第77話

 ロランは属州だというが、それはあくまで帝国に組み入れられた順番の話であって、元々この地域で発展していた古くて大きな都市のようだ。

 石造りの建物が多く、そのどれもが古めかしく、どことなく中東の古い都市を思わせた。


 野良猫が石段でのんびりしていたり、増築を繰り返した建物が狭い路地に覆いかぶさるようにして建っている。


 行き来するのは人が八割、獣人が二割といった感じで、獣人たちはほぼ皆、手かせをつけている。

 ただ港ほど凄惨な感じではなく、手かせは奴隷身分を示すためのもの、という感じだ。


 道に座り込んで鶏の毛をむしる獣人に人間の子供がまとわりつき、路地に洗濯物を干す獣人の背中に赤子が背負われていたりと、かえってジレーヌ領では見かけない光景もちょくちょくあった。


 前の世界も一昔前はそうだったのだろうが、ここは色々なことがおおざっぱで極端だ。

 平和な風景と陰惨な光景が、モザイク模様で同居している。


 鉄と潮亭を出た後はしばし緊張して、それこそ猫の忍び足みたいに歩いていたクルルも、いくらか警戒を緩めていた。


「変な町だ」


 食堂の裏手の路地では、獣人が野菜の束を何本も担ぐ横で、人間の少年が大蒜の皮むきをしたり野菜を洗っていたりする。

 これだけ見れば、むしろジレーヌ領より獣人が町の生活に溶け込んでいる。


「クルルさんたちは、ジレーヌ領以外の町はあまり見てこなかったんですか?」


 たずねると、クルルは視線をこちらに向けて、肩をすくめる。


「今のジレーヌ領だって、気軽に町に出られるようになったのは最近だ」

「……」


 彼女たちにとって、過去はあまり楽しい話ではない。

 言葉に詰まると、クルルは困ったように笑う。


「お前とケンゴのおかげだ。感謝している」


 逆に励ますように腕を叩かれてしまう。


「まあそれに、実際、町にはあまりいなかった。記憶にあるのは、森の中とか、草原にぽつんと建つお屋敷のことばかりだな」


 クルルはやや遠い目で、暗い記憶の中に見た光景を思い出そうとしている。


「馬車に乗せられて移動する時も、記憶はおぼろげだ。狭い客車の中で、イーリア様と手を繋いでいたことしか覚えていない。あと……」

「?」


 言葉を濁したクルルを見ると、クルルは恥ずかしそうに、呆れるように一人笑いしていた。


「長い棒が怖かった。床をごんごんと突く、長い棒だ」

「それは……」


 二人の厄介者を打つ棒では。

 息を飲んでいると、クルルはついに肩を揺らして笑う。


「なんのことはない、年老いた老僕がついていた杖だ。イーリア様と思い出話をしていたら、むしろ親切なやつだったらしい。私も懐いていたらしいが……全然覚えていない」


 幽霊の、正体見たり枯れ尾花……ではないが、確かにそういうことがあるかもしれない。


「自分は、祖父がよくつけていた黒い革手袋がすごく怖かったですね」

「へえ?」

「今思い返しても、さっぱり理由がわからないんですけど」


 クルルは少し顎を上げ、楽しそうに口元を緩める。


「好き嫌いなんて、そんなものかもしれない」


 そしてわずかに細めた目が、こちらを見ていた。

 ややどきりとすると、クルルはこちらに顔を近づけてきた。


「イーリア様は、案外ゲラリオの奴を好きなんじゃないかと思うんだが、どうだ」

「ん……え?」

「ケンゴの奴とは似た者同士で仲が良いが、ゲラリオはまた違うからな。イーリア様は、ああいう悪そうだけど意外に良い奴、に弱いと思うんだが」


 そういうことにまったく興味がなさそうだったのに、楽しそうに話す様はまるっきり年頃の女の子。

 恋バナかあ……となんだかその眩しさに灰になりそうな気持ちになる。


「だがゲラリオは戦場の男だ。過酷な戦いの中で数多の別れを繰り返し、もはや誰も愛せなくなっているんだ。そこにまたイーリア様は惹かれるんだなあ」


 けれど、クルルの楽しそうな言動に、ようやく理解が追い付いた。


「……お屋敷の写本を読んだんですか?」


 徴税や領地の契約関係を確認するために、領主の屋敷の倉庫をひっくり返した。

 その過程で何冊もの物語の写本が出てきて、いわゆるロマンス的なものも結構多かった。

 イーリアはまったく興味を示していなかったが、クルルのほうがはまっているようだ。


「な、なんだよ、別にいいだろ」


 こちらの反応で我に返ったのか、唇を尖らせたクルルは顔を背ける。

 そんなクルルに、自分はどうしてもこう言うのを止められなかった。


「実は、自分もこの世界にくる前に、そういう話を書いてました」


 正確にはゲームのシナリオだが、登場人物たちの恋あり涙ありの大スペクタクル。

 もちろんプロとは比べられずとも、このくらいの文明時代のエンタメ相手なら、類型化されたパターンを使うだけで勝てる気がする。


 そう思い、少し強気に言ったのだが……クルルの反応を見て、ちょっと後悔した。


「お、お前、吟遊詩人だったのか⁉」


 目を輝かせる、というのは比喩ではない。

 クルルは目をキラキラさせて食い気味に近寄ってくる。

 危うく転びそうになって、その華奢な体を受け止めた。


「どんな話を書いていたんだ? まだ書けるか? 頼んだら書いてくれるか?」


 餌を準備している飼い主の足を、にゃあにゃあ言いながらよじ登る子猫の動画を思い出す。

 こんなに素直で子供っぽいクルルは初めて見るかもしれない。


「話の筋は一応覚えてますが……」


 そんなに期待されると、ちょっと辛い。


「一応言っておきますが、前の世界で吟遊詩人だったわけではありません。なんというか……吟遊詩人の仲間入りをするために練習していた、というのが近いです」


 それでもクルルは目を見開き、ひどく感心した後に、訳知り顔にうなずいていた。


「そうか……市民だというのに馬に乗れず、剣が振れるわけでもなさそうだったのは、なるほど、そういうことか」


 おそらくなにかを大きく勘違いしているが、訂正すると余計こじれそうなので放っておくことにした。

 しかし考えてみると、個人でゲーム製作をしてそれを販売し、それ一本で食べている人たちも少なくない文明社会というのは、すごいことなのだなと思う。

 というか仕事を辞めて何年かゲーム製作に集中してみるなんて贅沢さえ、この世界ではそれこそ貴族にだけ許されることだろう。


「自分のことはともかく、とりあえず仕事をしましょうよ」


 ノドンを追放した時とはまた別の尊敬のまなざしを向けてくるクルルの目が眩しすぎて、誤魔化すようにそう言った。いたいけな少女を騙しているようで、すごく居心地が悪い。

 そしてそのクルルも、現実的な言葉でようやくいつもの調子を取り戻していた。


「そうだな。ただ」


 と、クルルはこちらを見た。


「お前は吟遊詩人にしては、ぱっとしなさすぎだ」


 酒場で見かける吟遊詩人は、いかにも影のあるイケメンぞろい。

 こんな世知辛い世界で楽器と歌を武器に生きていくのは相当なハードモードであり、前の世界ならば芸能人や売れっ子ホストみたいなのばかりだ。おかげで見た目に関しては異様にレベルが高い。


「理解していますとも」


 なのでそう答えると、クルルはどこか安心したように、にっと歯を見せて笑ったのだった。


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