第107話
金貨百万枚の確保に向け、大事な情報を握っているかもしれないフロストたちは、きちんと生きていた。
コールは自制したらしく、彼らは鼻血のひとつも出していなかった。
イーリアにぽんぽんと肩を叩かれると、コールはそれだけで報われたような顔をしていた。
それから捕虜二人に廃鉱山のことを尋ねれば、すぐに答えが返ってきた。
それも灯台下暮らしというか、言われてみればそうかという答えだ。
「その廃鉱山の記録が、ここのどこかにあるってこと?」
フロストたちに話を聞いた後、イーリアを先頭に赴いたのは、領主の屋敷の地下倉庫。
そこには歴代領主が残した様々な記録が、野放図に積み上げられている。
ノドンとの騒ぎで税金を巡る話の際、過去の記録をひととおりひっくり返したが、関係ないとみなしたものは棚に押し込んでそのままだった。
たとえば大量に積み上げられていた、大昔の魔石納品の記録など。
フロストたちに聞いたところ、かつてジレーヌという名で統治されていたのは、この島を中心にした海域一帯であり、そこには小さな魔石鉱山が複数あったらしい。それらは歴史の中で掘りつくされ、波の侵食を受け、ついに海中に沈んだという。
フロストが言うには、かなり昔、それこそ隠居した老人がその祖父から聞かされるような時代のことだそうだ。
フロストたちがこのことを知っていたのは、ジレーヌの魔石鉱山から竜が出たという話を受け、向こうでも記録を調べていたかららしい。それだけ肥沃な鉱山であれば、ジレーヌ周辺の岩礁からも魔石が採掘できるのではないか、というわけだ。
さすががめつい商会の集う都市、と感心するが、ロランの古い記録の中に今の魔石鉱山とは違う場所からの納品書があったようだ。
「また埃まみれになるかと思うと、うんざりするわね」
イーリアは、ノドンと戦った時のことを思い出したのだろう。
首をすくめていると、コールが言った。
「資料の捜索は、僕たちがやります。こいつらも文字は読めますし」
コールが兄弟同然だという獣人二人を示す。
大変な仕事を率先して請け負おうというのは、コールなりの罪滅ぼし。
しかし、そこにクルルが口を挟む。
「ここはイーリア様のお屋敷だ。お前みたいなよそ者にだけ任せられるか」
腕まくりをしたクルルは、髪が埃まみれにならないよう、布を頭に巻き付けている。
よそ者、という言葉に顔をうつむかせていたコールだが、クルルは「よそ者にだけ」と言ったし、コールに出ていけとも言わなかった。
「ほら、なにぼさっとしてるんだ」
「え、あ?」
戸惑うコールをよそに、クルルは獣人二人に指示を出す。
「お前はここからここ、お前はこっちだ」
二人の獣人は互いに顔を見合わせてから、うなずく。
「それでお坊ちゃんはこの辺だな。一番埃だらけなところだ。嬉しいだろう?」
「……」
新入りをいびる先輩そのままだが、コールに従う獣人二人は、戸惑うコールに助け舟を出さなかった。
むしろちょっと笑っていて、大丈夫そうだな、と判断したようだ。
「ヨリノブ、お前は埃を落とすための湯を沸かしておけよ」
「ご随意に」
その言葉に、隣に立っていたイーリアが耳をぴんと立て、そのふさふさの尻尾でこちらの足を叩いてきた。
こうして作業が進み、翌日のこと。
お宝はコールが掘りあてたのだった。
◇◇◇◆◆◆
領主の屋敷から発掘された古い記録をもとに、町の漁師や古老たちから話を聞き集め、海に沈んだ廃鉱山のおおよその位置を把握する。
あとは実際に目で探すしかないということで、自分たちは漁船を借りて海に出た。
ある程度外洋に出るため、借りたのは比較的大きめの漁船だったが、大型の獲物を追いかけるものらしく、巨大な銛などが置かれていた。
「ずいぶん物々しい船だな」
「その格好で言うんですか?」
クルルはドラステルの扮装で、魔石も持ってきている。
「廃鉱山の昔話を信じるなら、この格好が相応しいだろ」
魔法使いドラステルは、この世界で有名な物語の主人公。
そして領主の屋敷の地下に残されていた文書には、確かに不穏な昔話が残されていた。
『盗掘を牽制するための脅しだと思いますがねえ。子供にも、森の奥にはお化けがいるぞと脅すでしょう?』
船尾で櫂を漕ぐのは、ロランの船団と交渉する時に船を漕いでくれた獣人のバダダムだ。
船の扱いに長けているので、今回の調査でも船頭を頼んでいた。
「だが、その周辺じゃ魚が獲れないし、船の事故が多いと聞いた。いわくつきで誰も赴かない海域だと」
『魚にも好みの場所ってのがありますし、事故が多いのは、海面下に岩礁が潜んでるからですよ。魚もいないのに、そんなところにわざわざ漁師は行きませんや』
バダダムの至極真っ当な言葉に、クルルは不満そうだった。
「いざという時には、頼りにしていますよ」
自分の言葉にあからさまな気遣いの匂いをかぎ取ったのか、クルルは鼻を鳴らしていた。
クルルが完全武装なのには、もちろん理由があった。
倉庫に残されていた古い文書には、いかにも古めかしい筆致で、船を襲う化け物じみた魚が描かれていたのだ。
魔石鉱山から出てきた竜の件もあるし、自分たちの乗る船の後ろには、万が一のことを考えてもう一隻船が着いてきている。
そこには夜通し沖合の船団を見張って寝不足のゲラリオが乗り込み、いびきをかいている。
船を漕ぐのは、不服そうなドドルだ。
「まあ、なにごともなければそれが一番ですけど」
クルルはこちらを見て、つまらない奴だとばかりに肩をすくめていた。
かつて存在した廃鉱山は、古い記録によるとジレーヌの港からも見えたらしいが、採掘と波の侵食によって、今では完全に海面下に没してしまっているらしい。
船から海を覗いても深い青色で、とても海底は見えない。
こんなところに本当に鉱山があるのだろうかと思う。
やがて漁船と見ればよってくる海鳥もいなくなる頃、ぎい、ぎい、と櫂を漕ぐ音が止まった。
そうしていると海上はとても静かで、船体に当たる波のちゃぷちゃぷという音だけがやけに響く。
「ついたのか?」
クルルの問いに、後ろについてきているドドルと、なにか身振りでやりとりしていたバダダムは再び櫂を漕ぎ始める。
『滅多にこないところですからねえ。いきなり出てきた岩礁にどすん、というのは避けたいんでさ。この船は借りものですしね。傷なんかつけたらしばらくタダ働きですよ』
もちろんそんな時はこちらで費用を持つつもりだが、転覆でもしたら泳いで帰るのはまず無理な距離だ。
バダダムが慎重に櫂を漕いでいくと、やがて自分の目にも海の色が変わっているのが分かった。濃い青から明るい色になるのは、海底が崖のように急激にせりあがっているからだ。
遠くからはわからなかったが、微妙に白波が立っているところも見えてきて、岩礁が海面すれすれにまできているのだとわかる。
「あそこまで近づけるか?」
クルルが前方の白波が立っているところを指さした。ちょっと荒っぽいが、クルルが魔法を放って岩を砕いて、サンプルを手に入れようという計画だった。
バダダムは慣れない岩礁地帯に入るのが嫌そうだったが、仕方なく櫂を漕ぎ始める。
岩礁は海底で渓谷のようになっていて、岩礁地帯の真ん中を、水道のような落ち込みが走っている。
船がそこへと進み出た、直後のこと。
クルルの尻尾がいきなり逆立った。
「えっ」
驚いていると背後の船からなにか声が聞こえ、振り向けばバダダムもまた、全身の毛を逆立てていた。
その向こうで、異変に目を覚ましたのか、なにかを叫ぶゲラリオの顔。
そして視界が、唐突に傾いていく。
およそ現実味のない光景に、うたたねをして覚醒夢でも見ているのかと思った。
違う。
船の下の海面が盛り上がっているのだと気がつく頃には、右手に魔石を握りしめたクルルが叫んでいた。
「くるぞ!」
直後、船が大きく傾いで放り出されそうになる。
そこをバダダムが襟首を掴んでくれ、事なきを得る。
そうして振り向いた自分の目と鼻の先。
海面から天を突くそれと、目が合った。
『ギョアアアアア!』
牙だらけの口を開けて咆哮したのは、なんと――。
「食らえ!」
「あっ⁉」
閃光と共に熱線がほとばしった直後、細長い首を焼き切られた海竜が、咆哮の口を閉じる間もなく、放物線を描きだす。
ほどなく巨大な質量が乱暴に水に没し、派手に水しぶきを上げる。
ロランの船団に魔法を放った時ほどではないが、船が揺れ、水しぶきでびしょ濡れになる。
けれど右手を掲げたままのクルルの猫の耳は、得意げにひくひく揺れて、かかった水しぶきをぴっぴっと弾いていた。
「ふふん。今更あんなのに負けるものか――って、どうした?」
海中から現れた竜を一瞬で屠ったクルルは、こちらを振り向くときょとんとしていた。
「……い、いえ……」
海面が落ちつくと、いったん沈んでいた竜の身体が、腹を見せて浮かんできた。
魔石鉱山で退治した竜とは違い、鱗のないイルカのような肌で、全体的に灰色だ。
翼や鍵爪はなく、代わりに大きなうちわみたいなひれがある。
船の上から呆然とその死骸を見る自分は、思わず日本語で呟いていた。
「……恐竜、だったのに……」
「なに?」
それはファンタジー的な竜ではなく、どう見ても恐竜、首長竜だった。
魔石鉱山のあれとは違う、子供の頃に夢中で読んだ図鑑に載っていたものそのままだった。
その憧れの首長竜が、一瞬で哀れな死体になってしまっていた。
そのことに、自分でも驚くくらい、ショックを受けていたのだった。
「おい、どうした? 怪我でもしたのか? 顔が真っ青だぞ」
クルルがやや慌てて、こちらの肩を掴んで揺すってくる。
がくがくと首を揺らした自分は、目頭を押さえた。
「すみません、自分でもなにがなんだか……」
もちろんあれは地球の恐竜ではないし、クルルの対応は素晴らしかった。逃げるなんて無理だから、倒すほかなかった。
しかも竜は魔石の影響で生まれたに違いないから、肥沃かどうかはまだ不明なものの、海面の下に鉱脈があるのは間違いない。なにより竜は高値で売れる。ロランから船を買うために大金が必要な今、結構な足しになる。
クルルとしては、拍手喝さいされると思ったのだろう。
けれど船に乗る間抜けは、どういうわけか泣きそうな顔をしているのだ。
自分は溢れる悲しみをどうにかこらえ、無残な様子で波に揺られている海竜の死体を見やる。
「恐竜を……いや、竜を持って帰らないとですよね。応援の船を呼びに、一端港に戻りましょう」
「あ、ああ」
戸惑うクルルは、バダダムに目配せしていた。
バダダムは恐る恐るといった様子で竜の死骸を見やり、他にもまだいないだろうかという感じで海底に目を凝らしていたが、やがて櫂を手に取った。
竜を倒し得意満面だったはずのクルルは、どこかしゅんとした様子で、こちらのことをちらちらうかがっていた。
そして町の漁師総出で竜の死体を港に曳航し終わった後。
健吾だけはこちらの気持ちに共感してくれたのだった。
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