第108話
海竜の解体には、以前の二匹の竜とは違って、人間の漁師たちも参加していた。
多分、海竜は魚類に近いという感覚なのだろう。
巨大な体が手際よく解体されていき、前回同様に商人や職人たちが部位のあちこちを次々買いつけていく。
腐らない素材類はそれでいいのだが、文字どおり山ほど獲れる肉を保存するのが大変だ。
今回もまた塩が足りなくなるだろうが、そうするとロランからの輸入がまた増える。
もちろん竜の素材の輸出で黒字にはなるとしても、海に囲まれているのだから塩の生産くらいは島内でどうにかできないものか。
そう思っていたところ、船団の見張りから戻ってきたバランが、どこかから巨大な鍋を調達して、魔法で海水を煮詰めはじめているのを見かけた。
この世界で塩は高い。
岩塩が産出される場所は限られるし、塩田をやるにはジレーヌの土地は狭い。
あと、塩田もあの手この手で海水の塩分濃度を高めるだけで、最終的には火で煮詰める必要があるから、製塩とはつまるところ燃料費との戦いだ。
なので合成魔石を使って煮詰められるのなら、ほぼ無料で塩を調達できることになる。
それに、その光景はちょっとした衝撃だった。
魔石がほぼ無料なら、こんなふうに雑に魔法を燃料代わりにしたっていいのだから。
たちまち試したいことを山ほど思いついたが、あいにくと部屋に籠ってアイデアを練る、というわけにはいかなかった。
なぜなら、竜が港に曳航されてくると、たちまちお祭り騒ぎになったから。
ロランに侵略されるという恐怖の反動もあったのだろうし、討伐された竜はロランの象徴だ、という感じになっていた。
そこに水を差すわけにもいかず、イーリアが音頭をとって町を挙げての宴となった。
今回は竜の解体場所が港だったこともあって、その場で調理が始まって、町の人々にも広く振る舞われた。
海竜の肉はやや水っぽく、解体場所に集まっていた宿の主人たちの提案で、煮込み料理に供されることになった。自分もその場で少し食べてみると、ほろほろした肉は旨味が強く、スープにもいい出汁が出ていた。
ひととおり宴に付き合った後、自分たちは屋敷に戻り、クルルが改めて自分たち用に、海竜の煮込み料理を作ってくれた。
健吾やマークスたちが舌鼓をうつ中、煮込み料理を持ってフロストらのいる部屋に向かえば、彼らはぽかんとしていた。
「……もう鉱山を見つけて……竜まで倒した、だと?」
困惑する長兄の横で、器を手渡された次兄は、最後の晩餐として毒でも盛られているのではないか、と不安そうな顔をしていた。
「廃鉱山のことを教えてくれた、おふたりのおかげです」
だからもう、役立たず。
礼を言われた二人の耳には、そんな幻聴が聞こえたのだろう。
海竜を倒した手際の良さと、新たな魔石鉱山の発見をあわせれば、ジレーヌ領はますますロランにとって難敵となる。
固唾を飲んでいたフロストが木の匙を手に取ったのは、毒を盛られているならそれごと食べるしかないと、そういうことだったのかもしれない。
「む……うむ。むう?」
長兄の様子におののきつつ、食べないでいるとどんな目に遭わされるかわからないと思ったのか、次兄も目を閉じて肉を口に運んでいた。
「ふむ……なる、ほど。竜の肉というのは、こんな感じなのだな」
とりあえず死ななかったフロストは、ややほっとするようにそう言った。
「海の竜なので、陸地のものとはまた違いますけれどね。って、あまり竜は食べないんですか?」
「食べる機会など滅多にないよ。父たちならばともかく」
フロストは肩をすくめていた。
「だから最後の晩餐と言われても信じる」
次兄はその言葉に喉が閉まったようで、咳き込んでいた。
「毒など入れていません。死なれては困りますから」
こちらの言葉に、フロストも次兄も、あまりほっとはしない。
こちらを窺うような目に、自分はイーリアの言葉を思い出す。
――ヨリノブまでそうならないでよ。
恨まれやすい権力者というのは、あまり面白い立場ではないのかもしれない。
「竜の肉の代価、というわけではないんですけど、実はまたお願いしたいことがありまして」
フロストと次兄は互いに顔を見合わせてから、長男が答える。
「船よりももっと言いにくいことなのか?」
「場合によっては、そうですね」
竜の処理に沸く港であれこれ采配していたら、ヨシュがやってきて、頼んでいた作業の報告をしてくれた。ヨシュも目が回るような忙しさなので、手渡された竜のスープを雑に食べながらの報告だった。
そしていくつかの報告の中に、薄々感じていたことがあって、改めてフロストたちに頼みにきたのだ。
「なんでも言ってくれ。覚悟はできているとも」
「実はですね――」
と用件を話すと、フロストたちは驚きつつ、理解を示してくれた。
和平協定が正式に結ばれた後、迅速に取り掛かろうと約束してくれた。
それから部屋を出て、階下に降りると、調理で暑くなったのか、頭に巻いた三角巾を外してぱたぱたと仰いでいたクルルが廊下にいた。
「あいつら、これが最後の飯になるかもと、びびってたんじゃないのか?」
「鋭いですね」
クルルは笑っていた。
そのクルルはいったん調理場に戻ると、二人分の器を持ってきてくれた。
「けど、ヨリノブ。どうするんだ?」
器のひとつを受け取りながら、クルルの問いに首を傾げる。
「竜がいるんだから魔石があるってことはわかったが、どうやって海の下の鉱山を掘るつもりだ? バダダムに聞いたが、潮が引いても岩礁はほとんど顔を出さないとさ」
海竜の煮込みは、牛のテールスープに近いかな、なんて思いながら食べていたが、猫舌のクルルが不服そうな顔で冷めるのを待っているのに気がついた。
じっと見ていたくなるが、目が合うと蹴られると思ったので、素知らぬ顔で採掘の問題を考えているふりをする。
「試掘と同じ要領で、魔法で吹き飛ばしてから、素潜りの得意な奴らに拾いにいかせるか?」
自分は岩礁の上にやぐらを組んで、長い鉄の棒やらで岩を砕いて掘るような方法を検討していたが、バランが魔法で塩を煮詰めているのを思い出し、考えを改めた。
もっと合成魔石を大胆に使うべき。
それはもちろんクルルが言ったような方法もありだが、単純に考えれば、合成魔石を使うことでとてつもない力業が可能になる。
「いえ、露天掘りの要領でいきましょう」
「露天……掘り? 海の真ん中で?」
怪訝そうな顔のクルルに計画の概要を話すと、猫娘は華奢な肩をすくめてから、呆れたように冷めた海竜の肉に噛みついたのだった。
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