした景色が続くここは、地図の縮尺が正しければ、ジレーヌから三百キロ以上北上していることになる。


 空は晴れていてさえ、どこか灰色がかっていて、雨が降るわけでもないのに曇りがちなことが多い。

 海岸線の村も、集落といっていいような小規模なものが点々としているだけで、活気がない。


 幸いなことといえば、バダダムとカカムが食事用に捕まえてくれる魚が、どれも脂がのって美味しかったことだろうか。


 ジレーヌは色々な魚が獲れるが、実はあまりおいしくなかった。

 この世界特有のことかと思っていたのだが、多分ジレーヌのあたりは暖流が流れ込んでいて、魚があまり脂をため込まないのだ。


「蛮族ってのは、魔物みたいに話が通じない奴らじゃないんだよな?」


 道中で聞き集めた話が正しければ、明日には件の鉱山が見えてくるという頃。


 野宿した海岸沿いの森の中で、湿った木々の弱々しい火に照らされながら、クルルが言った。


「そのはずです。海岸沿いの町では、少なからず蛮族たちと交易があるようですから」


 政治的に対立していても、中央権力の目が届かない場所では実利が勝る、というのはどの世界、どの時代でも変わらないようだ。


 頻度は多くないが、蛮族たちは毛皮や魚の干物、それに琥珀などを運んでくるらしい。

 琥珀というので、このあたりは古い時代から針葉樹林の生い茂る土地なのだろう。


「ロランの連中みたいじゃないことを祈るばかりだ」


 辟易した様子のクルルに、酒を舐めていたゲラリオが軽く笑う。


「まあ、荒事にはならんだろう。この面子を見て、帝国の尖兵とは思わんだろうし」


 ここにいるのは、獣人二人に、それぞれタイプの違う怪しさをもった、ゲラリオとファルオーネ。それからおよそ兵士には見えない自分と、獣人の血を引く少女。


 あまりにばらばらなこの面子は、統率の取れた侵略者というより、様々な事情を抱えた旅人が、道中知り合って身を寄せ合っているというほうがしっくりくる。

 なんだかそういうロードムービーがありそうなくらいだ。


「それに聞き集めた話じゃあ、最近は鉱山を巡る戦いも形骸化してるって聞いただろ。戦いが長引けば長引くほど、現場じゃあ敵と味方がなあなあの関係になる。何世代にもわたって続く戦いなら、もはや毎年のお祭りみたいなもんだろうよ」


 どうせ決着がつかないのなら、お互いに死傷者を出してもばかばかしい、ということだ。

 これから赴く先でバチバチの戦争が起きていないのは助かるが、そこにファルオーネが言った。


「しかしそれだと……良くもあり、悪くもありではあるまいか」

『そうですかい? 戦がないのは、良いことでは』


 バダダムが木の枝で炭を調整しながら、たずねる。


「奴隷貿易は、戦の資金稼ぎのため、という建前だったはずだろう。つまりそれが、戦とは無関係に、惰性で続けられているということを意味する。あの領主様にも、諸君らにも面白い話ではあるまい」

『それは、まあ』


 バダダムとカカムは顔を見合わせてから、けれどそんなの今更だ、という感じで肩をすくめていた。


「ま、なるようにしかならんさ」


 このあたりのあっさりさは、切ったはったの戦場帰りらしい図太さだろう。

 その日は、毎日交代の見張りを残し、早めに寝たのだった。

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