第76話
オストロと宿の下女たちの力を借り、自分たちはバックス商会との静かなる戦いに向けた武装の試着をした。
この世界で豪華な服というのは、単純に布の多さ、それから金糸や銀糸による刺繍というわかりやすさで、デザインで勝負というのはよほど文化度の高い大都市だけのようだ。
そしてジレーヌ領の仕立て職人たちの腕もまあまあ悪くないらしかったのは、オストロたちの反応からわかった。
「動きにくい……」
「ふふ、クルルもやっぱりきちんとすれば可愛いじゃない」
「私のことより、ヨリノブをどうにかしてください。なんであんなにぱっとしないんですか」
おてんば姫が初めて夜会のためのドレスを着た、みたいなクルルがこちらを指さしてくる。
「不思議よね。背もそれなりに高いのに。背中が丸まりがちだからかしら」
「根っからの庶民だからですよ」
やや不貞腐れたように言うと、きらびやかな少女二人はくすくすと笑っていた。
「嘘よ、それなりに似合ってるわ」
「それなり、ですけどね」
布の多いスカートなので、二人は尻尾を隠しているが、楽しそうに振られているのがなんとなくわかる。
ただ、獣の耳は隠そうとするとかえって変なことになりそうなので、そのままだ。
獣人の奴隷貿易が盛んなこのロランで、おそらくはその取引にも手を染めているだろうバックス商会の酒席にこの二人が参加するのは、いささか不安が残る。
けれどきっと、二人なら大丈夫のはずだ。
「それにしても、クルルは装飾品がずいぶんごついわね」
「やっぱりそうですか……? 発注の時はそう思わなかったんですけど」
試着は大事、ということだろう。クルルは耳飾り、首飾り、それに腕輪をつけているが、イーリアの言うようにいささか武骨だ。
そこににこやかに様子を眺めていたオストロが言う。
「最近は押し出しの強い装飾品も好まれておりますよ。細工職人が気を利かせて大きくしたのでしょう」
クルルはイーリアの指摘にやや不安そうではあったが、オストロに言われてうなずいていた。
「それじゃあ……脱いでいいか?」
ハーネスを初めてつけられた猫みたいに体をよじっているクルルの背中を、イーリアが軽く叩く。
「これを着たまま歩き方の練習よ」
クルルが愕然とした顔をイーリアに向けると、屋敷ではいつも自堕落を叱られているイーリアがにこりと笑う。
「私の真似をすればいいわ。これでも貴族なんだから、昔、それなりに作法は仕込まれてるもの。オストロさん、お願いします」
「かしこまりました」
「……」
クルルが背中を丸めがちにこちらを見て、げんなりしていたのだった。
◇◇◇◆◆◆
幼い頃にひととおり宮廷作法を習ったというイーリアは、最初こそぎこちなかったがすぐに慣れ、クルルはいささかの苦労をしてから修得し、自分は平民ということでおまけの及第点をもらう頃、バックス商会からの使者がきた。
イーリアが椅子だと思って腰を下ろした足置きの、さらに小さい版みたいなクッションに乗せた手紙を、使者が恭しく差し出してくる。
封蝋がされたそれには香が焚き込められ、イーリアもクルルも興味深そうにすんすん鼻を鳴らしていた。
写真を撮るならば、タイトルは、都会の香りに夢中な女の子、だろう。
「晩餐は明日の夜だって。助かったわね」
「船に揺られまくったその日に呼んで、吐かれたらかなわんだろうからな」
クルルは嫌そうな顔をしていたが、イーリアはくすくす笑っていた。
「じゃあ、いい加減これを脱いでもいいか?」
今度はイーリアも反対しなかった。
着替えて身軽になったクルルは、実に清々しそうだった。
「あー、すっきりした」
体を伸ばしていると、すらりとした輪郭が実に健康的。
しかもお屋敷で着ているお仕着せではなく、ドラステルに化けている時のような男装だったので、性別がちょっと曖昧になる。
「イーリア様は、町には?」
「今日はさすがに行けないわよ……。なんでそんなに元気なの?」
呆れ気味の様子のイーリアに、ゲラリオも笑っていた。
「俺も一服させてもらうかな。イーリアちゃん、たばこは?」
クルルはいかにも路地裏に座り込んで死んだような目でたばこを吸っていそうだが、イーリアは豪華なお屋敷で金の煙管を死んだ目で咥えているのが似合いそうだ。
まさにこんな部屋で。
「イーリア様、駄目ですよ」
クルルに釘を刺され、イーリアは肩をそびやかしている。
この世界でも嗜好品にはあまりよくないイメージがあるようだ。
「わかってるわよ」
ゲラリオも吸わせるつもりはなかろうが、二人のやりとりに笑っていた。
「よし、ヨリノブ。観光ついでに、仕事をしに行くぞ」
髪を括ったクルルは、最後にドラステルの時の変装と同じ武骨な外套を羽織ると、フードを目深にかぶる。耳も尻尾も隠れるし、旅暮らしの少年に見える。
「晩御飯はここでまた食事作法の訓練だからね。買い食いしちゃだめよ」
たばこの仕返しとばかりに釘を刺してくるイーリアに、クルルは唇を尖らせた後、子供みたいに返事をしていたのだった。
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