第109話
海竜はどうやら一匹だけだったようだと思ったのは、再び岩礁地帯に赴いた様子を見てのこと。
前回はいなかった海鳥たちが海面にたむろしていたし、船の上から覗き込めば、ときおりきらきらと光るものが見えた。
小魚の群れが戻り、海鳥が狩りの間に羽を休めているのは、海の覇者がいなくなった影響だろう。
「さて、それじゃあ遠慮なくやるか」
舳先に立ったクルルが、合成魔石を手に勇ましく言った。
船は全部で三隻いて、先頭の船に自分とクルルとコール、二隻目には万が一竜がまだいた時のためにゲラリオが乗り、三隻目には建築資材と、ドドルたち鉱山で働く獣人が乗っている。
コールも合成魔石を手に取ったが、なんだか納得いかないような顔をしていた。
「この恐ろしい技術を、こんなことに利用していいものなのか?」
貴重なはずの魔石を、いくらでも量産、拡張できる合成魔石。
バランが魔法で海水を煮詰めているのを見て、自分もコールと似たようなことを思った。
けれど手元にあるものは、使わないともったいない。
「恐ろしい技術なのはそうなんですが、この技術も万能じゃないですし、使えるなら使いませんと」
「万能じゃないだって?」
コールが、冗談だろう、みたいな顔でこちらを見る。
「確かに今までみたいに、採掘された魔石の大きさに依存しなくていいのはすごいんですが」
船に積まれた合成魔石は、今までならなんの価値も持たなかった屑魔石を粉末にして、練り上げたものだ。ほとんど砂を黄金に変えているのと変わらない。
「実験の結果、単純に魔石と魔法陣を大きくするだけでは、威力に限りがあるみたいでしたし、伝説の大魔法陣はどれも起動しませんでした」
今もファルオーネやルアーノたちが、既存の魔法陣から法則性を見出そうと頑張っている。
しかし結果の芳しくなさから、もしかしたら大魔法は本当にインチキなのかもしれない、という空気が漂い始めている。
「それは……残念なような、安心するような、微妙な気持ちだな」
コールも魔法使いとして、ただ強大なだけでなく、人知を超えた魔法に憧れたことがあるのだろう。
「ですから、もっと気軽に使い倒してしまおうかなと」
「う、むう……」
この世界の常識をあまりにも超えているせいか、コールがそんな風に戸惑っていたところ。
「おい、お坊ちゃん。なにをぐずぐず言ってるんだ?」
クルルが会話に割り込み、ついでに手も割り込ませてくる。
自分たちの足元にある行李の中から、新しい合成魔石を取り出していた。
その向こうを見やれば、すでに海の一部が凍り付いている。
「見渡す限りの海を、海底まで氷漬けにするんだぞ。私にだけ働かせるんじゃない」
「……」
コールは諦めたようにため息をついて、新しい魔石を手に取っていた。それからクルルと共に舳先に向かい、魔法を放つ。使用されているのは氷魔法だ。
アイデアというのは、これだった。
海底に没してしまった鉱山を採掘するには、やぐらを組んで、獣人の腕力にものを言わせて鉄の杭を打ち込み岩盤を砕くか、海の中に向かって魔法を放ち、素潜りで欠片を拾いに行くくらいしか思いつかなかった。
けれどバランが魔法で塩を煮詰めるところを見て、真面目に考える必要はないのだと思った。
魔法をもっと贅沢に、無駄ともいえる使い方をしたっていいのだから。
たとえば水が邪魔で採掘できないのなら、周辺を海底まですべて氷漬けにし、あとは陸地と同じ要領で採掘していけばいいじゃないかと。
『馬鹿げている』
後ろにつけている船の上で、ドドルが腕組みしながら言った。
目の前ではどんどん海面が白く固まり、海鳥たちが迷惑そうに飛び立って、距離を空けてこちらの様子を窺っている。
距離的には結構あるが、ロランの船団からもこちらが見えているだろうかと、ふと思う。
海を凍らせ始める様子を見て、なにを思うのかは想像するしかない。
そうこうしてひととおり凍らせたところで、泳ぎの達者な獣人が代表して氷の上に飛び乗り、何度か飛び跳ねて強度を確認していた。
大丈夫そうだったので、自分たちも船をつけて上陸した。
「それじゃあ、皆さんは氷を煉瓦のように切り出して、周囲に壁状に積み上げてください。採掘現場に波が入らないようにしたいので」
手にのこぎりやらを持った獣人たちは、互いに顔を見合わせ、やや不思議そうな顔のまま作業を開始した。
「溶けないもんか?」
船団の見張りで寝不足のゲラリオが、あくび交じりに船から降りてくる。
「まずはその試験も兼ねて、ですね」
「ふわあ……。まあ、魔法の氷は結構強いからな。二、三日なら大丈夫そうか」
「本格的な採掘のことを考えると、毎日氷漬けにしにくるのも大変でしょうから、干拓みたいにしたいんですけど」
作業したい場所を囲むように氷を切り出し、そこに木枠をはめ込み、中に岩か砂利を詰め、セメントを流し込めばいけそうな気がする。
たしか古代ローマ時代にもセメントはあったので、ここでも再現できるはずだ。
材料は火山灰と生石灰だったような気もするが、ちょっと確信がない。
生石灰は卵の殻や骨を高温で焼けば手に入るので、あとは火山灰?
いや、粘土でもよかったのだったかと記憶を探るが、この辺はもう町の職人たちに試行錯誤してもらえばいいかもしれない。
「しかし、こんな手段であちこちの廃鉱山を復活させられるなら……すごいことになるな」
ゲラリオは顎髭をぞりぞり撫でながら、感慨深げに言った。
「枯渇した鉱山といっても、足の下にはまだ鉱脈があるかもしれん。でかい魔法を好き勝手に撃てるなら、やりようはいくらでもあるか」
今までそれができなかったのは、山に穴を開けるレベルの威力を持つ魔石が、あまりにも高価すぎたから。
自分たちは、ほぼフリーエネルギーを手に入れたようなものだ。
「やっぱりお前たちの見つけたこれ、すごすぎて俺の頭じゃあどう使っていいものかうまく想像ができん」
ドドルは馬鹿げていると言ったし、作業をする獣人たちも戸惑いがちだ。
コールでさえ、こんなことに利用していい技術なのだろうかと困惑していた。
けれど、合成魔石を武器としてだけ使うのは、あまりにもったいなさすぎる。
どうせならもっとたくさんの魔法使いを集め、魔法を使えない人たちも一緒になって、様々な試行錯誤ができればいいのだが、と思っていたところ。
氷の切り出しが岩礁までたどり着いたらしく、獣人たちがのこぎりからつるはしに持ち替えて、岩を砕いていた。
「お、岩までたどり着いたか。竜が出たんだからそこそこ肥沃な鉱山だとは思うが、どうかね」
ゲラリオはいそいそとそちらに歩いていく。
なんだかんだ働き者のゲラリオなので、いざ採掘ということになったら、毎日ここに氷魔法を撃ちにきてくれるかもしれない。
今の年金で働いてくれるかなとか考えていたら、クルルがやってきた。
「ヨリノブ、どこまでやればいいんだ?」
言われて見やると、もうかなりの面積が氷漬けになっていた。
今は北東のほう、多分、ロランがある方向に向かって、コールが魔法を放っているが、その背中はかなり小さい。
「え、もうあんなに?」
「ここからあっちにかけて岩礁が続いてるんだが、そんなに深くないからな。氷漬けにするのは難しくない。それとも」
と、クルルは手の中の魔石を振ってみせる。
「このままロランまで氷の道を作ってみるか? 方角的にはあっちだろう。あいつら、たまげるに違いない」
笑うと尖った犬歯が見えて、いかにも悪戯好きの猫娘だ。
恐ろしいのは、それが半ば冗談ではないことだろうが。
「島からここまで、氷の道を作ってみるのもいいだろう。いちいち船でくるより、そっちのほうが便利だろうし」
海を歩いて渡れたら楽しかろうが、大規模に海を凍り付かせると潮の流れが変わってしまうかもしれないし、なにか事故が起きた時、海上だと取り返しがつかない。
それでも多分、やろうと思えばできてしまう。
やはり、手元にある技術の威力が大きすぎて、活用法に対する距離感がうまく掴めていない感じがある。
「野放図に大きな魔石を作れるとなると、やれることが巨大すぎてちょっと怖いですね……」
「そうか? 私はなにができるのかって、わくわくするが」
そう言ったクルルは、まさに今自分たちが作り上げている氷の島を見回して、得意げだ。
「敵を倒すのも楽しいが、こういうのもいいな。こんなことができるなんて、私じゃあ思いつかない」
クルルは言って、手にしていた魔石を掲げ、わずかに魔法を放つ。
すっかり魔法の扱いに慣れたようで、足元の氷がめきめきと音を立てて厚さを増していく。
「これなら夏になっても快適に過ごせそうだし」
「それは確かにそうですね」
ジレーヌ領の夏はそこそこ暑くなるらしい。
足元の氷をつま先で蹴っていたクルルは、ふうと息を吐く。
結構な範囲が氷漬けなので、空気は冷たく、息が白くなる。
「お前がいれば、なんでもできる気がするな」
こちらを見たクルルはそう言って、楽しそうに笑ってくれたのだった。
◆◆◆◇◇◇
海中に没した廃鉱山は、かなり有望だったらしい。
島にある鉱山も肥沃には違いないが、限りある資源といえばそう。
先に廃鉱山を採掘しておいたほうが、島の資源の枯渇を先延ばしにできる。
合成魔石を売りに出せない以上、金貨を稼ぐには既存の魔石を輸出するしかないのだから。
ただ、大型船舶を作るため、しばらくは魔石を掘りまくって売る必要がある。
既存の鉱山と、この海上鉱山も合わせてフルに魔石を生産しなければなるまい。
健吾は島の鉱山のほうが忙しいので、海上鉱山のほうはなんだかんだ働き者のゲラリオと、その相棒のバランに指揮をお願いした。
それからセメントの件は、誰か作成法について知らないかと高札を立てておいた。ジレーヌ領は流れ者の多い場所なので、誰かが知っているだろう。
ついでに魔石の採掘量が増えるため、魔石加工職人もさらに増やさなければならない。
工房の親方たちに相談すると、すでにど素人の小僧たちに仕事を教える仕組みができているので、今更何人か増えても手間は変わらないという、心強い返答だった。
心置きなく、広場に高札を立てて募集を出しておいた。
町の人々もこの手の高札が出ることにすっかり慣れたようで、すぐ人だかりができていたが、島の人口はどうしたって限られている。
ほどなく頭打ちになるだろうから、移民を受け入れるべきだろうか……などと考える横で、ファルオーネたちが次から次に魔法陣のアイデアを出してくるので、その対応も忙しかった。
こうして廃鉱山から採掘された最初の魔石が、船いっぱいに港に陸揚げされる頃。
和平協定の正式な締結のため、ロランから船がやってきたのだった。
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