第118話

 クルルは実のところ、前々からゲラリオに戦のことを本格的に教えてくれと頼んでは、適当にあしらわれていたらしい。

 面倒見がよくて情に篤いゲラリオなので、クルルを子ども扱いしているわけではなくて、そもそもろくなものだと思っていない戦の世界に、大事な誰かを近づけるのが嫌だったのだ。


 けれどなにも教えられないままでは、クルルたちはいつか無力に打ちひしがれながら、死ぬかもしれない。

 そのことと比べたら、どうか。


 どうすべきかは最初から分かっていたのだろうゲラリオは、感傷を断ち切り、頭を切り替えたらしい。


 そして愛弟子を戦場で死なせないよう、実に厳しい鬼教官になったようだった。


「コール君のほうがついていけてるみたいよ」


 自分は今、町の外の開けた土地に立っている。

 ただでさえ金庫が空っぽの今、魔法陣の謎を追いかけるための予算まで必要になったため、どうにか金貨を手に入れなければならず、その計画の一環だった。


 隣にはイーリアがいて、見習い魔法使い改め、見習い冒険者たちの現状を教えてくれた。


「クルルは悪意を向けられることには慣れていても、叱られたことなんてないからね。それがすっごく応えてるみたい」


 クルルの気の強さは、本来敵に牙を剥くためのもので、その根っこはイーリアより乙女だと感じることがある。

 なので慕っているゲラリオから、訓練とはいえ本気で叱られ、へこむクルルの姿は容易に想像がついた。


 ただ、叱られ慣れてないのはあなたもそうでは、とイーリアを見やると、このずる賢いところのある領主様は柔らかく微笑む。


「私はクルルからしょっちゅう叱られてるもの」


 クルルから叱られるのと、ゲラリオから本気で叱られるのとでは雲泥の差だと思うが、それ以上は言わなかった。


「それより、今回のこれで、どのくらいお金が稼げるの?」


 イーリアが視線を向けたのは、眼前に広がる荒れ地だった。今までは特に利用もされず、たまに羊やらが放されたりする程度の土地で、そこに今は大勢の人が詰めかけていた。


 獣人たちも忙しく作業で立ちまわり、彼らがやっているのは土地の測量だ。

 そして詰めかけている人と獣人は、その測量された土地を買いつけようとする者たちだった。


「まさか島の土地が全部私のものだったなんてね」


 イーリアは肩をすくめ、そんなことを言った。

 いささか語弊があるものの、おおむね事実だ。


「もっと早くに土地の権利に関する書類を見つけてたら、前の土地も購入しないで済んだのに」


 ノドンを倒した直後、少し手に入ったお金で、魔石の実験や食糧増産の試験のためにいくらか土地を購入したのだが、その時の話だろう。


「コールさんたちのお手柄ですね。ただ、自分たちでお屋敷の倉庫から見つけられた自信がありますか?」

「ないわよ。もう二度とあんな作業したくないもの。埃だらけで汚い文字ばかりの書類を、一枚一枚確認していくなんて……」


 ノドンと戦い、徴税権を調べる際、クルルとイーリアは屋敷の地下にある書類を、埃まみれになりながらひっくり返した。その時のことがよほどトラウマになっているらしい。


 そんなわけで廃鉱山に関する記録を探す時、地下倉庫をひっくり返したのは主にコールたちだった。


 そしてコールが鉱山の記録を見つけた後も、コールのお供の獣人たちは引き続き丁寧に書類を確認し、お屋敷の地下に眠る古い書類の仕分けを続けていたらしい。


 そんな折り、土地に関する重要な記録が見つかったのだ。


 いわく、ジレーヌ領の土地はすべて領主の所有であって、民はそれを借りているに過ぎないと記載された宣言書だ。


 しかしジレーヌ領の元々の領主の家系は、ずいぶん昔に血筋が途絶えるかして、事実上無主の土地となっていた。代わりにノドンみたいな商人たちが、支配者として君臨していた。

 おかげでそんな宣言は土地の古老でさえも忘れていて、かつては領主から土地を借りていたはずの者たちは、すっかり土地は自分のものだと思っていた。


 だが、紙に残された文字というのは、口約束がデフォルトの文明では、相当な力を持つ。


 しかも今のイーリアには、はるか昔の領主の宣言を領民に思い出させるだけの、権威と戦力がある。ロランから法律の専門家たちもきていることから、こういった場合にどちらの言い分が優先されるか、というのを歴史的な事例から援護してくれた。


 そんなわけでいくらかすったもんだありつつ、ジレーヌ領の土地に関する所有制度は一新されることとなった。


 全部、イーリアのものになったのだ。


 ただ、町中の土地については、今までの貸借料は過去に訴求して請求しないし、この先もひとまず十年は請求しないということになった。

 それ以外の土地で、開墾されていない場所は、一律イーリアが所有するという感じだ。


 それでもたった一枚の紙きれが発見されたことにより、イーリアは突然、一夜にして大地主となったわけだから、権力というのはすごい。


 大型船舶購入に金貨が大量に必要なこともあったし、ファルオーネたちが魔法の謎を追いかけるための、研究資金も必要となる。

 そこで島が賑やかになるにつれ、住宅が不足していたこともあって、イーリアの名によって町の拡張を宣言し、新たな土地の貸借権を販売することとなったのだった。


 つまり今、自分たちの前の荒れ地に集まっている人々は、新しく作られる予定の道に沿った、今後新市街として発展するであろう土地を借りようとしている者たちだ。


「あんなに欲しかった金貨って、こんなに簡単に集まるのね。貴族連中の頭がおかしくなるのも納得だわ」


 土地の貸借権は、百年区切りで設定されている。少なくとも今生きている人と、その子供は心配しなくてもいいように。

 それから、貸借の料金については、十年ごとに改定すると定めた。


 これはロランの人々にも驚かれ、あまり前例のないことらしい。


 しかし前の世界では、時代が下るにつれてインフレが進み、固定地代はその価値が下がり続けたという事例がある。

 そのために土地持ちの貴族は没落し、やがて商人階級にとってかわられ……という歴史をたどった。


 その失敗を回避するために、対策を講じておいて損はなかろう。


 それから土地の貸借の権利は自由に売買でき、相続もできるようにしたから、ほぼ所有権と変わらない。土地の所有権をきちんと認めることで、投資や売買を活発にする狙いがあった。

 土地取引は指定された商会だけが担えるようにして、その都度領主の元には売買手数料が入る仕組みにしてある。


 それから最も大事なこととして、獣人たちにも土地や家屋の所有をはっきり認めるとこで、ジレーヌ領内での彼らの資産形成を助ける面もあった。


 土地の価格はおおよそそこに建てる建物と同じくらいの価格なので、屋敷がひとつ分の区画で、金貨千枚とか二千枚になる。

 今回解放されるのは、その平均的な屋敷で二十戸分、通りに面した商会用の大きな区画で四戸分、さらに工房などの細々した建物で三十戸分、という感じなので、概算すれば金貨二十万枚ほどになる。


 すべて売れるのかと不安はあったが、ロランを撃退したという事実は大きかった。

 ロランでさえ撃退したのなら、きっとこの先もここは安全だろうと、そういう安心感から、多くの人たちが詰めかけていた。


 それはつまるところ、数十万枚におよぶ金貨というものが、いきなり権力というものによって生み出され、転がり込んでくることを意味している。


 イーリアがなにか虚無に陥るのも、わからないでもない。


「バックス商会も借りたがるのは意外だったけどね。やっぱり監視の意味合いじゃないかしら」

「そうですか? フロストさんは本気で、ここが発展すると考えているのだと思いますよ」


 そうでなければ、新市街となるだろう区画の一等地である、南向きの辻に面する土地を大枚はたいて確保はすまい。


 それに自分は前の世界の土地投機を参考にして、土地を確保したら二年以内に必ず建物を建築し、居住か商業活動を行うこと、と定めている。要は借りるだけ借りて空き家のまま値上がりまで放置し、転売するようなことはできないようになっている。


 そうなるとバックス商会といえど結構な出費になるはずだし、ここに商会の支店を構えるのであれば、少なくない財産をジレーヌ領に置くことを意味する。


 それはつまり、ジレーヌ領に悪いことが起これば、バックス商会も損をすることになる。


 ロランの勢力が再びジレーヌに牙をむく可能性を、かなり低減できるだろう。


「それに、すごく不思議よ」

「不思議?」


 自分とイーリアは、解放予定の土地を見渡せる少し小高い場所にいる。

 イーリアはそこに置かれた椅子にちょこんと座り、民草を睥睨している……と言いたいが、どちらかというとその見た目はピクニックにきた女の子に近い。


 クルルも訓練でいないし、イーリアの周りを固める忠実な衛兵もいない。


 いるのは自分と、少し離れた場所で昼寝をしているマークスたちだけだ。


「今まで当たり前に存在した町も、大昔にこうやって作られていったのよね?」

「多分、そうですね」


 道の交差する場所で、商人たちがよく集まるからとか、修道院が建てられてそこを起点にしてとか、色々発展のきっかけはあろうが、拡張する時には似たような経緯をたどっているだろう。


「あそこに道を引こうと決断したのも、イーリアさんです」


 新しい道がそこに引かれると決まった経緯に、特に理由などない。

 荒れ地で、耕作に適さず、現在の町から一番近い土地だっただけ。

 新しい町はどうしますかと聞かれたイーリアが、適当に地図を指でなぞったからそうなったのだ。


 けれどイーリアが指示を出すことで、こうして人々が動き、新しいなにかができていく。

 余禄として、金貨も転がり込んでくる。


 曖昧模糊とした言葉だけの存在である、権力というものが、目に見える実体として現れる。


「私、領主様になっちゃったんだなあって」


 イーリアは、しみじみと呟いていた。

 それはちっとも嬉しそうに聞こえなかったが、嫌そうというのともまた、違っていた。


 実感がない。


 それに尽きるのだろう。


「やっぱり、新しい道にイーリアさんの名前をつけませんか?」


 区画割りの際、通りの名前をどうするかで揉めた。

 世間の常識として、新しい領主の治世において作られた道には、領主の名を冠すべきという話だったのだが、イーリアが絶対に嫌だと駄々をこねた。


 自分も説得はしたのだが、「そんなに言うならヨリノブ通りにしなさいよ」とイーリアから睨まれて、すごすごと引き下がった。

 どうして嫌なのか、よくわかったから。


 けれどまたその案を口にしたのは、やはりイーリアのためになると思ったからだ。


「嫌って言ったら?」


 背中を丸めて前かがみになり、膝の上で頬杖をつくイーリアは、こちらを見ずにそんなことを言う。


「言いませんよ。イーリアさんも本当は必要なことだと、わかっているはずです」


 イーリアの耳がぴんと立ち、それからゆっくりとまた垂れていった。


 領主の座に座っているイーリアは、領地をまとめるための神輿にならなければならない。

 普通の神経なら気恥ずかしかったり、おこがましいと思うようなことでも、堂々と受け入れなければならない。


 そうすることで、誰の命令を聞くべきなのかをみんなが理解し、領地は一体性を確立していく。


 そのことを、賢い少女はきちんと理解している。


「初めて私の前に立った時は、へなちょこだったのに」


 鉱山で目覚めて大いに戸惑い、健吾の助けはあったものの、混乱冷めやらないままにイーリアの前に引き出されて、相手の領主という肩書だけで気圧されていた。


「撃てない魔法を撃たされましたしね」

「間抜けだったわね。今でもたまに思い出して、笑ってるわよ」


 イーリアは実に楽しそうな笑顔を見せる。

 まったく、意地悪が似合う女の子だ。


「アララトム通りならいいでしょ?」


 イーリア・アララトム様は、アララトム家として初代の領主なので、それでも問題はないだろう。よっぽど自分の名前をつけたくないのだろうが、気持ちはわかる。


「あと、一番大きな側道には、クルル通りって名付けておいて」

「……」


 イーリアはこちらを見て、ばちーんと音がしそうなくらいにウインクしてくる。

 恥ずかしい思いをするのなら一蓮托生、ということだろう。


「獣人の人たちに人気の通りになるかもしれませんね」 

「クルルが知った時の、嫌そうな顔が今から楽しみだわ」


 これは自分の責任ではないと、どこかに記録しておかないとなと思う。

 事態を知ったクルルに、首を絞められ引っ掻かれるかもしれない。


 こうして土地の権利は人々によって買われ、購入希望者同士の競争による吊り上げもあり、結局金貨二十四万枚の収入となった。

 船舶建造の頭金としては、まずまずだろう。


 しかし一斉に建築が始まれば、物資の輸入で港が大混乱するし、物価騰貴も招く。

 その辺りの調整もしないとなると頭が痛いし、土地を借りられなかった者たちからは、次の区画を解放してくれとすでに陳情が押し寄せている。

 やるべきことは無限にある。


 けれど新しい町がつくられるというその様子は、なんだかとても気分のよいものだった。




 なおこの数日後、通りに自身の名前がつけられていると気が付いたクルルは、知らん顔のイーリアを顔を赤くして睨みつけた後、無言でこちらの背中を叩いてきたのだった。

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