第101話

 さすがにいきなり船団から魔法が撃たれることはなく、ひとまずは平穏な感じだ。

 ほどなく、小舟が戻ってくる。


 バダダムが船から港にあがると、腰をかがめてイーリアに書状を差し出した。


 厭味ったらしく封蝋が施され、富を誇示するかのようにお香が炊き込められたその書状を、イーリアがぞんざいに開く。

 隣から覗き込むと、そこにはいかにも外交文書らしい、上っ面だけの言葉が並んでいた。


 ひととおり目を通したイーリアが、鼻の頭にしわを寄せて苦笑している。


「コール君と、領主、又は領主から全権を委任された代表者と話をし、先日の騒ぎに関する互いの誤解を解きたいだって」


 誤解を、解きたい。

 視線を上げたイーリアは、クルルに意地悪している時の女の子の顔だ。


「どうしようかしら?」

「僕はもちろんいきます」


 コールが一歩前に出て、うなずいたイーリアはこちらを見る。


「私、こういう領主のお仕事って嫌いなの」


 ふわふわの髪の毛に、さらにふわふわの毛並みの獣耳と尻尾を有するイーリアは、にこりと笑うと天真爛漫な女の子にしか見えない。


 笑顔でわがままを言うのは、貴族様と女の子の特権だ。


「わかってます。自分がいきますよ」


 もちろん作戦の一環で、責任者が出てこいとなったら最初から自分が行くことになっている。


「ヨリノブが現場にいたほうが、クルルもやる気になるだろうしね?」


 ただ、イーリアは単にこれが言いたかったのだろう。

 嫌そうな顔をするとイーリアはますます楽しそうにしているので、クルルがどれだけからかわれているかも想像がつくというものだ。


『確実に罠ですが、いいんですかい?』


 たまらず口を挟んだのは、最初の使者を引き受けてくれたバダダムだ。

 ロランがどういう都市で、そういうところを支配する価値観がどういうものなのか、獣人である彼は骨身にしみているのだろう。


 クルルが言ったように、ロランの連中は人を人と思わない。


 いわんや主人の手を噛んだ飼い犬をや、だ。


『問題ないだろう。ソレは魔法使いだしな』


 ドドルが顎をしゃくってコールを示すと、バダダムは少し目を見開いてから、それでも怪訝そうにしている。


 コールはロランの人間であり、向こうがコールを呼ぶということは、魔法使いと海上で相まみえることを承知しているはず。

 どちらも必殺の間合いに立ち、まともに交渉なんか成立するのだろうか。


 バダダムはそう言いたいのだろう。


『心配など不要だ。ワレはこいつらの敵にたまたまならなかっただけだが、今はその幸運に感謝しているからな』


 ドドルがものすごく嫌そうに言うので、バダダムは明らかに面食らっていた。

 ただ、苦笑いしたのは自分も同じだ。


「ドドルさんがいなければ、自分たちはノドンさえ倒せませんでしたよ」

「そうよ。なんでそんなに他人行儀なの? ノドンを倒してから後も、いっぱい私たちに協力してくれたじゃない。私たち、最初から仲間でしょう?」


 イーリアの言葉もだいぶわざとらしかったが、気持ちとしては自分も同じ。

 もっとも、ドドルが胸中に抱えているであろうもやもやについて、実は共感できるところがある。


「あと、今更ですけど、自分もやっぱり今回の作戦は怖いですよ」

『……』


 ドドルはこちらを見て、顔をしかめると、大袈裟にため息をつく。


『ワレは、オマエらにはついていけぬと言っている』


 ドドルはぷいと視線を逸らし、仲間を見る。


『見ていればわかる。コイツらがどれだけ馬鹿げているか』

『……』


 バダダムはこちらとドドルの間で視線を往復させ、肩をすくめていたのだった。



◆◆◆◇◇◇



 小舟に乗ったのは、自分とコール、それに普段は漁師をしているというバダダムだ。

 バダダムが櫂を漕ぎ、船が沖合に向かう。


 小さな船なので、凪いでいるように見えた海でもまあまあ揺れる。海原には独特の不安感があり、足場のない頼りなさと、距離感の狂うだだっ広い海は、これからの交渉の困難さを示しているようでさえある。


 振り向くと、港はすでに遠く、イーリアたちの表情ももうわからない。

 視線を少し上げれば教会の尖塔が見えるが、当然、そこにいるはずの腕木通信の担い手は見えない。


 クルルもどこかからこちらを見ているはずだが、クルルは獣人ほど目がよくないそうだから、緊張している自分の顔は見られていないだろう。


 多分。


「交渉の前に、ひとつ、聞きたい」


 島から視線を前方に戻すと、コールが言った。


「僕は……僕は、本当に島にいてもいいのか?」


 コールはうつむいたままだった。

 胸を逸らし、常に大上段から話していたコールの姿はない。ノドン商会の契約書の書式が綺麗になったからと言って、銀貨を自分の手に握らせてくれたコールと同一人物とはとても思えない。

 けれど今は、こちらこそコールの本質なのだとわかる。


 ロランみたいな荒んだところでは、悪辣な振りをしなければ生きられないのだ。


「もちろんです。コールさんの能力は、今まさにジレーヌが必要としているものですから」


 それは決して取り繕いではなく、本当のことだった。

 魔法使いというだけでもすごいのに、大商会の内部を知り、属州の商いの全体図を把握している。

 しかもロランの中枢を占めるバックス商会主人の息子の一人として、周辺地域の貴族たちにも顔が利く。


 ゲラリオには埋めがたい、膨大なソフトパワーをジレーヌ領にもたらしてくれるはずだ。


「ただ、待遇は、ご相談だと思いますが……」


 まともな金で雇おうと思ったら、いくらかかるのだろうか。

 ジレーヌ領としての公的な地位も必要だろう。

 しかし領地としての組織化はまだ全然で、知り合いたちとの阿吽の呼吸でどうにかなっているような感じだ。


 そこにコールはぶっきらぼうに言った。


「待遇など、なんでもいい」


 それから息を吸うと、こちらを上目遣いに見た。


「彼女の近くに、いさせてくれさえすれば」

「……」


 顔をしかめているのは、表情の保ち方をそれ以外に思いつかなかったのだろう。

 頬を赤くしたコールは、相当な勇気を振り絞ったのだとわかる。


 なぜなら、自分もこの手の話には弱いから。


 勝手にコールに親近感を覚えつつ、言った。


「もちろんです。あと、クルルさんについては、いい加減にしろと叱っておきますね」


 ここならあの猫の耳も言葉を拾えまいから、ちょっと強気に言っても許されるはず。

 コールはこちらを見たまま口をつぐみ、うつむく。


 それから、気丈に前を向いた。


「……ありがとう」


 どういたしまして、と答えるべきなのかわからず、自分はうなずくにとどめておいた。

 櫂を漕ぐバダダムは、圧倒的な船団を前にしても勝つこと前提の話をしている自分たちに、呆れているようだった。


 そうこうしていると、ほどなく船団と港の中間地点に到着する。


 一足先に待ち受けていた船に乗るのは、首と腕に鉄の枷をつけた漕ぎ手の獣人と、なんとイーリア奪還の時に戦った魔法使いだ。雪辱を晴らすつもりなのか、まばたきもせずこちらを睨みつけている。

 そしてもう一人。


 ノドン時代のコールをほうふつとさせる雰囲気を身に纏った、どことなくコールに似た貴族だった。

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